3. アドルフィーナとお見舞い
アドルフィーナがその報せを聞いたのは学園に登校した後のことだった。
「ゲルハルト様が欠席を……? 昨日はお元気でいらしたのに……」
帰宅後に何かあったのだろうか、とアドルフィーナは少しばかり悩み、そして昨晩の祈りを思い出して自分を奮い立たせた。
お見舞いへ行こうと決めると、使いを走らせて先方へ連絡を入れる。その日の学びが終わると家の馬車に乗り込み、匂いの控えめな花を見繕い、ヘーフェヴァイツェン家のタウンハウスへ向かう。出迎えたのは夫人で、アドルフィーナは制服姿で礼を取った。
「ごきげんよう、ヘレナ様」
「ご足労いただき嬉しいわ、アドルフィーナ嬢。さあ入って」
応接間を通り過ぎ、居間へと通される。既に準備が整っていたのだろう。直ぐに茶菓子と紅茶が振る舞われた。
「こちら、ご迷惑でなければ……」
「ありがとう。気を遣わせてごめんなさいね」
「とんでもないことです。ゲルハルト様の体調はいかがですか? わたくし、昨日も少しばかりお話をしたのですけれど、その時はお元気そうだったのでなにかお怪我など……?」
「大丈夫よ。五体満足、意識もはっきりしているし、声も出せれば麻痺が出ているというようなこともありません」
「ではお風邪を召されたのでしょうか……。最近の病は身体の節々が痛むこともありますから、お辛いでしょう……」
急に学園を休むとなれば突発的な怪我か、突然倒れる類いの病気だろう。だが、夫人からは取り乱した様子は感じられず、アドルフィーナは難しい病でもなさそうだと安堵した。
まだまだ若い子どもがそうなれば、親の心痛はいかばかりだろう。
そうでないことは幸いだったと胸をなで下ろし、茶に口をつけるとノックが響いた。
「奥様、ゲルハルト様です」
「あら、早かったわね」
口元に笑みを乗せながら部屋に入るよう促すヘレナに、アドルフィーナは首を傾げた。直接顔を見てもよいのであれば、アドルフィーナがゲルハルトの部屋へ行くのが道理だろう。にもかかわらず、ゲルハルトが顔を店に来た上、それを『早い』と表現するのは妙だ。
アドルフィーナの疑問は、直ぐに吹き飛んだ。
「……アドルフィーナが見舞いに来てくれたと聞き、参じました」
「え……? あ、あの、どちら様でしょうか……私の思い違いでなければ初対面だったかと……」
見慣れた制服を身に纏った、見慣れない美しい淑女の登場に、ますますアドルフィーナは困惑した。しかし美女の髪色や面立ちがゲルハルトに通じるものがあると気づき、ヘレナへ彼女は何者かと視線で問いかける。
アドルフィーナの視線を正しく受け取ったヘレナは、僅かに顎を引いた。
「ゲルハルトです。今朝からこのように」
「……まあ……それは……」
ヘレナが嘘をつく理由もなく、アドルフィーナは驚愕したままもう一度ゲルハルトと言われた美女を見遣る。ヘレナの合図でしずしずと歩を進め、ゆっくりとヘレナの隣に腰掛けた彼女は、それはもう妖艶だった。
豊かなグレーベージュの髪は癖もなく腰元まで伸び、まるで絹のような光沢を持っている。ふっくらとまろい頬、きめ細やかで透き通るような肌、心情を表しているかのような深い青の瞳。ゲルハルトの妹だというには身体も成熟しており、プロポーションを保つために励んでいるアドルフィーナでさえひるんでしまいそうなほど。
そんなまばゆいばかりの美女が決まり悪そうな佇まいでアドルフィーナの前にいる。
「そのような事例は寡聞にして存じませんが……いえ、そういえば古い書物の中にはそう言った不可思議な出来事が記載されているものがありましたね」
「そうなの、ですか。アドルフィーナも……そう言ったことがあると、ご存じなのですね」
美女の口から発せられた声もまたうっとりとする愛らしさがあり、アドルフィーナは瞠目した。
自信に満ちた様子がないことを見るに、ゲルハルトがかなりショックを受けたのだと言うことが窺える。アドルフィーナが読んだのは伝承の類いだったが、なんの暗喩でもなく、ただただその言葉通りのことが昔にもあったのだと思えば納得もする。
なにより昨日兄から貰ったロケットの存在だ。クラウスが気休めでアドルフィーナにロケットを渡すはずもなく、あれは意味があることで、どうして女の身体になったのかは分からずとも、ゲルハルトがこうなった原因がアドルフィーナの祈りにあるだろうことをうっすらと理解した。
かと言って、それを説明し謝罪したところで元に戻るわけもない。
今すぐそれをしても意味がないと判断したアドルフィーナは、この現状が二人の関係をよりよくするために必要なことなのかと疑問に思った。
「にわかには信じられないことではありますが、ヘレナ様が落ち着いていらっしゃいますから、わたくしから申し上げることは特にございません。強いて言うのならば、何か御力になれることがありましたら仰っていただければと思います」
「心強いわ。学園には行かせるつもりですから、女の身で何かと不便なことがあれば助けてやってちょうだい」
「はい、勿論です。……男子生徒のみの実技授業はどうされるご予定ですか?」
「参加させるのは現実的でないから、単位の代わりになるようなレポートを考えているわ」
「ゲルハルト様は後々男性に戻られるとお考えなのですね」
「確証はないわ。打てる手はできる限り打つつもりです」
「かしこまりました。わたくしの家と何か改めて話を詰める必要がございましたら、御当主かアルベルト卿から、兄へお願いいたします。わたくしは家の決定に従う心づもりです」
「ありがとう。決して無駄にならないようはからいます」
「わたくしの方こそ、お心配りありがとうございます」
生まれたときから女である二人の会話はどんどん進んでいく。テキパキと全てが決まっていくのが恐ろしかったのか、ゲルハルトは会話に割り込んだ。
「あのっ」
「はい。なんでしょう」
「……あの……」
「もし話し方を気にされているのでしたら、今まで通りのゲルハルト様のお言葉でも結構ですよ」
アドルフィーナに助けられ、ゲルハルトは躊躇いがちに彼女を見た。
「……俺がゲルハルトだと、そんなにも簡単に信じられるものだろうか」
「お顔立ちも面影がおありですし、何よりヘーフェヴァイツェン家特有の美しい瞳をお持ちですもの。もし仮にゲルハルト様でなかったとしても、あなたの血筋は確かなもの。あなた自身の出で立ちも明らかに人に傅かれ、長い間手をかけられてきたものです。その上でヘレナ様やあなたがそのように決められたのでしたら、わたくしがそれに倣うことはなんらおかしなことではありません」
アドルフィーナにとっては当然のことだ。元々嫁入りする家だということもあるし、そもそも嫁入りといっても、嫡男との婚姻ではない。ヘーフェヴァイツェン家の問題に対し、アドルフィーナの納得や理解は不要である。ヘーフェヴァイツェン家は小娘一人が異を唱えるような未熟な判断はしないことを、彼女はよく心得ていた。
明らかに絶句しているゲルハルトを前に、アドルフィーナは意識して柔らかく微笑んだ。
「突然のことで大変でしょう。わたくしにできることがあればなんなりとお申し付けください。微力ながらお支えいたします」
「君は……俺との婚姻だってどうなるかわからない、のに」
「はい。ですがきっと悪いようにはならないでしょう。元々この婚約はサリバン公爵閣下が突如グルーバー伯爵家の方と縁づいたのがきっかけで采配されたものです。ヘーフェヴァイツェン家の親族の方へ嫁ぐのであれば、そう変わることもないでしょう」
「しかしそれはっ! 王家の流れを汲むユスティーツブルク家の女性として格が落ちすぎる」
「ですが、わたくしとアルベルト卿が縁づいてしまうと、少々両家の結びつきが強くなりすぎます」
「……」
「他国に出されることもないでしょう。そもそも、我が国にとって他国へ出されるというのは海を渡った大陸へ向かうと言うこと。簡単に行き来できません。政治的にかなり重要な意味がない限り島流しのような罪人の扱いになりますから、まずもって他国は選択肢から除外されます。国外でとなると……家格がつりあう家で、かつどなたかの婚約に割り込むような真似もできません。
……ゲルハルト様、わたくしをご心配いただきありがとうございます。とても嬉しいです。ですが……あなたが、あなたの身体が今現在女性である以上、そのままでいる限り、同じ問題に直面します」
「!」
「私がお支えすると申し上げたのは、その時のための選択肢も多い方がよいと考えたからです」
さっとゲルハルトの顔色が変わる。考えたくなかったのだろう、唇がわなないた。
「嫌なことを申しました。お叱りは受けます」
「……、……いや、……そう、そうだな……そうなる、のか」
はくはくと唇を動かしながら、あえぐように言葉を発するゲルハルトは、自分に言い聞かせるように何度も首肯した。その瞳はアドルフィーナを見ることはなかったが、痛ましいほどの動揺が見て取れた。
「わたくし、本日はこの辺でお暇(いとま)いたします。今わたくしが考えても詮無いことばかり口にしてしまいそうですから……本意ではありませんので」
「大丈夫ですよ、アドルフィーナ嬢。あなたの気持ちは受け取りましょう」
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
「もしかすると数日は登校が難しいかも知れませんが、ユスティーツブルク家へは本当にクラウス卿へご連絡差し上げる形でよろしいのかしら」
「はい、問題ありません。最終的な決定は父にありますが、ある程度の権限は兄も持っておりますし、早急に返答が必要なことについても兄に一任されておりますので」
「分かったわ。今日は本当にありがとう」
「いいえ、わたくしにできることはほとんどありませんが、学園ではゲルハルト様のお側を離れないようにいたします」
ヘレナとゲルハルトそれぞれに礼をとり、屋敷を後にする。クラウスへ確認しておきたいこともあるが、それ以上に絶世の美女になったゲルハルトをどうすれば守れるだろうかと馬車の中で考えを巡らせながら、アドルフィーナは帰路についた。
確かにゲルハルトとの仲についてを願ったはずだ。であれば、今更婚約者が別人にすり替わることはないだろう。
見当をつけながら、シャツの上からロケットに触れる。その重みに耐えられるかを試されている気がした。
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