16

 夜は暗く、朝になれば光がゆっくりと満ちていく海の底の街に人工的な太陽光が広がり始めた。おれたちのいる街も朝の時間へ切り替わったらしい。


 正確に言うと、ここに来てから二度目の朝だ。


 久しぶりに深い眠りを掴んだらしいノールに付き合って、一日分は寝て過ごしていた。こっちも時差や色々な疲れもあったから、休むには丁度良かったかもしれない。

 窓から差し込んでくる青く淡い光が室内をぼんやり浮き立たせていくのを眺めるのも、これが二度目。見たことのあるものばかりが揃った部屋なのに、過去に見たどの日よりも鮮やかで、穏やかだと思えた。


 服を着替えて、顔を洗って。光が落ち始めたベッドを見れば、ブランケットにくるまったままのノールがいる。


「ん……」


 眠りが浅くなってきたのか、寝返りを打ったところでノールの瞼がゆっくり開いた。


「おはようノール。よく眠れた?」

「うん……、ん、ヴァル……?」


 ぼんやりした声で名前を呼んでくれる余韻がまだ夢心地だ。


「うん。おれだよ。……そのままでいいから聞いてくれる? ノール」

「うん」


「おれ、一度むこうに戻らなきゃならないから、今日ムーサを出るよ」

「ん。……そっか」


 言い辛い話ではあるけど、仕事が絡む場合、口約束で交わした契約は大した効力なんて無い。今はおれも別の仕事を請け負っている身だから、そっちの筋も通さなきゃならないわけで。


「おれ、今やってる仕事も続けて行きたいと思ってるんだ。だから、こっちと併せてってなると手続きするのに時間がかかるかも知れない。でもかならずおれはここに戻るから。そのときあらためて、貴方に、ただいまって言わせて」


「わかった。待ってる」


 ブランケットの隙間から顔を出すと、寝起きでぼさぼさの髪のままノールは柔らかく笑ってくれた。もう泣き出しそうな影が無いのがせめてもの救いだった。


「まだ時間、あるんだろ? すぐに出るのか?」


「外が完全に明るくなったら出て行こうと思ってる。空港は動いてるだろうけど、そこまで行く潜水艇がまだ動いてないかもしれないし。……うん、だからまだ、時間は少しだけあるかな」


 なら、それまではここにいて。と、ねだるように手を取られて、おれは招かれるままベッドに腰掛けた。


 気持ちがすれ違ったままの別れじゃなく、また、必ず会えると確証を持てることなのに、離れてしまうことが未だに胸を軋ませる。


 その痛みを紛らわすためか、それとも何か残して行きたいという気持ちからか、おれは静かにノールに告げた。



「あのさ、ノール。……おれ、他の仕事するようになってから、考えるようになったことがあるんだ。聞いてもらえるかな」



「うん」

「おれ、採掘以外の仕事も始めたって言っただろ? そしたら、出来ることが増えたっていうか、選べるものが多くなったんだ。色んな星を回って、人と関わって、経験積んで……。そうしてるうちに、夢っていうのかな、そういうものが見えてきてね」


「夢?」


「昔、おれがこの星に来たとき抱えてた、一攫千金! みたいなやつ」


「ああ」


 そう言うと、ノールは肩を軽く震わせて笑った。自分で言ってむず痒さを感じたくらいだ、若い採掘師が掲げてるよくある話のそれを今更聞いて、ノールも気持ち的にくすぐったくなったのかもしれない。


「どんな夢だよ」


 いつの間にか目が覚めてきたんだろう、ノールは枕を高くして少しだけ顔を起き上がらせる。その視線を受けて、おれは笑って返す。



「旅をするんだ」



「旅?」


「そう、旅って言っても旅行じゃなくて。色んな星を巡って、その土地で仕事したり、未開の星で空想物質ソムニウムを探したりしながら、最後に、ここだ、っていう自分の星を見つける。そういう旅」


「自分の星、って星を買うつもりか。一攫千金と大差ないな」


「そこまでいかなくても……。ああでも、そういうのもありかもね。夢をよりそれらしくするなら」


 笑いながらそう言い合って、おれはひとつ、息を吐く。



「その旅のどこかで、貴方に偶然会えたらいいなって、思ってた」



「ヴァル……」


 どんな偶然でもいい。直接顔を合わせるのでも、何かで成功したおれのことをノールがどこかで知って、仕事を頼んで来るなんていうのでも。


 ノールが本当に手の届かないようなところにまで行ってしまっていても、どんなかたちでもいい、すれ違えるくらいには。


 そのくらいの関係が戻ってくれたら、と、どこかで願っていた。



「貴方を見返したいとかそういうんじゃなくて、未練だろうな。これは。……でも、ただ、どこかで、ほんの少しでも、貴方の見る世界とおれの世界が繋がっていてくれたらいいなって、思ってたんだよ」


「繋がってたよ、ずっと」


「うん。……だからね、ノール。いつになるかなんて、おれにもまだわからないけど」


 繋いだ手を握り返して、額に口づける。離れる間際に、まだ少し照れ臭い気持ちが優位になってた言葉を残す。


 

「おれのその旅が終わったとき、傍にいてくれますか」


 

 離れる鼻先に、ノールが笑う吐息が触れた。


「旅に付き合えとか、ずっと隣にいてくれとは言わないんだな」


「貴方には貴方のやりたいこととか、他でやることが沢山できたんだろ。それを全部捨てさせて、おれのやりたいことにだけ付き合えなんて言えないでしょ」


「……そういう優しいとこ、変わらないな、お前」


「ノール」


「いいよ。そのときお前がまだ、俺と別れたら未練感じるくらいだったらな。……だから、たまにで良いから、俺にもその旅に付き合わせてくれよ。ムーサ以外でのお前も、俺、見てみたい」


「うん。機会ができたら、そのときは、必ず」



 飽きられないようにもしなくちゃならないから。なんて、お互い口を揃えて言って笑い合っているうち。あっという間に窓から差し込む明かりが光度を増していた。


 陸上で言うなら朝日が昇ったくらいだろうか。海の中に影が伸びて、光が満ちる。


 別れの時間だ。


「もう行かなきゃ……ごめん、ノール。行って来ます」


 おれがそう言うと、ノールはうんと頷いて、そっと手を引いた。


「あー……。なんか、久しぶりだなあこういうの。こんな、ひとりじゃないなぁって思えたの、いつぶりだろ」


「ノール……」


「なんでもない。……もう、大丈夫」


 見れば、別れを惜しむ寂しさとは違う何かがノールの睫毛を濡らしていた。それを寝間着の裾で荒く拭って、ノールは顔を上げる。



「ヴァル。……ヴァルター」

「はい」


 視線を合わせておれを呼んだその笑顔は、過去に見たどの笑顔より眩しくて、真新しくて。


 強く、深く、愛おしいと思えるものだった。


「まずは俺も、お前がここに戻ったとき改めて、お前におかえりって言うよ」


 だから今は、行ってらっしゃい、で見送っておく。

 そう言って、溶ける笑顔でノールはおれを送り出してくれた。

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