5

 計画は急ごしらえ。それでも思いつく限り、懐の許す限りの贅沢をした。

 おれがそのとき思いつく限りだから、大して贅沢でも無かったとは思う。


 普段口にしない食べ物やアルコールを飲み食いしては、美味いだとか不味いだとか好き勝手に言い合ったり、ムーサの街の気候には合わない作りではあったけど、流行だという衣服を見て回ったり。最新型の浮遊車や、宇宙船の展示を眺めたり。

 華々しい衣装を着た女性達のショーなんかも、ちょっとだけ楽しんでみたりして。

 クラクラするような時間が過ぎて、気付けば戻りの船が出る時刻が差し迫っていた。


 もっと一緒に、仕事のことも忘れて、傍に居られたらいいのに。なんて名残惜しく思っていたところに、だ。誤解を招くような一言が降ったものだから、慌てたよ。


「ヴァル、時間まで少し休憩しないか? 俺良い所知ってるから」

「えっ、あ、……イインデスカ……?」

「なっ……! 何、お前変な想像してんだっ、ばか、そういう意味じゃねえよ。言葉通り取れって! お前だいぶ疲れてんじゃないのか」


 ノールは焦ったようにそう言って、今度はむこうから手を引いてくれた。


 隠さず言えば、確かにはしゃぎすぎてくたびれてはいた。楽しさの方が勝って気にするほどのことではなくても、かなり調子に乗っていたところはあったから。

 それを見透かされていたんだろう、年上の余裕ってやつなのか、ノールは笑って先を行く。


「ここだここ。穴場なんだ、人がいなくてさ」

「ここ? ……って」


 招かれて行った先は、無重力ドームだった。街の区画をひとつ使うくらいの大きさで、中は安全面に問題の無い若干の重力がかけられたほぼ無重力状態になっている。

 常に星空を映した天井に、満たされた空気。なのに、無重力。宇宙空間を私服で泳げる場所、なんてうたい文句で昔からどこにでもある施設のひとつで、珍しさも無いから人気もまばらなのは肯ける。


 でも、そういう場所を求める人は一定数いるらしい。無くならないということはそういうことなんだろう。都会ならばなおさらか。


「ノール。……貴方、実はルクススの街、慣れてたりする?」


 無重力の中に放り出されても上下感覚を無くさないためと、身体的な負荷を軽減させるための装置を施設側から渡されて、両手足と首に付けていく。装置は採掘師の装備のかなり簡易版みたいなものだからおれには慣れたものだけど、ノールはそれより早く身につけていた。


「結構来てるでしょ、その様子だと」


 おれが拗ね気味に顔を見れば、ごめんな、って笑顔が返された。


「ムーサの技師にもこの街が好きな奴多いんだ。他の星から来た奴らが来るたび商談だとか言って、ここへ連れて来る。昔から師匠の付き添いで何度か来てたから、うん、まあ……華やかな街の部分は一通り、慣れてたかな」


 そんな付き合いの隙を見て来ていたのがこの静かなドームだと、ノールは苦笑する。


「そっか……じゃあ息抜きにはならなかったかな。おればっかりはしゃいでた? もしかして」


 珍しくもなかったなら、と、無重力空間に踏み出しながらおれが言うと、続いて飛んだノールは首を振った。


「そんなことないよ。……お前と一緒に騒げて楽しかった。今までのは付き合いでしかなかったから、今日は、遊んだって感じが強い」


「それならよかった」


 爪先に意識を向けると、水を蹴るように空気を踏める。何度かそれを繰り返し、加速する身体を互いに捕えて腕を引き寄せたら、知らず距離が近くなる。

 仕事仲間に近すぎないかと言われている近さよりも、ずっと近くなっていた。


 ドームの中は薄暗く、他にも数人の人がいるということがわかる程度で誰かまではわからない。微かに聞こえる波か風のような自然音が流れていて、話し声も大声でも出さない限り人の耳には届かないだろう。

 静かで、それでいて遠くに何かの気配だけはある。見上げれば夜空の星、肌に触れるのは人工的とはいえ、優しい風。


 その雰囲気の中で捕えた腕を離せなくて、おれは無重力の浮遊感にかこつけてノールを背後からそっと抱きしめていた。


 一瞬肩が跳ねるも、ノールはそのまま抵抗せず収まってくれた。おれの肩に頭を乗せて腕の中でゆっくり息を吐いて、力が抜けていくのを感じた。


「意外と静かで落ち着くね。海の中の浮遊感と似てるけど、装備が無い分海の底より気が楽だ」


「そうだろ」


「それに、こうして見るとやっぱり海の底とよく似てる。おれ、露出した鉱脈から湧き出してる空想物質ソムニウムって、夜空の星みたいに見えるんだよ。親方は金色の霞に見えるって言うし、別の採掘師はギラギラした魚か鳥の群れみたいだって言うから、人それぞれみたいだけどさ」


 おれがそう言うと、え、と短くノールが驚きの声を上げた。

 採掘師の適性、そのひとつが、結晶化する前の空想物質ソムニウムを可視できるかどうか。なのだ。誰にでも素質はあるというけれど、強い適性がない人の眼にはどうやら認識されないものらしい。


 そういうものなのか、という驚きかと思えば、ノールは小さく、俺も。と続けた。


「……俺も、空の星って、海の底で光ってる空想物質ソムニウムみたいだなって思ってたことがある」


「ノールもあれが見えるの?」


 今度はおれが驚く番だ。視線が合うと、ノールはわざとらしく胸を張って笑って返した。


「俺も採掘師の適性あるんだぜ、実は」


 そう言って笑った顔は、一瞬で、すぐに雲ってしまう。


「でもさ、俺、昔から装置と相性が悪くてね。……ムーサ生まれで適性持ってて、技師になったなら、自分で作った装備つけて潜りたいと思うだろ。でもさ、どう調整しても上手く動かせなかったんだ。だからそっちは早々に諦めたの。相性悪いのに無理して使ったって良い結果は出ないことは自分自身でわかりきってる、わかってて事故起こすわけにもいかないからね」


 幸い、技師としてはやっていけそうだったからそちらを選べた。ノールは静かにそう言うと、手を伸ばして星に指を向ける。


「そこにある星を掴みたくても、俺はムーサの人魚になれなかった。それは一人じゃ叶わなかった。諦めたくせにずっとどこか悔しかったのは、……やっぱり、諦め切れてなかったからなんだろうな。クセが強いとか言われても、組み方を変えない装置の開発を止められなかったのも含めて」


 握り混まれたノールの手を、おれは包むようにして手を重ねた。


「それを、おれが掴んでしまっても良かったのかな」


 そんな話を聞かされたら申し訳無さも多少は湧くものだ。肩口に頭を乗せておれが言えば、笑った振動が額を揺らした。


「ばーか。俺の作った装備一式、九割方使いこなしてるやつに俺が何をどう文句言えっていうんだよ。言ったろ、一人じゃ叶わなかったんだって」


「ノール……」


 閉じた指先が開いて、手を握り返された。柔らかい毛先が耳元をくすぐる。

「俺のあの時の願いは、これが掴めたとき……、もう充分報われたから、いいんだよ」


 照れを含んで小さくなった声。暗がりでもわかる耳の赤さ。応えるように抱きしめる力を強めたら、流石にノールは身じろいだ。



「残り、一割っ……だ!」



「うん?」


 照れ隠しで慌て出したのかと腕を解くと、ノールは顔の赤みをまだ残しつつおれと向き合った。地面に足を降ろした時よりも視線の高さがかち合うものだから、いつもよりも真っ直ぐに見据えられた。


「まだ、俺が満足出来てない残り一割分。お前の装備、計算上は、もっと空想物質ソムニウムの純度を高くできるはずなんだ!」


「えぇ……」


 ムードも何も置き去りにして一人勝手に仕事モードに切り替わっちゃったかと、おれが思ったそのすぐ後。


「それがお前に達成できたら、俺もお前とこの先のこと、もう少し……考える、から」


 先。とは、と繰り返そうとしたおれの口を、ノールはだいぶ勢いづいたキスで塞いできた。



「ノ……っ」

「……返事」


 もう視線も合わせられないくらいに真っ赤になっていたノールに、おれはそれ以上何か言う事も出来ず、了解です、とただ頷いて、不慣れなキスへの返答としてはひとつ額へのキスを返した。



 その後。


 静かな無重力の夜空を後にして、おれたちは人工的な明かりが夜明けを作り始めた街の中へと戻っていった。


「街の遊びは慣れてるのに、こっちはずいぶん慣れてないんだねぇ……貴方」


「……っ、うるさい! 黙って走れ! 船の時間、もうすぐだろっ!」


 両脚に無重力とは違う浮遊感を感じつつ、ジンジン痛みが残る口元が緩んでくるのを隠すため手で押さえながら、おれは帰路を急ぎ始めたノールの背を追った。

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