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 人類が母なる星から宇宙に踏み出し数千年。

 大いなる転換点となったのは、ヒトが太陽系を僅かに離れた頃だったと歴史は語る。


 それは、人類以外の高度知的生命体との遭遇などでなく。太陽系の中では存在しなかった希少な物質を抱えた不思議な天体が発見されたこと。


 結果、人類の進化は更なる加速をすることになったのだ。


 その希少な物質には『空想物質ソムニウム』なんてそのままの呼び名が付けられた。それだけ当時の人類には非現実的なことを引き起こすもので、奇跡的な物質だったのだ。


 その非現実的なことというのは、一定の条件下で、重力や圧力他、物体にかかる力をほどよく弱める効果を発すること。

 研究が進んだ今ではもっと数多くの非現実的な事……例えば星から星を移動する技術、なんてのも当たり前に可能になっているんだけど、当時のそれは人類が宇宙へ広がるために引き剥がさなければならない物理的な枷を切除するに充分な物質だった。

 反重力を備えた乗り物を得て、さらに星系の端から端を数時間から数日で移動出来る術を得た人類が、銀河を小旅行くらいの感覚で容易く渡ることが可能となってから約二千年。

 その間、到達可能な銀河、星系から様々な形で空想物質ソムニウムは見つかっている。

 そうすると、言わずもがなその星の開拓も進められることになるわけだ。


 居住が可能なら小さなコロニーが点々と、不可能ならば星の周囲に人工的な衛星都市が作られた。統治するのは企業だったりどこかの国だったり、稀に個人所有ということもある。一応、宇宙法という法律に則っての統治は約束されている。はずだ。


 暮らすのは主に開拓者。新天地を求めてやってきた人達、彼らを支えて食わせていく人々、あとはごく少数で学者とか、技師。


 誰が偉いとかそういう位置づけはあまり無かったけれど、中でも空想物質ソムニウムを採取するための適性を持った採掘師は、特別視はされていたんじゃないだろうか。

 

 おれも、その採掘師の一人だ。


 大きな鉱脈を当てれば一生遊んで暮らせるだとか、最新鋭の宇宙艇が新品で買えるとか、大都市星に使用人付きの大豪邸を持てるだとか。

 果ては星すら手中に収めることができるなんていう、太古の昔からのヒトの欲望、一攫千金も夢では無いと。そんな話に憧れて、どこか物足りなさを感じる故郷を離れた若造の一人だった。


 自分にもそれを得られる適性があるのだからと、それだけを当てにして。

 惑星ムーサはその頃、有名な技師が集い、採掘の熱気が最も高くなっていた星だった。


 おれもその星以外にないと飛び込んだ口だ。でも、入ってすぐの頃なんかは、鉱脈を探り当てるどころか下働き程度の仕事しか無い状況。そんな仕事しか出来ないことに文句を言って、やさぐれる者も多くいた。


「腐るならさっさと泡になっちまえ」

 そう言う声が毎日街のどこかから聞こえてくる。


「親方は、ああいうこと言いませんよね」

「うん?」


 あの日、おれは親方に連れられて惑星ムーサの技師街に向かっていた。

 親方はおれが居着いた地域で既にひとつふたつ大きな鉱脈を掘り当てている人で、自身でもまだ採掘師を続けながら、若手の世話役も……こちらは片手間ではあったけど、こなしていたすごい人だ。他の親方仕事をしているだけの人達よりはいくぶん年若くても、熟練と言って申し分ない。

 おれはたまたまその人のところで下働きで雇って貰えて、その頃は何度か採掘の仕事を手伝うくらいにまでなっていた。


 その親方に、おれは話しかけた。

「おれ、親方に、泡になっちまえ、ってやつを言われたことがないなぁ、って」

「あー。人魚の魂捨てるなら泡になって消えてしまえ。ってやつか? いやいや、俺も言うときは言うぜ? 今まで何回言ったかわからんよ」

 チームの仲間にも言ったことがあるぞ。そう笑って親方は返した。


「しかし、いつ聞いても思うけどさ。あの、採掘師が海中に潜水していく姿が尾やヒレの長い魚みたいに見えるから『人魚』、その人魚を続ける夢を捨ててムーサから出て行くことを選んだやつは、決して水の中には戻らないものって意味で『泡』って呼ぶやつ。この星でいつから使われてんのかは俺も知らないが、なかなか詩的な言い方だよな」

「え、ああ、まあ。はい。そうですね」

「言われる方だと、ただただ頭にくるだけなんだがなー」

「あはは……」


 惑星ムーサの表面はほぼ海が覆う。申し訳程度に小さな島が点々と存在するも、その地表は強い日差しと強風に晒されてとてもヒトが定住出来る状態ではない。

 だから、街があるのは海面より下。採掘が済み、比較的平坦で安定した場所に作られた、過酷な星なら珍しくないドームの中にある。


 中の気候は調整されていて適温が保たれるものが一般的だけど、海の中にある分肌寒さが勝っているところは珍しいことかもしれない。

 ドームは採掘済みの場所にある。ということは、必然的に水の下で暮らす惑星ムーサの採掘師は海に深く潜って作業を行うことになるわけだ。


 おれたち採掘師は空想物質ソムニウムを使った、耐水耐圧耐熱、ついでに対衝撃機能のついた特殊なスーツと、空想物質ソムニウムを掘り出すための装置を採掘用の装備として身に纏って潜っていく。


 その装置が作る淡い光と水中に残る潜水の軌跡が長くたなびく尾鰭のようで、ムーサの採掘師は人魚を名乗るようになった。という話は、この星の昔話として語り継がれていることだった。


「ま、詩的な言い方をしてやらなくても、お前は俺が世話してる若手の中でも真面目な方だからそう言わずに済んでるだけさ。それにお前、結構見込みもあるしな」

「それ本当ですか?」

「ああ。だからまあ、泡になっちまえなんて言うには、俺もまだ惜しいわけだ」

「よかった……」

「それでな。今日はお前に、お前専用の装備一式揃えてやろうかなと、思ってここまで来たわけなんだが」

「えっ!」

 おれが驚きと、素直に嬉しさで、いいのかと返したら、親方は何かをいくつか考えてから頷いた。


「うん。たぶん、お前なら上手くいくだろ。たぶんな」

「え? たぶん? タブンって、ナニがデスカ、親方……?」


 不穏な言葉を残されて、嬉しさから一気に不安に振り切ったおれがその先で出会ったのが、あの人だった。


「ヴァルター、紹介する。こいつは技師のノールフェン。俺がメインで使ってる装備作ったやつの弟子でな、最近独立して……ああ、心配すんな。若いが腕は確かなやつだから」


「はじめ、まして。ヴァルター、です」


 親方と共に進んで行った技師街の片隅、小さめだけど真新しい工房の中。作業の途中でしたという出で立ちでおれたちを出迎えたのが、ノールだった。

 目線の高さに額が来るからか、見上げる目元がそう見せるのか、見た目は確かに若かった。若いというよりも、まだどこかあどけないと思える感じも否めない。その時のおれが言えた事じゃなかったかも知れないけど。


 とは言え、ムーサの中で若い技師自体は珍しくはない。

 珍しくはないけれど、独立したばかりと言うには、工房には最新鋭の機材に混ざって使い込まれた機材も多く揃っているように見えた。

 師匠から受け継いだものかはわからない。でもその全てがしっかり手入れをされている様子からして、それだけで腕は確かというのに偽りは無さそうなのが充分にわかる。


「ノール、それで、こいつがこの前言ってた俺んとこの新人。ヴァルターだ」

 歳を聞かれたのでおれが答えると、ノールはその三つ上だと親方はノールの歳を口にした。

 年上で、技師として有能らしくて、きっとムーサでの暮らしも長いのだろう。気を引き締めて接した方がいいかなと、おれが背筋を正して向かい合うと、ノールはそこにずいと顔を近づけてきた。


「はじめまして。俺はノールフェン。呼び方はノールでいいよ。みんなそう呼ぶから」

「じゃあ、おれは、ヴァル。って呼んでください」

「うん。ヴァル、だね。よろしく。話は親方さんからきいてるよ。この人……エルデさん用に師匠が作って、その後俺が調整したサブの装備を難なく使って潜ってみせた、って。……それって、本当の話?」


 掠れ気味の、丸みのある低めな声。伺うように見上げてきた眼は蒼く、所々に金色の光が散らばって、水底から見上げる光る波みたいだ。

 その眼の思った以上の鋭さに、おれはしどろもどろに、はい、とだけ答えた気がする。


 それが最初の会話、だった。


 身体データを取って、それ以外にもいくつか質問をされて、事務的と言えば事務的なやりとりだけでその日は終わったはずだ。

 後日呼び出されてから数日の間は、仕事が終わった後ノールの工房に通い詰める日が続いた。

 自分専用の装備を作ってもらっているわけだから、多少疲れていてもそこへ通うことは苦ではなかった。海の底へ潜る採掘師のいる海底近くの街から、中層域に集中している技師街まで上がるのはそこそこ距離があったとしても。

 むしろ装備が出来上がっていく頃には、ノール個人に会うことも含めて通うことが楽しくなってきていたくらいだ。


 だから、装備の最終チェックの日の事は良く覚えている。

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