泡沫(うたかた)と海鳴りの星
里内峰子
1
「お客様にお知らせします。ただいま当惑星外におきまして、強烈な磁気嵐が発生しております。安全を考慮しまして、磁気嵐が治まるまでの間は当惑星からの離陸、及び宇宙からの着陸は一時停止させていただいております。現時点で磁気嵐の収束の目処は立っておりません。離陸予定のお客様で搭乗便のキャンセルを行いたい方は――……」
星間旅客船の空港ロビーには、つい数時間前から空港機能が麻痺したことを告げるアナウンスが繰り返し流されていた。
どんな小さな惑星でも、磁気嵐が星の内部を荒らすことはほとんど無い。
しかし惑星外にある電子機器には多少なりの影響が出てしまうため、船と管制塔の連絡が上手く取れず、今この空港へ出入りする船とそこで乗り降りするはずだった人や物は全て足止めを喰らっている。という状況なのだ。
磁気嵐等で運航予定が変わることはどの星系に行ってもあることで珍しい事ではないにせよ、それでも遭遇してしまうと厄介なものだ。
特にこの星系の太陽は気まぐれで、頻繁にこうした突然の磁気嵐が起こるらしい。小さな星の小さな空港だから、キャンセルの手続きで空港の中は混雑中だ。
その中でもこの空港をよく利用するらしき人達は慌てるでもなく、またか、と諦めを露わに途方に暮れている。本当によくあることなんだろう。
少し伸びてくせが出始めた髪をさらに掻き乱して、ため息をひとつ。
「急ぐ旅でもないからいいとしても、さて……どうするかな」
おれ、ヴァルターは、数年前新たに始めた
行こうと決めていたところへは全て訪れ、拠点にしている星への帰路に着くだけのルートの乗り換えでこの空港に降りた。あと数時間で乗り換え便に乗れる、というタイミングで突発的な磁気嵐に巻き込まれてしまった。
やっと座れたところで休暇の日数確認のため携帯端末を眺めて見れば、磁気嵐に負けること無く届いていたメッセージを知らせる通知が光っていた。
「メッセージ? 旅行中は誰も連絡寄越すなって言っておいたのに。誰だ?」
端末の上に浮かび上がる昔ながらの封筒形をした手紙に指先を向ければ、ワンアクションで一枚の紙のように展開された。
目の前に、表示された半透明の紙の上には、短く言葉が並んでいる。
それを読み、さらに差出人を確認して、おれは息を詰めた。
――お前、まだ、俺を抱けるか?
差出人の名は、ノールフェン。愛称はノール。
とある銀河のとある星系、惑星ムーサと言う名の星で出会って、特別な日々を共に過ごした、特別な人。
今となれば、だった、人だ。
「何だ、これ」
最初は、間違った相手に送ったんじゃないかと思った。それともノールを騙る詐欺か悪戯かな、とか。
ノールは惑星ムーサの技師で、働き者の頑固者。品の無い冗談が得意じゃなくて、プライド高めなところが邪魔をしてはっきりとした愛情表現は苦手なタイプだ。少々口が悪いのは、照れや弱さ隠しのための裏返し。それに気付いてから見れば、充分に可愛く思える人だった。
気が強いところが表に出てるときなら、年上の男の自分にそんなことを言うなって、ずいぶん古風な感覚でものを言うこともあったけど。
だからこそだ。そんな人が、こんな内容のメッセージなんか送ってくるはずないだろう。と、思う方が正常だ。
「仮に本人だとして、こっちは大失恋したと思って何年も引きずってんのに、一体どういうつもりで」
この旅行だって、それを吹っ切るための、いわば傷心旅行みたいなものだったというのに。
愚痴付いても仕方ない事を口の中でもごもごとさせて飲み込んでから、おれはため息を吐く。
「……というかあの人、いまどこにいるんだ」
色々あって、おれが惑星ムーサを出てから数年が過ぎていた。ノールもその後大きな仕事を請け負って星を離れたようだ。というのは何年か前に本人から知らせが届いたので知っている。
連絡はごくたまに、文字だけのやりとりで近況報告をする程度で続いていた。とは言うものの、顔は見ないし、声も聞いていない。新しい仕事に就いてからはずっと何の連絡も出来ない期間が続いていて、とうとうそんなか細い縁も切れてしまうのかと思える時間が過ぎていたところだ。
時間の数え方は、人類が発生した地球という星のそれと同じ。
一日が二十四時間で、一年は約三百六十日。星が違えば感覚はだいぶズレてしまうものでも、時間の刻みかただけは人類が捨てなかったもののひとつとして残っている。
星間飛行が可能になる以前と比べて人類の肉体的寿命は五十年ほど延びたらしいとは言え、確実に時間を重ねたと思える数年は、決して短い時間とは言えないだろう。
「あの後、別の星でおれより相性のいい相手が見つかったとかって話があっただろ。そこで技師の腕認められて、かなり名が知れ渡ってたじゃないか。……それなのに、今更、おれなのか?」
メッセージを閉じてから、おれは少しだけ苛立ちを込めて唇を噛む。
ぼんやりしながら視線を上げると、淡い青から濃く暗い赤へ、この星の夜の色がそれなのか、長い夕焼けの色なのか、変わる空色を眺め不安げな表情を浮かべる人たちの顔がガラス越しに見えた。
あんなメッセージを読んだ後だったからか、懐かしい星の風景を思い出す。
他の星よりも紫がかって見えた空。夕暮れになるとひときわ濃い紫色に変わったその色によく似ていると、あの人はおれの眼を見てそう言っていたっけ。
強い風と刺すような日差しが降り注ぐ下は、空より濃く澄んだ青い色。
惑星ムーサは、大気に触れる大地よりも多くの面積を海が覆う水の星だった。そこで働き暮らす人達は自身を人魚と呼び、その海の星を出て戻らない者は、泡になって消えたとのだとよく言われていた。
「おれは泡になってしまったんだよ、ノール。……貴方も、そうじゃなかったの」
肩で息を吐くと、閉じていた蓋が壊れてしまったみたいに懐かしい事ばかりが頭の中を駆け巡り始めた。
器用で意外としっかりした形の指先は敬愛の対象だった。蒼に砂金を散らしたように見える眼で前を向いている姿は心強くて、色素が薄くて柔らかな髪と、思い切り笑って紅潮するその笑顔が、何より愛おしかった。
凪いでいた感情が、あの星の荒れた海の波のように、掻き乱されていく。
強く打ち寄せてくる
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