第一章 転機と決断のプリモピアット
第3話 訪れた転機①
『中学生男子 地下鉄内で痴漢を制止』
先日僕が少女を痴漢から救った事件は、間もなくニュースとして報道された。
『し、しらばっくれないでください。……していましたよね、痴漢』
現場に居合わせた人間が、僕と痴漢のやり取りを動画に撮っていたいたようで、スマホ特有の縦長の画面に映し出された一部始終が、瞬く間に拡散された。
そう、僕の救出劇は地域だけに留まらず、もはや「日本全国」に知れ渡っていた。
「この中学生には勇気がある。称賛されるべきだ」
「私だったら怖くてできなかったかも……」
「平然と痴漢行為を行い年下を恫喝する情けない大人に、屈することのなかったこの男の子は、正にヒーローそのものだ」
民放だけでなくSNSや動画配信サイトでの報道も重要視される現代において、地下鉄内での事件と拡散された動画は一躍話題を呼び、多くの反響を呼んだ。
まぁそれだけでなく、話題になったのは他にもあって……。
『ヒィイッ折れるッッ背骨折れるッッ!!!』
『ヒャーーーーッッッ!!昼間から飲んだくれながら
痴漢男に飲んだくれ女がキャメルクラッチをお見舞いする動画も同じように拡散され、こちらは
『顔とスタイルはいいけどやべー女』
『犯罪者より言動が犯罪者してて笑う』
『OH……Crazy Japan……』
と僕より悪目立ちするようになり、この事件の話題性をより強調する形となった。
何はともあれ、その事件を機に僕の普通らしい日々は一変した。
まずは警察署での署長からの表彰に、それから中学校での校長先生からの表彰が行われた。どちらも緊張しすぎて、テレビの取材と体育館の壇上では、何を話したかハッキリ覚えていなかった。
クラスメイトからは称賛される日々、他の町からも見物人が来るほど注目されるようになった僕は、やや恥ずかしながらも充実した日々を過ごしていた。
そんな激動の毎日からしばらく経過した、ある日のこと。
「
「分かったー」
休日。
僕は、お母さんが経営するカフェの手伝いをしていた。
「ふぅ。これで今日の峠は越したかしらね。もう少ししたら、閉店の看板を下げてきて頂戴」
「うん」
カウンターに立って下ごしらえをする母さんに相槌を打つ。
「……それにしても、ここ最近は特に忙しかったわね。ゴールデンウィークでもお盆でも正月でもこんなに忙しいことはなかったのに、これも
そう、母さんが経営する喫茶店「あおぞら」は、下町にぽつりと立つ小さなお店だ。
それまでは僕の友達や母さんの知り合い、下町の常連さんがぽつぽつと来る程度だったのだが、痴漢撃退のニュースを機に「ヒーロー中学生の家族のお店」「喫茶店なのにお好み焼きが美味い!?」という口コミが広がり、大変な賑わいを見せていた。
僕はお店を手伝うよりもマスコット的な扱いで2ショットをねだられ、お母さんはあまりの忙しさに常連のおじさんお婆さんにお店の手伝いをさせるほどだった。
「でもこれで、歴代最高の売り上げを叩き出せたんじゃない?」
「それもそうね。今度、力の大好きなお寿司屋さんにでも行きましょうか」
「ホント!?やったぁ!!」
たいそう喜ぶ僕を見て、母さんは優しく微笑む。
「そんなに喜ぶなんて、力も年相応の子供ね。それこそ、例のニュース動画とは別人みたい」
「べ、別にいいじゃんか。痴漢の時は咄嗟のことだったし、お寿司は何食べてもおいしいし」
「……本当のことを言うとね、母さん……最初にあの動画見て、胸がキュって苦しくなったの」
そういう母さんは、笑顔を少し曇らせる。
「悪人に立ち向かう姿、恫喝されてる姿、そして危害を加えられそうになった時……どうしても、父さんの姿を重ねちゃったの」
「母さん……」
僕と母さんは同時に、頭上の神棚に目を向ける。
そこには、ニカッと豪快に笑う恰幅のいい男性――名を
「……力が何事もなく帰ってきたときはホッとしたけど、もし力にまで何かあったかと思うと、あたしは……」
「母さん……」
声を詰まらせる母さんを見て、ぼくはどう声をかけていいか分からなくなる。
が、すぐに表情を引き締め―
「大丈夫だよ、母さん。僕はもう二度と、無暗に危なっかしいことをしないって、心に誓うから。どこに行っても、必ず母さんのもとに笑顔で帰ってくるって、約束するよ」
「力……」
カウンター越しに力強い宣言をすると、母さんは鼻をすすり、再び笑顔になる。
「それじゃあ、今日は母さんとの約束をした日ってことで、何か美味しいものを買いましょうか。力、街なかにあるケーキ屋さんのショートケーキ好きだったわよね?」
「えっ!?うん!!あれを食べられるなんて、夢みたいだよ!!」
しんみりとした空気を吹き飛ばし、母さんと何気ない会話を交わしていた、そのとき。
カラン、コロン…………。
店の入り口から、来客を知らせる呼び鈴が鳴る。
「あら、この時間にお客さんかしら」
僕と母さんが、同時に入口のほうに顔を向けると。
燕尾服をまとった絶世の美女が、足音も挨拶もなく入店してくる。
雪花のような煌めく銀髪に、ハリウッド女優のように整った顔立ち。雪が積もったように蓄えられた長いまつ毛の奥からは、翡翠色に輝く瞳孔がこちらを捉えていた。
その女性は、特殊な素材と綿密な技巧によって生み出された、美麗な機械人形のようであった。
「え、えぇと……いらっしゃいませ……?」
此処にはあまりにも場違いな美女の登場に、ためらいがちに挨拶をすると。
「……
「は、はい……?」
抑揚のない声で紡がれたのは、僕本人の確認だった。
「その返答を肯定と処理します。まず先に、盗聴器などの電子機器が忍び込まれてないかの確認を、手短に済ませてもよろしいですか?」
「「と、盗聴器!!?」」
仰天する僕と母さんをよそに、美女は小さい機械を手に、俊敏な動きで店内を縦横無尽に動き回る。
「ここで発した情報が第三者の手に渡る機器の存在は発見されませんでした。この空間において機密情報を安全に共有できるレベルは合格とみなします」
「でしょうね…………」
機密情報?と僕が首をかしげる間もなく。
「今回私が訪れたのは、とある方からの書簡を手渡すためです。この封筒に入っている書類に目を通したのち、同封された書類の該当する欄に、署名と指定した日時をお書きください」
美女が差し出したのは、簡素な封筒であった。
「そ、それだけのためにここへ?郵便とか、スマホでのやり取りじゃあだめだったんですか?」
「第三者が介入しやすい現代情報社会において、機密情報を安全に共有するには実際に面会をしたほうが最良と判断したまでです」
訝し気な母さんからの疑問にも、美女は眉一つ動かさず淡々と答える。
「それでは、ひとまず私は用を終えたので帰ります。署名を要する書類以外はこちらのシュレッダーで処理しておいてください。どちらも後日回収しに来ます」
美女はどこから取り出したのか、シュレッダーをカウンターに置いた後、「それでは」と簡単に挨拶を済ませて店を後にする。
「何だったの、いったい……?」
「さぁ…………?」
嵐……というか木枯らしのように去っていった女性を見送る僕と母さんは、ただその場で茫然としていた。
その時手渡された、一つの封筒。
それが、僕が迎える運命――よもや、これからの人生を大きく変えるものになるとは予想だにしないまま、僕は残された余暇を呑気に過ごすのだった。
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