第15話

「正確には、古都子っぽい形をした影だ」


「影? 幽霊じゃなくて?」


「ちらっとしか見えなかったから、よく分からなくて」




 晴臣の眉間に皺が寄る。


 必死に思い出そうとしているのだ。




「幽霊の正体は、枯れたススキだと言うだろう? だから俺も、何かを見間違えたのだと、最初は思った」




 古都子は、うんうんと頷いて話を促す。




「だけど、古都子に会いたいと願うたびに、それは現れた。次第に、これは古都子の生霊なんじゃないかと……」


「いやああああ!」




 途端に怖さが増した。


 


「やだ、晴くん、私の生霊なんて召喚しないで!」


「多分、生霊じゃないよ。話を聞いて分かった。それが魔法だったんだって」


 


 そうだ、魔法の話をしていたのだった。


 古都子も、はっと気を取り直す。


 


「影とか生霊とか、私たちじゃはっきり属性が分からないから、今度ユリウス先生に聞きに行こうよ」


「ん」




 魔法が発現していないと思われていた晴臣だったが、どうやら知らぬ間につかっていたらしい。


 しかもそれが、古都子に会いたいと願ったからだなんて、嬉しくてしょうがなかった。


 古都子は初めての魔法で、蕪を抜いた話をしてしまった自分が恥ずかしい。




(女子高生になったのに、私の中身って中学生のまんまじゃない? 16歳になれば、自然と女らしくなるかと思ってたのにな)




 ちょっぴり反省していた古都子へ、晴臣が何かを差し出す。




「これ、誕生日プレゼント。ちょっと早いけど」


「え!」




 俯いていた古都子は、がばりと晴臣へ向き直る。


 晴臣の手のひらの中には、ビロードの青い巾着がある。




「初めて魔物討伐に参加して、稼いだお金で買ったんだ」


「魔物討伐? 晴くん、そんなことしてたの?」




 すでに古都子は、『魔物について』を読み尽くしている。


 いかにこの世界の魔物が、危ない存在なのか知っているのだ。


 古都子の顔色を見て、晴臣は安心させるように言葉を続ける。




「ちゃんと戦うときは、兵団長たちに護られていたよ。俺の面倒を見てくれた人なんだ」


 


 晴臣の表情から、それがいい出会いだったのだと分かる。


 肩から力を抜き、古都子は改めて晴臣の手のひらを見た。




「ありがとう。毎年、晴くんからの誕生日プレゼント、楽しみにしてるんだ」


 


 そっと、巾着を受け取る。


 小学生のときは文房具が多かった。


 一度だけ、小さなうさぎのぬいぐるみをくれて、古都子はそれを枕元に飾っていたものだ。




「開けてみてもいい?」


「ん」




 柔らかな感触がするビロードの口を開く。


 中から出てきたのは――。




「これ、髪飾り、だよね?」


「ん」




 市場で会った女店主が話していた宝飾品だ。


 やっぱり、あの話に出てきたのは、晴臣だったのではないか。


 薄紫色をした小さな輝石が、たくさん散りばめられている髪飾りは、きっと古都子の黒髪に映えるだろう。




「ありがとう、すごく嬉しい」


「この髪飾りを見てたら、紫陽花を思い出した。古都子が好きだと、言っていたから……」




 恥ずかしくなったのか、晴臣が小声になる。


 やはり宝飾品は、プレゼントの中でも特別な気がする。


 幼馴染から一歩、関係が進んだのではないだろうか。




「晴くん、私、これ毎日つける」


「ん」




 顔を赤くしたふたりは、それからぎくしゃくと復習の続きを始めた。


 そんなふたりの周りを、雲母に反射した優しい光が、取り巻いていた。




 ◇◆◇




「ユリウス先生、私、ずっと魔法が発現しなくってえ……」




 古都子と晴臣が、放課後にユリウスの教務室を訪ねると、どうやら先に相談者がいるようだった。


 古都子と晴臣は互いの顔を見合わせる。




「どうしよう、出直す?」


「ん」




 そしてふたりがその場を後にしてからも、相談者の声は続いた。


 


「おかしいですよね? 異世界人だからでしょうか? よかったら魔法のことを、私に教えてもらえませんか?」




 いつもより、一オクターブは高い声だったので、古都子たちは気がつかなかったが、この声の持ち主は結月だ。


 新年度から赴任してきたユリウスの顔の良さと地位の高さに目をつけた結月は、こうして頻繁にユリウスに声をかけては色目をつかっていた。




「ユヅキさん、少し離れてください」




 しな垂れかかっていた結月を、ユリウスは冷静に押し戻す。


 何度も話しかけられているうちに、ユリウスにもなんとなく、結月の目的が分かっていた。


 ユリウスにはすでに婚約者がいるのだが、それでも諦めない女性は多い。


 結月に期待を持たせないよう、ユリウスは落ち着いた声音で話す。




「ユヅキさんには、わずかですが魔力の残り香があります」


「どういうことですか?」




 ユリウスの教務室へ相談に来たのは建て前で、本気で悩んでいた訳ではなかったのだが、結月は魔法がつかえないことには劣等感を抱いていた。


 もしも魔法がつかえるならば、雑用係なんて閑職から解放される。


 だからユリウスの言葉に、結月は期待を高まらせた。


 


「おそらく以前、魔法をつかったのでしょう。ですが――」




 ユリウスが言葉を詰まらせる。


 結月は嫌な予感がした。




「今は魔力が空っぽです」


「空っぽ? でも、この世界の人は、魔力切れを起こしても、また、溜まりますよね?」




 結月もこの世界で三年間を過ごしている。


 魔法に関する知識がないわけではないのだ。




「分かり易く言います。魔力が器のようなものに溜まると想定しましょう。魔力を使い切ってしまっても、時間経過や気力体力の回復によって、ふたたび器に魔力は溜まります。ですがユヅキさんの場合、器が割れているのです」


「割れて……」


「何か、大きな魔法をつかった代償でしょう。思い当たる節はありませんか?」




 結月は回想する。


 この世界に飛んできたのは、結月が何かにつまずいたせいで起きた、大爆発が原因だ。


 理科実験室にはガス管があったから、これまではガス爆発だと思っていた。


 だが、あの日、室内でガスの匂いはしなかった気がする。




「もしかして……あれが私の魔法だった?」


 


 白い光が視界いっぱいに広がった瞬間、ものすごい爆風で飛ばされた。


 結月はそれをユリウスに説明する。




「光の大魔法かもしれません。どうして異世界でユヅキさんに魔法がつかえたのかは不明ですが、そのせいでこちらの世界と繋がったのでしょう」


「じゃあ、私の魔法は、それっきり……」




 ユリウスは慎重に頷いた。


 呆然自失の結月を哀れだとは思うが、ユリウスに出来ることはもうない。


 このままここで泣き出されては、あらぬ噂が立ってしまう。


 そっとユリウスは結月を支え、教務室の外へと導く。




「こちらの世界でも、たまにあることです。魔法がつかえなくても、生きていくのに困ることはありません。どうか気をしっかり持ってください」




 そしてゆっくりと扉を閉めた。


 しばらく結月は、ユリウスの教務室の前から動けずにいた。


 すると、犬猿の仲であるリリナとその取り巻きたちが通りかかる。




「やだ、結月先生ったら、ユリウス先生に媚びを売ってるって噂、本当だったんですね」


 


 教務室から追い出されたと分かる結月を、嘲笑するリリナ。


 それをギッと睨みつけるが、結月は衝撃をうけたばかりで覇気がない。


 興が乗ったのか、リリナは調子づく。




「教務室にまで押しかけるなんて、はしたない。みなさん、そう思いますよね?」




 リリナに促されて、取り巻きたちはここぞと囀りだす。




「とても私たちには真似できませんわ」


「そもそも、ユリウス先生には、婚約者がいらっしゃるのに」


「隣国の王女さまですよね。身分的にも相応ですわ」


「年増の異世界人なんて、相手にされるはずもないでしょう」




 クスクスと笑う取り巻きたちに、リリナは満足げに頷いた。


 そして結月へと、最終通告を言い渡す。




「結月先生、これ以上、私の邪魔をするなら、両親へ言いつけますから。ただの異世界人と、子爵家の養女になった私と、どちらが上なのか分かりますよね?」




 上下関係を教えてやると意気込んでいた結月だが、結果は逆転した。


 一回りも年下のリリナに愚弄されて、結月のこめかみに青筋が浮かぶ。


 しかし、何もできなくて、下唇を噛みしめた。


 そんな結月の悔しがる顔を舐めるように眺めてから、リリナは高笑いと共に去っていく。




「許さない。あいつ、絶対に許さない」

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