第3話
独立起業する事にした。だが、どうすればラーメン店を開業できるのか?
ボクは、ネットでその方法を検索しまくった。
店を借りるのに、毎月の家賃の他に多額の保証金がいる事を知った。
そして、保証人も必要だというも分かった。親に頼むのは気が引けた。一
人暮らしの経験のない世間知らずなボクには、家を借りるのは額が違うだけでDVDをレンタルするのと同じような感覚しかなかった。
その他に、厨房機具の高額さに驚き、保健所への届けなど煩わしい事務手続きも必要なのを思い知らされた。
一つ一つやっていくしかない。
まず店だが、前にラーメン屋だった居抜きという店舗を借りれば、厨房設備をその
まま利用できる事を知った。
家賃についても、リーマン・ショック以来の不況化で値下がり傾向にあり、保証金を積まなくても家賃のみの月貸している物件のある事も分かった。
一ヶ月の間、不動産屋のサイトを探したあげく、都心から離れた場所の潰れたラー
メン店の居抜きを見つけた。
下見に行った。再開発とかで、三ヶ月後に立ち退きを迫られている物件だった。
期間限定のわけあり物件なので、取り壊すまでの賃貸契約だった。
近所にはコンビニもなく、畑があるような閑散とした住宅地だった。
寂れた場所だったが、味さえ良ければ客は付く。
金を払って、身元保証代行業者の保証人を立て、保証金無しの家賃15万円で借りた。
役所への開業届けや保健所への申請は、ネットで開業している行政書士に頼めば、自身が動かなくても可能だった。
定期券を購入して、1時間かけて電車を乗り継いで仕事場に向かった。
両親には、新しいバイトを見つけたと説明していた。
テーブルや椅子をホームセンターで買い足し、内装のクロスを張り替えたりした。
厨房を自分に使い勝手のいいように、レイアウトを変えた。店内設備の配置が決まると、つけ麺作りに取りかかった。
まずは、命であるスープだ。前日に浸しておいただし汁に、干しシイタケ・アジ干し・焼きアゴ・干しエビ・スルメなどを潰して混ぜた魚粉を入れる。
それを豚の骨と共に、ニンニク・ショウガ・ネギと隠し味の日本酒で8時間ほどじっくりと煮込む。
何度も漉した後、最後にカツオブシを入れて十分になじませるために一晩寝かす。
次は、麺の番だ。
かんすいと呼ばれるアルカリ水に、打ち粉と塩と卵の黄身を混ぜ合わせて塩水を作
る。
ヒキコモリ時代に散々試して確立した配合比を元に、強力粉と薄力粉を混ぜ合わせ
る。
これを、先に作った塩水にむらなく攪拌する。寝かせて固まった生地を丸めて、ゆっくりながらも力強くこね上げる。
徐々に延ばしたパスタのような麺を、太めに包丁でサクサクと切り分けていく。
最後に、麺の10倍以上の湯で三分キッチリ茹で上げる。
具の無いつけ麺なので、薬味に凝った。約30種類を作り、毎日異なるモノに工夫した。
毎日食べても飽きないように、日によってラーメンスープが別の味に変化するとい
う仕掛けだ。
一麺入魂、身を削る思いで魂を込めて作った。
ネット投資をやるのに比べれば、実際に額に汗して働いている充実感があった。
スープの出汁をとり、麺をこね終えるまでに一週間を費やした。
朝早い生活には、まだリハビリが必要なので、無理をせず昼頃起床した。
午後2時過ぎに店に入って、仕込みを始める。
3時間余りをかけて、スープの調合と麺打ちを行ない、その日の薬味を準備する。
ラーメン作りは、店で客に出す前の工程に時間を要した。
調理に集中するため食券の販売機を置いた。
お愛想する際、勘定の釣り銭のやりとりをしていたら、そのたびに手を洗い直したりして調理が中断されてしまう。
この辺は、コスト削減重要視でチェーン展開していた前のバイトでの営業方針を真似た。
店の名前も決めず、看板も出さなかった。
一人なので、営業中は他に余裕などないと思ったので、電話も引かなかった。
スープや麺などの素材はネットで購入していたので、電話で話す相手もいなかった。
ただ、ラーメン屋である事は周知しなければならない。
自動ドアではない出入口のガラス戸に、〝つけ麺500円〟とマジックで手書きした紙一枚を張り出した。
営業時間は夕方5時半から10時半までとした。
それには理由があった。
3分に一杯のペースで、一時間に二十杯作るのが限界だからだ。
5時間ぶっ続けで、一日百杯を上限とした。
閉店後の後片付けなどの時間を考慮すると、終電ギリギリだった。
一杯500円のつけ麺を、一日百杯作れば五万円になる。
週に一日休日をとれば、月25日で125万円の売上げになる。
原材料費を引くと、37万5千円が残る。
原価率は70%というコスト高になっていた。
その中から、家賃の他に光熱費と水道代、それに交通費を差し引くと、手取りは20万円だった。
ネットのFXで得るアブク銭と同額だ。
仕込み時間を入れて時給換算すれば、以前に働いていたバイト代より悪いかもしれない。
原価を落とせば、もっと利益率を上げられたが、味には妥協できなかった。
儲けのためだけなら、ネットでの投資で十分だ。
社会と繋がりを持ちたいと思えばこその起業だった。
客に出すラーメンには自信があった。が、問題はボクが対人恐怖症だという事だ。
以前のバイトで、〝いらっしゃいませ〝、〝ありがとうございました〟は言えると思うが、客に自分の表情を読み取られるのが怖かった。
そこで、ボクは覆面をする事を考えた。
プロレスラーがつけるような目と口の部分が開いたマスクを、ネットで買った。
マスクをかぶって店先に立つボクは、それ自体かなり奇異に映るだろう事を予想しながらも、素顔を見られるより楽だと、その時のボクは思っていた。
ここは、ボクにとってのリングだと思えばどうという事はない。
マスクをつけた自分には客が見えるが、客のほうはマスク越しの仮装したボクを見ているに過ぎない。
ピエロの姿は見えても、その素顔は見えないのと同じだ。
素顔で裏口から店に入り、調理場に立つ前にマスクをかぶって入念に手を洗った。
スパイダーマンのように、ヒーローに憧れていたのかもしれない。
店を開いた。
味には自信があったが、マスクをしたボクを見て逃げ出すかもしれない。
最初の三日間、閑古鳥が鳴いていた。
当たり前だった。
広告を出したり、チラシを配るなど新規開店の告知を何もしなかったのだ。
マスク姿で一人、店にポツンといる自分が道化のように思えた。
甘かった。
商売をなめていたわけではないが、厳しい現実を突き付けられた気がした。
所詮は武士の商法だったのか…
最初の自信は薄れ、慣れぬ事をやった無謀な自分に後悔の念がもたげてきた。
一日百杯などと、捕らぬ狸の皮算用に自己嫌悪に陥った。
駄目元だと開き直った。
相場の経験から、引き際が大事だと考えていた。
いつ潰れても大損しないようにと考えての短期勝負のラーメン店の経営だ。
潰したからといって、命を取られるわけでもない。
そして、四日目だった。
夜10時を過ぎて、今日も誰も来なかったと諦めて店を閉めようとした時だった。
一人の酔っ払いのオジさんが、フラッと店に入って来た。
「いらっしゃいませ」
マスクの姿のボクを見て、一瞬ギョッとした風だった。
「ここは、ラーメン屋か?」
オジさんが聞いた。
「つけ麺専門です」
ボクは、凛として答えた。
「オマエが作るのか」
オジさんが、横柄に言った。
ボクは内心ムッとしたが、そこは我慢した。
マスクのお陰で表情を悟られなかった。
「一杯食わせろ」
オジさんがテーブルに座った。
「食券を先に購入して下さい」
ボクは、説明した。
「ボロッちいチンケな店のくせに生意気な事を言うな。まず、食ってからだ」
オジさんは、ケチをつけながらゲップをした。
会社の宴会かなんかでだいぶできあがっているようだ。
帰宅前に、しめのラーメンが食べたくなったのだろう。
「俺は客だぞ。美味かったら金を払ってやる。バカヤローめ」
ボクが水をコップに注いで出すと、オジさんは一気に飲み干した。
どんぶりにスープに入れ、ザルの上に湯切りした麺、薬味を小皿を載せて初めての客にうやうやしく出した。
「タマゴ入れてくれ」
オジさんが、ボソリと言った。
「具材はありません」
「しょうがねえな」
ブツブツ言いながらもオジさんは、割った箸を擦り合わせる仕草をした後、つけ汁に麺と薬味を乱暴にブッコむとかき込むように無言で食べた。
「やるじゃねえか」
オジさんは、夢中で食べた。
「いくらだ」
汁を飲み干し、一気に完食した。
「500円です」
ボクは、遠慮がちに答えた。
「んなわけねーだろ」
オジさんは、財布をまさぐった。
「そら」
と言って、千円札を出した。
ボクは、札を食券の販売機に入れて、釣り銭を渡そうとした。
「バカヤローッ。一度出したモノを受け取れるか」
オジさんは、怒鳴った。
「でも…」
「いいから、とっとけ」
オジさんが席を立ち、出入口を開けた。
「オマエはレスラーか?」
戸を閉める寸前、振り向き様にオジさんが聞いた。
「いいえ」
「じゃ、何でそんなもんかぶってる。客に失礼じゃねえか」
「すいません」
「まあ、うまかったら許す」
バシャンと戸が閉まった。
「ありがとうございました」
ボクは、心を込めて初めてのお客様に礼を言った。
翌日は三人、客が来店した。
近くで、たまたま電話工事をしていた通りすがりの作業員だった。
「何だぁ」
「マスクマンがいるぞ」
「アホか」
ボクのマスク姿を見て、笑って小ばかにしていたが、出されたつけ麺を食べると絶賛してくれた。
翌々日は、買い物用カートを杖代わりに押しながら一人のお婆さんがやって来た。
「いらっしゃいませ」
「本当に500円なのかい」
お婆さんは、よっこらせと言いながら椅子に座りながら言った。
「はい」
テーブルを拭きながら、僕は答えた。
ガマ口から百円玉と十年玉を探し当てると、苦労して食券を買った。
「ご馳走さまでした」
入れ歯で食べ辛そうだったが、帰り際、曲がった腰をさらに曲げて言ってくれた。
休日をはさんで、翌週からは一日10人ほどが来店してくれるようになった。
「ここ、値段の割にうめぇんだよ」
週末になると、最初の客であるオジさんが、会社の部下を大勢連れて来店してくれた。
一ヶ月が経ち、一日の平均来店者数が50人を超えるようになっていた。
マスクラーメン 不来方久遠 @shoronpou
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