第29話 ■
「ドキドキするね~♡」
「えっ?」
「映画♡ かなり怖いって話題になってるらしいよ」
軽食系を買って、座席に腰かけたところで、陽咲にそう告げられた。彼女の言葉に適当な相槌を打ちつつも、内心ではドッキドキだ。
映画が怖いというのももちろんあるが、比重としては先ほどの陽咲に言われたことの方が大きい。
――あたしがあんたの初めて全部、奪ったげる♡
それってつまり、
ノリのいい陽咲のことだ、その言葉にウソ偽りはないだろうし、これまで積んだえっちな経験が言葉に深みを持たせてもいる。
てことは、だ。この美人過ぎる女友達が、童貞を卒業するための相手になってくれるってわけで――。
「あははっ、春風ったら身体震えっぱなしじゃん♡ やっぱ怖いんでしょ~?」
「っ、い、いや……平気だけど? これはシバリングってやつだし」
「へーぇ? そーなんだぁ……じゃあ――えいっ♡」
「――っ!?」
隣からするっと伸びてきた手のひらが、俺の手に重ねられた。それをうっかりと呼ぶには接触時間が長く、肌と肌が隙間なく触れあっていて。
折り曲げられた指先が、指と指の隙間に絡んでくる。
こんなのはたから見たら、恋人同士のやり取りでしかないってのに。
コイツだってきっと、わかってるはずなのに。
驚きとともに振り返れば、慈愛に満ちた瞳がこっちに向けられてて、
「あたしの手、温かいでしょ……? 寒いんなら、ホッカイロ代わりに使ってね」
「……あぁ」
どこまでもノリがよくて、友達思いのコイツだからこそ、勘違いせずに済むというもの。
俺はそんな女友達の気遣いに心までぽかぽかとさせながら、そっと手のひらを握り返す。
すぐさま館内が暗くなり、シアターに映像が映し出されていく。
おどろおどろしいBGMも、じりじりと迫ってくる恐怖感も、いまの俺なら怖くはない。
だって隣には、心から信頼できる女友達がいるんだからな――。
「――めっっっちゃ怖かったんだけど……!」
映画館をあとにした陽咲は、俺の腕にしがみつきながら、足を生まれたての小鹿状態にしていた。顔はすっかり青ざめ、目尻には涙すら浮かんでいる。
その様子は非常に滑稽ではあったが、笑ってはいけない。俺は努めて平静さを装いながら、陽咲に話しかけた。
「確かに怖かったけどさ……いくらなんでもビビりすぎだろ」
「なんでそんな平然としてられんの!? ――あ、もしかしてちゃんと観てなかったんじゃ」
「見てたに決まってるだろ」
お前をな、とは口が裂けても言えない。
隣でコロコロ表情を変えたり、可愛い叫び声をあげてる姿が面白くて、ずっと見てました、なんて口にしたらどうなることやら。
「そ、そっか……んー、計画通りにいかないなぁ……」
「陽咲? 計画ってなんだ?」
「っ、なんでもない! なんでもないから!? ――あっ! もうお昼だしなんか食べに行こ? ほらほら~!」
「えっ、あぁ……」
慌てた様子の陽咲に腕を引きずられながら、大通りを歩く。
近場にはいろんな飲食店があり、昼どきだからかどこも活気にあふれてるな。
「それで、どこで食べるんだ? 回らない寿司屋か? 三ツ星レストランか?」
「あたしにそんな金銭的余裕ないから。でも春風がどーしてもっていうんなら行くけど♡」
「……仮に行ったとして、お金はどうするつもりだよ」
「……」
俺の問いかけに陽咲は思いつめたような表情をしながら、指先で胸元を引っ張ってみせる。
そのせいで深い谷間がさらにあらわとなり、ついついごくりとのどが鳴った。
でもそれ以上に、この動きは……まさか!?
「おいっ、バカやめろ――! 俺のために身体で支払おうだなんて考えなくていいから!!」
「え~? 春風ってばなに言ってるの?」
「なに、って、そんなの」
「ただ暑かっただけなんだけどな~? 身体で支払う、ってどーいう意味なのかなぁ~? あたし、気になるなぁ~♡」
ずいっと顔を寄せて、小悪魔のような笑みを浮かべる陽咲。反応からして、からかわれたのだと気づいた。
まさか、ハメられるんじゃと心配してた俺の方が嵌められるとは。ほんっとに油断も隙もないなこの女は……!
「ねねっ、早く教えてよ♡ あたし
「――言ったな? 言質は取ったぞ。帰ったら手取り足取り腰とり教えてやるから覚悟しとけよ」
「うん♡ ……立場は逆になっちゃうけど、結果オーライかな……♡」
なにやら横でブツブツ言ってるが無視し、陽咲を引っ張って進んでいく。もう考えるのもめんどくさいので近くのファミレスに入ることに。
お互いが向かい合うような位置に座り、メニューを開く。それぞれの注文を済ませたところで、コップに入った水をぐいっとあおる。
それでも……身体の火照りは収まらない。むしろ下腹部の熱は増すばかりで。
どこかべつのところに意識を向けていないと、がっつり反応してしまいそうだ。
それもこれも、陽咲に啖呵を切ってしまったのがいけない。
からかいに対する仕返しとはいえ、もっと慎重になるべきだった。
「はぁぁ……」
「なにしてるの? はやく食べないと冷めちゃうぞ~?」
「ん、あぁ、そうだな」
陽咲に急かされ、運ばれてきたハンバーグを口に運んでいく。美味いんだろうが味がさっぱりわからない。
チラと正面を見れば「おいひぃ♡」と幸せそうな表情でオムライスをほおばる女友達がいて。
彼女のピンクに色づいた唇やら、服越しにでも大きく弾む胸元やらに視線が向いてしまう。じろじろと舐めるように見てしまう。
だって、家に帰ったら、俺はコイツと……。
「はぁ~♡ 美味しかったね♡」
「だ、だな」
お互いに料理をぺろっと平らげ、支払いを済ませ、店を出る。流れでするりと、陽咲が腕にしがみついてきた。
豊かな胸がこれでもかと押しつけられ、俺の残りカスみたいな理性が吹き飛びかける。
ダメだ、落ち着け、でも、我慢できない、俺はすぐにでも陽咲と――、
「――あっれ~? そこにいるのって春風じゃね?」
瞬間、その言葉と、その声音に、肌が粟立ち。
俺の視界が急速に、狭まっていくのを感じたんだ。
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