第3話 バレンタインデー
翌月のバレンタインデーの夕方、明彦は自分の部屋のベッドでごろごろしていた。
恵子がガチャリとドアを開けて入ってきた。ノックをしなかった。無言で恵子は明彦に近づいた。明彦はあわてて起き上がった。
「明彦、バレンタインのチョコレートをあげる」と恵子はおもむろにチョコレートらしき箱を差し出した。
「姉さん、ありがとう。義理チョコでもうれしいよ」と明彦は箱を受け取った。
「義理じゃないわよ」と恵子は真顔で答えた。
「え?」と明彦。
「本命よ。そのチョコ」と恵子。
「ぼくに?」と明彦。
「そうよ。愛の告白よ」と恵子。
「ぼく、弟だよ」と明彦。
「そうよ。それがどうかしたの?」と恵子は無表情で言った。
「弟に本命チョコって、どういうこと?」と明彦。
「あなたを愛してるってことよ」と恵子。「わからないの?」
「ぼくも姉さんのことは好きだけど」と明彦。「弟では恋人になれないと思うけど。」
「なぜかしら?」と恵子。
「だって、姉弟は結婚できないって法律で決まってるって」と明彦。
「だから何?」と恵子。「法律で決まってるから、わたしの愛を受け入れられないって言うの?」
「そう言うわけじゃないけど」と明彦。
「だけど何?」と恵子。「私は勇気を振り絞って愛を告白してるのよ。それを無下にする気?」
「そんなつもりはないよ」と明彦。
「じゃあどういうつもり?」と恵子。「わたしのことをどう思ってるの?」
「姉さんのことは大好きだよ」と明彦。
「わたしのこと、好きでも嫌いでもないってお母さんに言ったそうね」と恵子は冷たく言った。
「あの時はそう思ったんだ」と明彦。「でも今は違う。」
「何が違うの?」と恵子。
「だって、今は姉さんが大事な人だって思うから」と明彦。「しばらく口をきいてもらえなくて、さみしくて、悲しくて、姉さんのことが好きなんだって気が付いた。」
「どんなふうに好きなの?」と恵子。「言って。」
「いつも優しくて好きだよ」と明彦。
「だめよ」と恵子。「そんな答えじゃ許さないわ。わたしの愛に答えてない。」
「ぼくも姉さんを愛してる」と明彦。
姉の恵子はよく明彦をからかうことがある。だけど今回はいつもと違うと感じた。
「そう」と恵子。「どんなふうに愛してるか言って。」
「どんなって……」と言いながら明彦は自分のボキャブラリーの中から答えを探した。「女性として愛してます。」
「本当かしら?」と恵子。
「本当だよ」と明彦。
「そう。ならいいわ」と恵子。
明彦は、やっと解放されると思い、ほっとした。だが、それもつかの間のことだった。恵子はベットのへりで明彦の隣にぴったりとひっついて座った。
「証拠を見せてもらうわ」と恵子。
「証拠?」と明彦。
「そうよ。愛の証拠よ」と恵子。「わたしにキスして。」
「キス?」と明彦。
「わたしを愛してるんでしょ?」と恵子。「できないの?」
「ぼくはキスなんて……」と明彦。
「したことないの?」と恵子。
「うん」と明彦。
「知ってるわ」と恵子。「したことがあったらただじゃすまさないわ。」
「そうなの」と明彦。
「そうよ」と恵子。
明彦は、恵子の振る舞いが冗談事ではないことがだんだんとわかってきた。
「冗談だと思ってたの?」と恵子。
明彦は心を読まれたかと思って少し焦った。「そんなことないよ。」
「そうかしら?」と恵子。「ならわたしにキスをして。初めてで下手くそでもいいのよ。あなたの真剣なキスが欲しいの。」
明彦はもう逃げられないと思い、心を決めた。正月以来の気まずい雰囲気が続く中、姉に嫌われたくない。
明彦はゆっくりと姉に顔を近づけて、姉の唇に自分の唇を触れさせた。そしてすぐに離した。
「何それ?」と恵子。「全然だめよ。」
「下手でもいいって」と明彦。
「やり直して」と恵子。「もっとちゃんと唇を重ねるのよ。」
明彦はもう一度、姉に顔を近づけた。唇の厚みがわかるくらいにぴったりと密着させた。
「だめよ」と恵子。「愛を感じないわ。」
明彦は泣きそうだった。
「もっとぎゅっと抱きしめて。奪うように力強くキスして」と恵子。「それから舌をわたしの口の中に入れて。」
明彦は恵子に抱きついた。そして恵子の頭を押さえるようにして唇を重ねた。目を強くつぶったまま、明彦は舌を恵子の口の中に入れた。明彦の舌が恵子の舌に触れた瞬間、びくっと衝撃を受けて思わず恵子に抱きついた。
そのまま恵子を押し倒し、舌を絡ませ続けた。
明彦はふと我に返り、よだれだらけの顔をあげた。
組み敷かれた恵子と目が合った。恵子は明彦の顔を両手で抱えて、「最高のキスだったわ」と言いながら、明彦の顔を自分の胸に押し当てた。
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