第4話 竜男と葉子、それぞれの決意

 久美子との情事を満喫した石井は、興奮冷めやらぬまま帰宅した。

 深夜0時を回っていたため、葉子はもう寝ていると思ったのか、ダイニングの明かりがついているのを確認すると、彼は驚きの表情を見せた。


「なんだ、まだ起きてたのか?」


 石井は後ろめたさを隠すように、できるだけ自然に振る舞った。


「あなたがお腹空かせてるんじゃないかと思ってね。どう? 軽いものなら、すぐに作れるけど」


「いや。久しぶりに会った級友たちと、さんざん飲み食いしたから、ごはんはいい。それより、さすがに今日は疲れたから、もう寝るよ」


 石井はそう言うと、葉子から逃げるように、寝室へと向かった。



 翌朝、何事もなかったような顔でトーストをかじっている石井に、娘の佑香がニヤニヤしながら訊ねた。


「お父さん、昨日帰りが遅かったみたいだけど、何してたの?」


「久しぶりにクラスメイトと会ったものだから、盛り上がっちゃってさ。なかなか帰らせてもらえなかったんだよ。というか、お前なにがおかしいんだ?」


「別に。それより、その中にお父さんが好きだった人もいたの?」


「残念ながら、その人は来なかったんだ。だから、お前の考えてるようなことは、何も起きなかったよ」


 平静を装いながら答える石井に、佑香はとぼけた顔で「私の考えてることって?」と訊いた。


「それは、その……」


 言い淀む石井を見かねて、透かさず葉子が助け船を出す。


「佑香、お父さんを困らせるのも、程々にしなさいね」


「はい、はい。じゃあ、行ってきます」


 佑香がいなくなった途端、二人の間に気まずい空気が流れる。


「じゃあ、俺もそろそろ行こうかな」


 その状況に居たたまれなくなり、石井は逃げるようにダイニングから出ていった。



 その後、石井は久美子との逢瀬を重ね、二人は次第に後戻りできない関係へとなっていった。


「ねえ、私たちのこと、奥さんに気付かれてない?」


 愛し合った後のホテルのベッドの中で、久美子が訊ねた。


「ああ。妻は基本的に俺のことを信用してるからな。で、そっちの方はどうなんだ?」


「こっちは大丈夫。賢三はとっくの昔に、私に関心を示さなくなってるから。それより、このことが奥さんにバレたら、どうするつもり?」


「その時は覚悟を決めて、本当のことを言うよ。というか、俺は今すぐ言ってもいいと思ってるんだ」


「それって、奥さんと別れて、私と一緒になってもいいってこと?」


「ああ」


「嬉しい」


 抱きつく久美子に、石井は愛おしい目を向けながら、そっと彼女の髪を撫でた。


(決めた。今夜、葉子にすべてを打ち明けよう。今まで尽くしてくれた彼女には悪いが、俺はもう久美子のことしか考えられない)


 そう決意した石井は、帰宅するなり葉子を探したが、彼女の姿はどこにもなかった。

 今まで彼女が夕方以降に家を空けることはほとんどなく、怪訝な面持ちでなおも探していると、キッチンのテーブルに便箋が置かれていることに気付いた。

 石井は葉子の字で書かれたその便箋を手に取ると、不安に駆られながら目を向けた。


『竜男さんへ あなたと結婚して早16年。その間いろいろなことがありました。

その中で一番大きな出来事といえば、やはり佑香が産まれたことですね。

時々嫉妬するほど、昔からあなたべったりだった彼女は、今ではあなたに生意気な口を利くようになったけど、それも含めて可愛くて仕方ありません。

そんな彼女の悲しむ姿を見るのは心苦しいのですが、私はあなたと別れる決意をしました。同窓会から帰った夜、あなたの様子が変だったことにすぐに気付いたけ ど、その理由を聞く勇気が持てず、今日までずるずると過ごしてしまいました。 

あなたが好きになったのだから、その女性はとても素敵な人なんでしょうね。

どうかその人と幸せになってください。

P.S. なんの取柄もない私と結婚してくれてありがとう。この16年間、私はとても幸せでした。佑香は私が立派に育て上げるので、どうか心配しないでください。葉子』


(あいつ、俺が浮気していたこと知ってたのか。なのに俺を責めようとせず、自分から身を引くなんて……)


 葉子の献身的な振る舞いに、石井の目から涙がとめどなく流れた。


 




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