第4話「最初の仲間」
レイトが「金貨八百枚」と冷静に札を掲げた瞬間、会場がざわめき立った。異様な熱気が漂う中、フィアナに目をつけていた他の入札者たちが不機嫌そうに舌打ちをし、何人かは諦めて座り直す。
しかし、レイトの視線の先で、肥満で豪奢な服をまとった富豪だけは、引き下がる気配を見せなかった。彼は汗を拭いながら、目をぎらつかせてレイトを睨みつけ、声を張り上げた。
「八百五十枚!」
肥満の男の顔に下卑た笑みが浮かぶ。場内がざわめき、司会もその金額に驚きながら叫ぶ。
「八百五十枚!八百五十枚が入りました!さあ、他にいらっしゃいませんか?」
レイトはその富豪をじっと見据えたまま、表情を変えずに静かに手元の札を再び掲げた。
「九百枚。」
会場はさらにどよめく。周囲の客たちは半ば呆れたような視線でレイトを見つめ、競りの熱に飲まれていく。
「九百枚だと?」
「おい、あいつはどこのどいつだ?見たことないぞ」
周囲は次第にレイトを見てざわめき始める。しかし、肥満の富豪はその金額にさらに苛立ちを募らせた。もともと富裕層の彼にとって金銭は惜しむべきものではなかったが、ここまで意地になって競り合うこともなかったのだ。
だが、レイトの無表情な態度が逆に富豪の「欲」を刺激していた。どうしても、この見知らぬ若者に敗北を喫したくはないのだ。
「……くっ、九百三十枚!」
レイトは彼の焦る様子を観察し、無表情のままさらに札を掲げる。
「千枚。」
その場に沈黙が走る。司会者も言葉を失い、会場全体が息を呑んで見守っていた。富豪の顔が青ざめ、重苦しい沈黙が彼を包み込む。
富豪はぐっと拳を握り、額から滴る汗をぬぐったが、もはや言葉が出てこなかった。どれほどの金持ちでも、千枚は痛手だ。意地を張って手を挙げる気力も、とうとう失ってしまった。
「……降りる……」
小さく呟くように言い残し、富豪は肩を落として席に沈んだ。
司会者はその様子を見て、すぐにレイトの方に視線を向け、大きな声で宣言した。
「金貨千枚で落札です!こちらのお客様に、六魔将フィアナ・スカーレが売却されました!」
その瞬間、会場が大きな拍手とざわめきに包まれる。レイトは一切の感情を見せず、ただ静かに壇上のフィアナを見つめていた。彼女の鋭い金色の瞳がレイトを見据え、まるで彼を値踏みするような冷たい視線を向けている。
レイトは微かに微笑むと、内心で決意を新たにした。
「これで、おれの計画が始まる……」
オークションが終わり、レイトは奴隷商に導かれ、豪華な部屋に案内された。部屋は豪奢な調度品で埋め尽くされており、分厚い赤い絨毯が床一面に敷かれている。壁には金色の装飾が施され、大理石の柱が並び、重厚なシャンデリアが天井から吊り下がっていた。まるで王族か貴族が使うような応接室だ。奴隷商人たちは、このような部屋で取引をすることで、彼らの取引が「高貴なもの」であるかのように演出しているのだろう。
やがて、奥の扉が開き、フィアナが連れてこられた。彼女は鎖で両手を縛られ、睨みつけるような鋭い金色の瞳でレイトを見据えている。その瞳には怒りと侮蔑の色が滲んでおり、周囲の状況を一切恐れていない様子が伝わってくる。長い真紅の髪が腰まで流れ、硬く引き締まった体躯が、彼女がただの装飾品ではない「戦士」であることを物語っていた。間近で見ると、その力強さと美しさがより際立つ。
レイトは無表情でフィアナを見つめながら、傍らに置いていた大きなアタッシュケースに手を添えた。奴隷商はそのケースに視線を移し、目を細めて笑った。彼は当然、その中に金貨が詰められていると考えているのだ。
「さて、金貨千枚、確かに頂戴しますよ。」
奴隷商は目を輝かせながら、手を擦り合わせて言った。彼は今にもケースを開けようと、じっとそれを見つめている。
しかし、レイトは落ち着いた口調で商人に告げた。
「その前に、この女と二人きりで話をさせてもらえないか?」
奴隷商は一瞬、戸惑った表情を浮かべた。通常、奴隷を売買する際に二人きりで話をする必要はない。彼はレイトの意図を図りかね、少し不信感を抱いたようだった。
「……いえ、金貨を頂くのが先です。すでに落札が決まっているのですから、こちらとしては金を確認しないことには……」
商人が渋る様子を見て、レイトは冷静なまま強気に言い放った。
「金は確実に用意している。だが、こいつが本当に俺に従うかどうかを確かめるために、二人きりで話す必要があるんだ。それとも、おれが奴隷を連れて逃げ出すとでも?それはあまりにも失礼じゃないか?」
商人は眉をひそめ、さらに疑念を深めたが、レイトの冷徹な視線と自信に満ちた態度に圧され、ついにため息をついた。
「……わかりました。ただし、あまり長くはお待ちできませんよ。」
そう言って、奴隷商と護衛は渋々部屋を後にした。扉が閉まると、レイトとフィアナは二人きりになった。
フィアナとレイトが二人きりになった瞬間、部屋には緊張が満ちた。フィアナは両手を縛られたまま、レイトを冷たい金色の瞳で睨みつけている。その瞳には敵意と侮蔑の色があり、相手が誰であろうと、自分を商品扱いする者には一切屈しないという強い意志が込められていた。
レイトは一歩彼女に近づき、無表情のまま、静かな口調で話しかける。
「フィアナ・スカーレ……か。六魔将の一人、お前の噂は聞いている。」
フィアナは鼻で笑い、冷たい声で応じる。
「噂だと? 貴様のような人間が、私に何の用だ。買い物を楽しむ暇な貴族のつもりか?」
レイトはその挑発的な態度にも動じず、真っ直ぐ彼女の目を見据えた。彼女の侮蔑の視線にも怯むことなく、自分の決意を言葉にする。
「俺は貴族じゃないし、物見遊山でお前を買ったわけじゃない。俺は……この世界を変えるためにお前が必要なんだ。」
フィアナは一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐにまた冷ややかな笑みを浮かべる。
「世界を変える? 面白いことを言うな。ただの人間の分際で」
レイトはその問いに答えず、逆に彼女に問いを投げかける。
「お前は、ここで腐るつもりか? かつて魔王に仕えた六魔将が、奴隷として人間に従うのを良しとしているのか?」
フィアナの目が一瞬鋭く光る。彼の言葉が彼女の誇りを刺激したのが分かった。彼女は、あの戦争で魔王を失った今も、自分の誇りと忠誠心を失っていない。その鋭い瞳が再びレイトに向けられる。
「貴様……もう一度言ってみろ。そのときは必ずお前を殺す」
レイトはうっすらと微笑み、真剣な眼差しで彼女に告げた。
「安心したよ、おまえの目はまだ死んでないようだな。おまえと会えたのは幸運だった。」
レイトは手元のアタッシュケースを開けた。その中には金貨千枚どころか金貨が五枚ほどしか入ってなかった。その中から一枚取り出した。その様子にフィアナが少し首を傾げると、レイトは金貨を掌に載せ、心の中で「天秤」のスキルを発動させた。
「……代償に、手枷の鍵を。」
彼の意志に応じて、金貨が淡い光に包まれ、形を変え始める。フィアナは驚きと共にその光景を見つめ、次第に金貨が小さな鍵の形へと変わっていくのを目にした。
「俺と共に来るかはお前の意志に任せる。だが、俺はこの世界の理不尽を変える覚悟がある。俺と共にこの世界を変えるか、それとも屈辱に耐えながら奴隷として朽ちるか……選ぶのはお前だ。」
フィアナはレイトの言葉をじっと聞き、彼がただの貴族や商人とは違うことを感じ取ったようだった。彼女の瞳に一瞬、興味が宿り、わずかに表情が柔らぐ。
「……貴様、ただの人間ではないな。」
レイトは無言で鍵を手に取り、フィアナの前に差し出した。
「お前の自由は、お前自身で掴み取れ。」
フィアナはその鍵をしばらく見つめていたが、やがて自らの両手で鍵を掴み、手枷の鍵穴に差し込んだ。カチリと音を立てて手枷が外れると、彼女は自由になった手で手首をさすりながら、静かにレイトを見上げた。
「……もし私を自由にしたところで、貴様に従うとは限らんぞ。」
レイトは小さく頷き、再び彼女に告げた。
「俺はお前を従わせるつもりはない。お前が俺と共に戦い、この世界を変える意志があるならば、その力を貸してくれ。」
フィアナは再び鋭い目でレイトを見据え、そして微かに微笑んだ。その微笑みには、かつての魔王に忠誠を誓った戦士としての誇りが戻っているように見えた。
「……よかろう、見せてもらおう。貴様の覚悟とやらが本物かどうかをな。」
奴隷商は豪華な部屋の外でイライラした様子で待っていた。高額で落札された六魔将フィアナと、謎めいた青年レイトの二人きりの会話を許したものの、やはり不安を拭えずにいる。
「一体、何を話しているんだ……」
奴隷商は何度か時計を見たり、廊下をうろつきながら部屋の様子を伺っていたが、ふと部屋の中から異様な気配が漂ってきた。次の瞬間――
轟音が廊下に響き渡った。
奴隷商は驚いて立ち止まり、思わず周囲を見渡す。しばしの静寂の後、再び部屋の中から強い風が吹き出し、廊下にまでその冷たい空気が流れてきた。
「な、何事だ!?」
不安が胸をよぎり、奴隷商は慌てて扉を開け放った。中に飛び込むと、部屋はまさに混乱そのものだった。壁には大きな穴が空いており、夜風がそこから勢いよく吹き込んできている。豪奢なカーテンが乱れ、赤い絨毯がひるがえり、空気が渦巻いていた。
そして床には、フィアナの手枷が無造作に転がっていた。
奴隷商はその手枷を見て、血の気が引くのを感じた。焦って周囲を見回すが、フィアナとレイトの姿はどこにも見当たらない。二人が姿を消し、開けられた壁の穴から逃げたことは明白だった。
「逃げたのか!どうやって手枷を……!」
奴隷商は怒りと焦りで顔を真っ赤にし、廊下で待機していた護衛たちに叫び声を上げる。
「おい!すぐに奴らを追え!あの二人は壁を突き破って逃げた!早く見つけるんだ!」
護衛たちは奴隷商の叫び声に驚き、すぐに命令に従って動き出した。何人かは廊下を駆け抜け、外に向かって走り出す。他の者たちは部屋の穴から外を見渡し、風に巻かれて消え去った二人の姿を追おうと目を凝らした。
奴隷商は怒りに震えながら、フィアナを競り落としたレイトの顔を思い出し、唇を噛みしめる。
「高額で落札したばかりの六魔将を……こんな形で逃すわけにはいかん!絶対に見つけ出して、二人を捕らえろ!」
その叫びと共に、奴隷商の屋敷中に緊急事態を知らせる鐘の音が鳴り響き、護衛たちが次々と動き出した。
夜風が冷たく吹き抜ける中、フィアナはレイトを背負い、街の屋根を伝って疾走していた。彼女の動きは音もなく、身軽で、まるで風そのもののようだった。赤い長髪が夜の闇に揺れ、獣人の鋭い感覚で周囲を警戒しながら進んでいく。
背中にしがみつくレイトは、目の前で繰り広げられる異世界の光景に驚きと恐怖を感じていた。ビルやマンションの屋根を越えたことのない現代人の彼にとって、夜の屋根の上を跳び渡るこの経験は非現実的で、心臓が高鳴りっぱなしだった。
フィアナが小さく鼻で笑い、皮肉たっぷりに言う。
「偉そうなことを言っておきながら、このざまだとはな。『世界を変える』なんて大口を叩いておいて、こうして女に背負われて逃げる羽目になるとは。」
レイトはその言葉に少しムッとしたが、動く屋根の上で反論する余裕もなく、できる限り冷静な声で答える。
「……悪いが、俺には戦闘能力がないんだ。こうやって移動するのは、どうにも慣れてなくてね。」
そう言いながらも、彼の手はしっかりとフィアナの肩にしがみついている。彼女の力強い背中を感じつつ、揺れに合わせて必死にバランスを取っていたが、恐怖が込み上げてきて無意識に彼女の腰のあたりを掴んでしまう。
「きゃっ、おい!どこを触っている!」
フィアナが鋭い声で言い放つと、レイトは顔を赤くして慌てて手を引っ込めた。
「す、すまん!……でも、落ちたらひとたまりもないんでな……」
今、きゃっって言ったか……?
フィアナは呆れたようにため息をつき、再び前方を見据えて跳躍を続ける。まるで人間を背負っていることがまったく負担になっていないかのように軽やかに移動する様子に、レイトは驚きを感じつつも、彼女の実力を改めて実感していた。
しばらく街を抜けるために屋根伝いに走った後、フィアナが問いかける。
「で……どこへ向かえばいい?このまま無計画に逃げ回る気か?」
レイトは少しの沈黙の後、落ち着いた声で答えた。
「……この街を抜けた後、俺たちは元魔王領に向かう。」
フィアナは意外そうな顔をしてレイトを振り返った。彼女の金色の瞳には、少しばかりの疑念と興味が浮かんでいる。
「元魔王領?あそこは今や人間に支配された荒地だぞ。」
レイトは彼女の肩越しに前方を見据えながら、静かに答えた。
「理由は単純だ。元魔王領ならば、今の俺たちが身を隠すには都合がいい。人間にとっては忌避される土地だし、監視も少ないはずだ。それに、まずは安全に身を隠し、態勢を整える必要がある。」
フィアナはしばらく黙っていたが、やがて小さく鼻で笑った。
「ほう……意外と考えがあるじゃないか。単なる無鉄砲な奴かと思っていたが。」
レイトは少し不機嫌そうに返す。
「無鉄砲なのはお前だろう。さっきの部屋をぶち壊して脱出するなんて……こちらのことを少しは考えてくれ。」
「文句を言うな、人間。私には私のやり方がある。お前が無力だからこそ、こうして背負ってやっているんだ。」
二人は皮肉交じりの会話を交わしながらも、息はぴったりと合っているように感じられた。レイトが自分の計画を信じ、フィアナも彼に一定の興味と敬意を抱き始めていることが、微妙な空気の中に感じ取れる。
やがて、彼らは街の端にたどり着き、フィアナは最後の一跳びで街の外の草むらへと降り立った。レイトはフィアナの背中から降り、少しよろけながらも無事に地面に立った。暗闇の中でしばらく息を整えた後、レイトは真っ直ぐフィアナを見つめ、再び冷静な口調で言った。
「まずは元魔王領に向かい、そこを拠点にする。そこでお前の力も、俺の知識も最大限に活かして、ここからの計画を立てる。」
フィアナはその言葉に静かに頷き、改めてレイトの顔を見つめた。これまで出会った人間とは違う「何か」を彼に感じたのかもしれない。フィアナの目に一瞬の決意が宿り、静かに言葉を返した。
「わかった……ついていこう、お前の計画とやらに。」
こうして、レイトとフィアナは共に歩き出した。この異世界で、自分たちの運命を切り開くために。
天秤の魔王 @dae
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