第2話「この世界に降りたつ意味」

奴隷として檻に閉じ込められた魔族たちを見た黎翔は、その無力な姿が頭から離れなかった。特に、檻の中でうつむいていた少女の虚ろな目。その目は、妹が命を絶つ直前に抱えていた絶望とまったく同じものだった。


…あれは、妹と同じ目だ……


黎翔は心の中で静かに呟いた。目の前に広がる異世界の現実が、彼に新たな怒りと使命感をもたらしていた。そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか人気のない路地裏に迷い込んでしまっていた。


ふと我に返り、引き返そうとしたその瞬間、周囲から数人の男たちが現れ、黎翔を取り囲む。


「よお、兄ちゃん、高級そうな服着てるじゃねえか……」


「俺たちにも分けてくれよ、金目のもんを出しな!」


周囲を取り囲んだ男たちは、明らかに粗暴な雰囲気を漂わせたチンピラたちだった。手にはナイフや棒を持ち、にやにやと笑いながら黎翔に迫ってくる。


黎翔は一歩下がりつつ、冷静に状況を見極めようとしたが、ここは異世界。彼はまだ戦闘能力もなく、運動神経も特に優れているわけではない。すぐに男たちの力に圧倒され、逃げる間もなく殴りかかられてしまった。


「くっ……!」


腹に重い衝撃が走り、膝をつく。その隙に、別の男が背後から蹴りを入れ、倒れ込んだ黎翔の顔を無理やり地面に押さえつける。何度も殴られ、身体中に痛みが広がるが、反撃する力はない。


「ほら、どうした?坊ちゃん、もう根を上げたか?」


男たちは下卑た笑いを浮かべ、痛みに耐える黎翔を嘲笑しながら暴行を続けていた。まさに絶望的な状況――このままでは命さえ危ういかもしれない。


その時だった。突然、路地の奥から、ゆっくりとした足音が近づいてきた。


「何をしている?」


その声は落ち着いていて、どこか冷たさを感じさせた。チンピラたちが声の方を振り返ると、そこには真っ青な髪の青年が立っていた。年齢は黎翔と同じくらいに見え、腰には立派な剣を携え、見慣れないほど上質な服を身にまとっている。その服には、威厳ある紋章が刻まれていた。


チンピラたちはその紋章を見た瞬間、顔色を変えた。


「……お、おい、あれ……王国の騎士団じゃねえか!」


男たちは動揺し、一歩後ずさる。青い髪の青年は、その反応にも全く動じず、冷淡な視線を彼らに向けた。


「不愉快だな。五人もいながら一人を相手に暴れるとは。」


青年は、冷たく突き放すような口調で言い放った。その言葉に、チンピラたちは更に焦りを見せるが、逃げる間もなく、青年は瞬く間に彼らの間合いに飛び込むと、流れるような動きで剣を振り抜いた。


剣が抜かれる音すら聞こえないほどの速さだった。青年の動きは無駄がなく、正確だった。次々とチンピラたちが彼の剣技に翻弄され、あっという間に地面に倒れ込む。


気がつけば、路地裏には静寂が戻り、倒れたチンピラたちが呻き声を上げているだけだった。


斬った……?いや、峰打ちか。それにしても、アスリートなんて目じゃない早さだったぞ


青い髪の青年は、剣を鞘に収めると、地面に倒れている黎翔に目を向け、ゆっくりと歩み寄った。


「立てるか?」


冷静な声が黎翔に投げかけられる。痛みに耐えながら顔を上げた黎翔は、初めて間近で彼の顔を見た。その顔は、どこか気品がありながらも、鋭い眼差しが特徴的だった。彼がただの騎士ではなく、貴族か、それに準ずる身分であることを感じさせる佇まいだった。


「……ああ、なんとか。」


黎翔は、体中に痛みを感じながらもゆっくりと立ち上がる。彼の冷静な態度に、青髪の青年は少しだけ興味深そうな表情を浮かべた。


「君、異国の者だろう?漆黒の髪なんてこのあたりでは珍しい。顔つきも違う」


黎翔は少し戸惑いながらも、素直に頷いた。異世界に来たばかりの自分が、この世界で生き抜くための力を持っていないことを改めて痛感する。


「……そうだ。助けてくれて、感謝する。」


青年はそれを聞いて軽く頷くと、冷静な目つきのまま黎翔に向き直る。


「たまたま私がこの街に来ていたからよかったものの、人通りが少ない所は気をつけたほうがいい」


青年はふと目を細め、口元にわずかに微笑を浮かべると、自らの名前を告げた。


「私の名は、カイン・リオネル。王国騎士団に所属している。君の名は?」


黎翔は少し考えた後、真っ直ぐな視線でカインに答えた。


「アカツキ………いや、レイト・アカツキ。異国から来た。」


「レイト……なんだか不思議な名前だな。異国の言葉か?」


「そうだ。まあ……この国では珍しい名前かもしれないな。」


レイトが淡々と答えると、カインは少し興味深そうに頷いた。その仕草には高慢さはなく、どこか誠実さが滲んでいる。レイトは、カインがただの騎士ではなく、知識と洞察力を兼ね備えた人物であることを直感した。


「…カイン。おれは田舎からきてこの国や他の国にも詳しくないんだが、魔族の扱いはどこもあんあものなのか?」


その言葉に、カインの表情が僅かに硬くなる。レイトはそれを見逃さず、さらに踏み込むように尋ねた。


「カイン、お前は魔族の奴隷についてどう思っている?あれは本当に正しいことなのか?」


しばらくの沈黙が流れた後、カインは小さく息をつき、目を細めた。そして、慎重に言葉を選ぶようにして口を開く。


「……これは、王国騎士団の意見ではなく、あくまで私の個人的な意見だ。」


カインは言葉に重みを持たせ、冷静な声で続ける。


「私は……この世界の魔族の扱いが好きじゃない。人間と魔族の間にいざこざがあったことは理解しているし、戦争があったのも理解している。だが、それを理由に全ての魔族を虐げ、奴隷にすることが正しいとは思えない。」


その答えに、レイトは少し驚いた。カインは王国騎士団の一員であり、騎士団は王国の方針に忠実であるべき立場だ。それにも関わらず、彼は自らの意思で魔族への不当な扱いを好ましく思っていないと公言したのだ。


「お前みたいな立場の人間が、そんなことを言っても大丈夫なのか?」


レイトが疑念を込めて尋ねると、カインは薄く微笑んだ。


「あくまで“個人的な意見”として話しているからな。騎士団の任務としては王国に忠誠を尽くすが、個人としての信条はまた別だ。」


カインの冷静な顔の裏には、何かしらの葛藤が見え隠れしていた。彼が王国騎士団の一員でありながら、魔族の扱いに疑念を抱いていることは、きっと彼にとっても苦しい立場なのだろう。


「お前がそう思うなら……なぜ、何もしない?」


レイトの問いに、カインは少し驚いた表情を見せる。しかしすぐに、冷静に口を開く。


「恥ずかしい話だが、私は王国騎士団の一員だ。個人的な意見はあるが、それに従って勝手に動くことはできない。私の立場では……変えられるものは限られている。」


カインの答えは、誠実でありながらもどこか無力感を漂わせていた。彼は王国の騎士としての役割に縛られ、個人の信念だけで動けない現実に悩んでいる。


「……………そうか。すなまい、変なことを聞いた」


カインは少しだけ考え込み、何かを決意したかのように口を開いた。


「……もし君がこの世界で何かを成し遂げたいと考えているなら、その覚悟は貫くべきだ。やらない後悔ほど、辛いものはない。私も、私なりに全力を尽くそう」


レイトは少し驚いた表情を見せ、カインと視線を交わした。


「ありがとう、カイン。……また会うことがあれば、力を貸してくれ。」


「ああ、レイト。また会おう。君の旅路にメリナの加護があらんことを」


メリナ?この国の宗教だろうか


レイトは、わからなかったが、頷きつつもゆっくりと路地裏を出て、カインと別れた。





カインと別れた後、レイトは夕暮れの街を一人歩きながら、深く考え込んでいた。周囲の喧騒や人々の足音が遠く感じられるほど、心の中には重く深い思いが渦巻いている。


首輪を嵌められ、うつろな目をしている魔族たち、その姿が頭から離れなかった。


魔族は、ただ“人間とは違う”という理由だけで奴隷にされている……あの少女の、虚ろな目。妹と同じ……絶望に囚われた、諦めた目……。


妹が命を絶ったあの日のことが頭をよぎる。無実であるにもかかわらず、社会の無責任な言葉に押しつぶされ、誰にも助けを求められないまま追い詰められたあの瞳。


この世界も、地球と変わらない……強い者が好き勝手に力を振るい、弱い者が踏みにじられる。誰も、それを疑わない。誰も、救おうとはしない。


彼の中で燃え上がる怒り。それは、ただの憤りではなく、自分の無力さに対する強い反発でもあった。妹を救えなかった無力な自分、そしてその無力さを突きつけられたこの異世界の理不尽さ。しかし、先ほどのカインの言葉を思い出す。


覚悟か…………おれには、覚悟も力もない。


一瞬、心の中で躊躇が生まれる。自分はただの転移者で、異世界の力を持たない。戦闘能力もないし、この世界の知識も持っていない。さっきのチンピラごときに殺されかける程度だ。地球でも、社会を変えることはできなかった。

世界を変える。そのために魔族に与するとはすなわち、この世界を敵に回す覚悟だ。


「……おれになにか、力があれば……」


そんな思いが頭をよぎった瞬間、頭の中に突然、文字列が浮かび上がった。それはまるで、心の奥深くに刻まれたかのように、はっきりとした言葉で彼に語りかけてくる。


天秤バランスブレイカー──代償と引き換えに望んだものを得る》


その言葉に、レイトは一瞬、息を呑んだ。なんだこれは、俺の妄想?

否、そうではないという確信があった。だが、代償を払わなければならないというリスクも同時に頭に浮かぶ。


「……代償か」


もしこれが本当だったとして、いろいろ試す前に実行するのは危険すぎる。代償に払ったものは帰ってくるのか?得るものは一時的なものなのか?


しかし、自分がこの世界で意味を持つ存在になるため、レイトは半信半疑で口を開いた。


「俺の髪の色を……代償に捧げる。だから少しでいい、覚悟をくれ……!」


その願いと共に、心の中で「天秤」の力が静かに動き出すのを感じた。すると、頭髪から黒い色が失われていく。それはまるで魂の一部を削り取られるような感覚だったが、同時に確かな“覚悟”が心の奥底から湧き上がってくる。


やがてレイトの髪は、すっかり色を失い、真っ白な銀髪へと変わった。


その瞬間、彼の心には強烈な決意が宿った。この世界で、理不尽に虐げられる者たちを救うために。力なき者が踏みにじられる現実を、この手で変えるために。


「ははっ、これが天秤バランスブレイカーか」


レイトはそう呟きながら、白くなった髪に手をやり、周囲を見渡した。身体の中に満ちる、かすかな覚悟の力。その感覚が、彼を強く突き動かした。


これが、異世界で生きるための“第一歩”だった。


「……敵に回す覚悟はできている。俺が、この世界を変える。」


檻の中で無力に震えていた魔族の少女。その姿が、妹の姿と重なり、心に深く刻まれる。目の前に無力な存在がいるのに、ただ眺めるだけの自分ではいたくない。彼は、少なくとも今度は見て見ぬ振りをすることはできなかった。


「この世界がそういう構造なら、俺が変えてやる。」


彼はふと立ち止まり、拳を強く握りしめた。異世界に来た時、何かを成し遂げるつもりなどなかった。ただ生き延びることだけを考えていた。しかし、今は違う。妹への後悔と、理不尽な現実への怒りが、自分の中で形を成していく。


「俺が……この理不尽を壊してやる。」


その言葉は、誰に向けたものでもなく、自分自身への宣言だった。魔族たちが受けている仕打ち、彼らの無力さに対する支配。すべてを覆す存在として、自分がこの世界に降り立つ理由を、今ようやく見つけたのだ。

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