第四章 答えはすでに出ている

4-1 不運の始まり

 早朝の事務室で、アルフレッドは他隊の調査報告書を読んでいた。


 要約によれば、〝無明窟むみょうくつ〟という地下遺跡を探索した際に、珍しい仕掛けに遭遇したのだそうである。


 遺跡内に、松明の魔導具どころか、通常の松明を焚くための台座すらないことを訝しんだ。そこで持ち込んだ照明を消して、試しに真っ暗な状態にしてみた。すると壁が動いて、新たな通路が現れたのだという。


 同じような仕掛けに、自分たちも遭遇することがあるかもしれない。だから、アルフレッドは詳細を確認しておくことにしたのだ。


 その内に始業時刻が近づいてきて、他の隊員たちも徐々に事務室に集まり始める。


「おはよう」


「おはようございます」


 報告書を読みながら返事をするのは失礼だろう。クリスの挨拶を聞いて、アルフレッドは一旦顔を上げた。


 けれど、彼女の様子を目にしたことで、「一旦」ではなくなっていた。


「綺麗ですね」


「あらやだ、ありがとう」


 恥じらうように、クリスは頬に手を当てる。


 アルフレッドと同じように、ゲイルも報告書から顔を上げていた。しかし、クリスへの態度は別物だった。


「花のこと」


 この日、クリスは花束を手に出勤してきていたのである。


「なによぉ」と彼女が目をつり上げるので、アルフレッドは「クリスさんもお綺麗ですよ」と付け加えた。花束と違っていつものことではあるが、メイクやファッションに力を入れていたから一応嘘にはならないはずである。


 もっとも、クリスも冗談で照れたり怒ったりしていただけなのだろう。ゲイルよりも花を気にして、棚から小さな花瓶を取り出す。


 また、彼女はあたかも陶芸でもするように、その花瓶を口が広く背が高い、大きなものへと作り変えていた。花の本数や茎の長さに合うように、『n輪挿し』を変形させたのである。


「乙女座のラッキーアイテムだったから買ってみたのよ」


「華やかでいいですね」


 色味だけなら小物を飾っても同じ役割を果たすかもしれないが、花はそれに加えて生気のようなものまで放っていた。だからか、今回はアルフレッドの意見に、ゲイルも頷くのだった。


「でも、ラッキーアイテムを用意するってことは運勢がよくなかったんですか?」


「ええ、11位だったわ。それで部屋が殺風景なのが気になってたから、ちょうどいいかと思って」


 二人のやりとりを聞いて、ゲイルは新聞を開いていた。


「私のだと乙女座は2位」


「あら、そうなの?」


「ラッキーアイテムは青いもの」


「青い花にすればよかったかしら。でも、明るい色の方が必要だと思うのよね」


 クリスは赤や黄色の花弁をでる。アルフレッドにはよく分からなかったが、クリスさんがそう言うならきっとそうなんだろう、と納得していた。


「アル君は9位。ラッキーアイテムはお菓子」


「別に信じてないからいいですけど」


 星占いに限らず、タロット占いも水晶占いも、コーヒー占いもタマネギ占いも、占いはどれも科学的な根拠に乏しく信用できない。『羊の枕』も単に夢を見やすくなるほど長時間眠れる枕であって、夢占いのための魔導具ではない。……というのがアルフレッドの見解だった。


 しかし、クリスは違うようだ。


「チョコあるけど食べる?」


「それじゃあ、せっかくなので」


 占いを信じてはいないが、わざわざ話に水を差したり、好意を無下したりするほど批判的なわけでもなかった。


「ほら、ゲイルも」


「ちなみに、私は1位」


 チョコバーがもらえたのは、そのおかげと言いたいのだろう。アルフレッドは「ラッキーでしたね」と苦笑していた。


 そうして雑談をしていると、また一人、隊員が出勤してくる。


「おはよう……」


「おはようござ――って大丈夫ですか?」


 リリアの姿を見て、アルフレッドは思わず挨拶を途中で切り上げていた。


 彼女は髪や服をしとどに濡らしてしまっていたのである。


「雨に降られちゃってさぁ」


「あら、そうなの? ついさっきまではそんなことなかったのに」


 クリスだけでなく、アルフレッドやゲイルも驚いていた。自分たちが出勤してきた時も、曇りこそすれ雨は降っていなかったからである。


「トーストは床に落とすわ、時計は故障してるわ、慌てて出てきたらこれだわで、嫌になりますよ」


 他の隊員は難を逃れたと聞いて、リリアはますます愚痴りだす。珍しく来るのが遅いと思ったら、朝から不運が続いたせいだったようだ。


 ちょうど話題にしたばかりだからだろう。クリスは改めて新聞を確かめていた。


「あ、今日の最下位は山羊座ですって」


「やめてくださいよ」


 タオルの下でリリアは渋い顔をする。


 しかし、星占いの話はさらに続いた。


「私のも最下位」


「げっ」


「ラッキーアイテムは宝石」


「そんなの持ってる時点でラッキーでしょ」


 ゲイルに怒ったのか、それとも占い師に怒ったのか。リリアの顔つきはますます渋いものになっていた。


「うわぁ、嫌な予感がしてきたなぁ。何もなきゃいいけど」


「リリアさんって、占い信じるタイプでしたっけ?」


「お金払ってるんだから、都合のいいこと言ってほしいじゃん」


「それは占いとは言わないのでは」


 水商売の類が提供するサービスだろう。それに、そもそも新聞を買ったのは、クリスやゲイルであってリリアではない。自分勝手な言い草に、アルフレッドは呆れてしまう。


 そんな話をしているところに、最後の一人が出勤してきた。


「はよざいまーす」


 マトはそう挨拶するが、誰も答える者はいなかった。


 しかし、彼女のことを無視したわけでもなかった。挨拶を返す代わりに、ゲイルは尋ねる。


「……マト、雨は?」


「雨? 降ってなかったけど?」


 話を立ち聞きして、からかうつもりで言っているわけではないのだろう。実際、マトは少しも濡れていないようだった。


 そのせいで、リリアは叫んでいた。


「これ絶対嫌なことが起こるやつじゃん!」


「考え過ぎですよ」


「いや、そうに決まってるよ。宝くじがはずれるとかさぁ」


「結局買ったんですか」


 さんざん批判していたのは何だったのか。アルフレッドの中で、彼女を慰めようという気持ちが薄れてしまう。


「あとは仕事でなんかやらかして減給処分喰らうとか」


 宝くじといい、リリアが心配しているのは金のことばかりのようだった。そのせいで、余計に慰める気がなくなる。


「話が盛り上がっているところ悪いが――」


 皮肉っぽい台詞で会話に割って入ってきたのは、すでに出勤して執務室の方にいたシルヴィアだった。


「仕事だ」



          ◇◇◇



 招集した隊員たちに対して、シルヴィアは任務の説明を始める。


「今回調査するのは、西部で新しく発見された遺跡だ」


 説明の相手はマト、そしてクリス班とリリア班。彼女が集めたのは、第十一部隊に所属する全隊員だったのだ。


「遺跡の規模はそれほど大きなものではない。ただ事前調査で〝強力な魔物が見つかった〟という報告があったため、全員で調査を行うことにした」


 その言葉に、マトが真っ先に反応した。


「強い魔物って?」


「ガーゴイルだ」


 今度は「ガーゴイル……」とゆっくりと復唱する。


 けれど、魔物に対して恐怖心を覚えていたわけではなかったようだ。


「って、そんなヤバいんでしたっけ?」


 思わぬ質問に、アルフレッドは気が抜けてしまう。他の隊員たちもそれは同じのようだった。


 だが、そんな緩んだ空気を引き締めるように、シルヴィアの口調はかえっていかめしいものになっていた。


「ガーゴイルがどんな魔物かは分かるか?」


「動く石像でしょう? それくらいは知ってますよ」


「その通り、古代人が無機物に命を吹き込んだ魔導生物だ。だから、生物というよりも機械に近く、製作者の技術力次第で性能がいくらでも上下する」


 もっと言えば、同じ製作者でも上下する場合がある。これも機械と同じで、使用する材料や製作にかける時間などの影響も受けるためである。


「また、ガーゴイルといえば有翼の悪魔をかたどったものが一般的だが、翼のないタイプもいないわけではない。他にも、犬型やライオン型、熊型、蛇型、人型などが確認されている。

 当然のことだが、姿が違えば挙動や戦法も違ってくる。そのため、こちらもそれに合わせた戦い方をする必要がある。先程の強さのばらつきの件といい、以前の戦闘経験があてにならないのがガーゴイルなんだ」


 その上、骨や筋肉を持たない石像なので、必ずしも外見通りの動きをするとは限らない。見た目は熊なのに、蹴りを放ってくるということもありえる。


 詳しい説明を受けて、やっと思い出したらしい。「あー、そうでしたそうでした」とマトは頷く。


 しかし、シルヴィアは注意喚起を続けていた。


「事前調査をしたのは入り口近辺だけのようだが、それでも強かった上に数が多かったようだ。警備の重要度を考えると、遺跡の奥にいるガーゴイルはそれ以上だと思った方がいいだろう」

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