3-8 ボクたちの失敗

「人、間……?」


「ああ、そうだ」


 呆然と繰り返すアルフレッドに、キリヤははっきりと頷いていた。


 聞き間違いや言い間違いなどではない。タリーは本当に、虐待用に作られた、使魔導具だったのだ。


「前にも言ったが、上から詳細な解析を依頼されて、この僕はさまざまな実験を行った。すると、その過程で、『緩歩獣類』が自ら打ち明けてきたんだ。自分は人間を改造して作られた生物だ、と」


 ショックを受けていたのは、アルフレッドだけではない。リリアたち第十一部隊の面々も言葉を失ってしまう。


 しかし、そんなことキリヤは気にも留めなかった。資料でも読み上げるように、判明した事実について淡々と解説する。


「どうやら飼い主からの虐待がエスカレートしたら、自分の正体が人間だと告白するように作られていたらしい。それでこの僕の行った実験を虐待だと認識した結果、告白に至ったようだ」


 未だに話を飲み込めなかったらしい。詳細を聞かされたあとも、アルフレッドは絶句したままだった。


 だから、彼に代わるように、シルヴィアが質問を行っていた。


「どういうことなのでしょうか?」


「動物虐待犯が連続殺人のような凶悪な事件に手を染める例は珍しくない。おそらく、『緩歩獣類』はそれを防ぐための魔導具なんだろう。

 つまり、『緩歩獣類』への虐待がエスカレートした結果、元人間だという話を聞かされて、反省して虐待をやめればそれでよし。仮にそうならなくても、元人間の『緩歩獣類』への虐待で満足して、他の人間への攻撃を踏みとどまればそれでもよし……ということだな」


 一人の人間を虐待の被害者にすることで、多数の人間が殺人の被害者になることを防ぐ。少なくとも合理性の面から言えば、筋は通っているのではないだろうか。


 しかし、人間性の面から、シルヴィアには受け入れがたいようだった。


「人間だと言わされているだけという可能性はないのでしょうか?」


「それはありえない。前頭葉の比率や虫垂の有無が分かりやすいが、は人間とほとんど変わらなかったからな」


「間違いありませんか?」


「この僕が調べたって言ってるだろ。下らない質問するなよ」


 キリヤは吐き捨てるようにそう答えた。


 相手が超のつくような重要人物だけに、シルヴィアは委縮してしまう。そのため、今度はクリスが質問を始めていた。


「今の姿にされる前は、どんな人物だったのでしょうか?」


「記憶を消されているようで、その点は確かめようがなかった。ギリギリ人道的な方法を考えれば、死刑でも許されないような凶悪犯を使ったというところか。まぁ、普通の犯罪者、いや浮浪者や孤児あたりの、消えても騒ぎにならない人間を材料にしていても不思議はないがな」


 制作者の合理主義者ぶりを考えれば、おそらくキリヤの推測は正しいのだろう。いなくても変わらない、むしろいない方が社会のためになるような人間を有効活用しようと考えたに違いない。


「今後のタリーの扱いはどうなりますか?」


「この実験には、僕以外の局員も参加している。だから、このままを続けて、内部告発されたら困ると判断したらしい。上は『緩歩獣類』を人間だと認定して、他の国民と同じ権利を保障することにした」


 その言葉を聞いて、リリアは少しだけ呼吸をするのが楽になった。場の雰囲気もわずかにだが軽くなる。


 確かに今までは虐待用のペットとして、死ぬよりも残酷な目に遭わされてきたかもしれない。しかし、これからは違う。まともな人間としての人生を――


「それで今日、本人の希望で安楽死を行うことになったんだ」


 キリヤはさらに、「不要になった時に処分できるようにするためだろう。一部の毒だけは有効になっているようなんだ」と続けた。だが、そんな説明は耳に入ってこなかった。


 特にアルフレッドと一緒にいる時、タリーは楽しそうにしていた。人権が認められてコアトルズから解放されれば、今後はそういう幸福な生活を送れるようになるはずだろう。


 にもかかわらず、タリーは安楽死する方を選ぶのだという。改造された体や虐待された記憶を背負って生きることは、将来の幸福を塗りつぶすほど絶望的なものだということなのだろうか。


 コアトルズがタリーにやったことは実質的な人体実験である。いくら知らなかったこととはいえ、広まれば批判は免れられないだろう。だから、口封じのためにタリーを殺そうとしているだけなのではないか。


「言っておくが、これは間違いなく本人の希望だ。そうじゃないなら、上は『緩歩獣類』の最後の望みなんか聞かずに秘密裡に処分しているだろう」


 その言葉だけは聞き流せなかったようだ。アルフレッドはようやく口を開いた。


「……最後の望みというのは?」


「だから、今のこの状況だよ。君たちに会うことだ」


 キリヤが檻の扉を開くと、タリーはおずおずと前へ進み出る。


 そして、頭を下げたのだった。


「わざわざ来ていただいてすみません。今までお世話になりました」


 アルフレッドはこれに何も言わなかった。おそらく、何を言えばいいのか分からなかったのだろう。


 タリーは次に、キリヤのところへと向かった。


「なんだ。もういいのか」


「ええ」


 キリヤは試験管の中身を注射器で吸い上げる。あれが『緩歩獣類』を殺せる毒なのだろう。


 タリーが差し出した前脚に、いや腕に対してキリヤは注射針を刺す。さらにプランジャーを押して、毒薬を注入する。


 その瞬間のことだった。


「タリー!」


 何を言えばいいか分からないが、何か言いたかったのだろう。気持ちがあふれ出たように、アルフレッドは大声で叫んでいた。


 これを聞いたタリーは、今際いまわの際に微笑を浮かべるのだった。



          ◇◇◇



 国内外からの批判を避けたいという打算もあったのかもしれない。しかし、政府やコアトルズは本当にタリーに人権を認めていたようだ。


 タリーの安楽死のあと、第十一部隊には葬儀を行うことが許された。それどころか、その日はもう仕事に戻らずに、解散することまで許された。人間が死んだ時と同様に、弔慰休暇を取ることが許可されたのだ。


 その翌日の、第十一部隊の事務室でのことである。


「おはようございます」


「……おはよう」


 アルフレッドの出勤の挨拶に、リリアは今日もワンテンポ遅れて答えてきた。


「どうかされました?」


「いや、あんなことがあったから、てっきり辞めるんじゃないかと思ってて」


「自分は戦争や拷問用の非人道的な魔導具が存在することを承知で統制機構に入局したんです。今回のような事態に遭遇することも覚悟の上です」


 もちろん、単に知識として知っていただけである。実物を目の前にした時の動揺は、本や論文で読んだ時の比ではなかった。しかし、知識すらなかったら、おそらく耐えることさえできなかっただろう。


 それに、そういうリリアこそ、タリーの件は堪えたのではないか。


〝まぁ、普通の犯罪者、いや浮浪者や孤児あたりの、消えても騒ぎにならない人間を材料にしていても不思議はないがな〟


 リリアは元盗掘犯で、その原因は孤児だったことにあるという。おそらくキリヤの話は、他の隊員たち以上に衝撃的だったはずである。


 にもかかわらず、リリアはそんなそぶりをまったく見せなかった。


「今まではともかく、最期はきっと幸せだったと思うよ。虐待用のペットじゃなくて、タリーとして死ねたんだから」


「……そうだといいんですけどね」


 自分たちといた時間よりも、虐待された記憶の方が上回った。安楽死を選んだことを考えれば、それは間違いのないことだろう。


 しかし、最後の最後に、タリーが別れの挨拶をしたいと考えたこともまた事実だった。


「そういえば、前に連続動物殺害事件の犯人が子供だったって話したよね?」


「ええ、それが?」


「あれ、どうも義理の父親に虐待されてて、その腹いせに父親が可愛がってる犬を殺したって話だよ。他のペットや野良を殺したのも、隠蔽工作っていうよりストレス解消のためだったみたい」


「元をただせば親が原因だったわけですか」


 けれど、この推測は間違っていた。少なくとも、完璧とは言えなかった。


「それが親は親で、仕事が見つからない苛立ちから、つい子供にあたってしまったって証言してるんだよね……」


「ああ、それは……」


 アルフレッドはそれ以上言葉が出てこなかった。


 弱い者が自分より弱い者を虐げる。そんな失敗を、ボクたちはあと何度繰り返せばいいんだろうか。

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