3-7 『緩歩獣類』の真の機能
歩く内に、リリアたち第十一部隊の前に、見上げるほど巨大な建造物が現れた。
正確無比な左右対称のデザイン。汚れの一つさえ許さないような白い壁。ここまで徹底されると、むしろ丁寧さや清潔さは感じられない。大きさもあいまって、威圧的な雰囲気が漂っている。
目を丸くするタリーに対して、アルフレッドが説明した。
「ここがボクの働いている調査局だよ」
「へー、立派な建物ですねえ」
一行は中央調査部の庁舎まで戻ってきていたのだった。
新人が加わって初めての遺跡調査だったが、幸いにもつつがなく終了した。ただし、発見した魔導具の再解析や調査終了の報告書の提出など、まだいくつか事後処理をこなす必要があった。そのため、事務室へ向かうところだったのである。
しかし、すぐに立ち止まることになった。
第十一部隊を待ち受けるかのように、庁舎の入り口の前に人が佇んでいたのだ。
痩せぎすの体つきに蒼白の肌で、一見ひ弱そうにも思える。しかし、レンズの下の目つきは恐ろしく鋭かった。
また、経歴を考えればそれなりの年齢のはずだが、二十代でも通じそうなほど若々しい。おかげで一部では、「国から特別に若返りの魔導具の使用を許可されている」と囁かれているようである。
そんな噂が立つくらいの有名人だから、隊の誰もが顔と名前を把握していた。
「キリヤ博士!」
古代魔科学文明の研究史を作るとしたら、彼の名前は絶対に外すことはできない。キリヤ・テンドウはそれほどの大人物だった。
なにしろ満足のいく研究をするために、鎖国中の祖国ヒヅルからの亡命を企てたのが、九歳の時というくらいである。『
魔導具は社会のあらゆる分野で活用されており、もはや国家を運営する上で最も重要な要素だといっても過言ではない。そのため研究局員は、調査局員と同等か、それ以上に高い社会的地位にある。キリヤも肩書こそ中央研究部の下にある特別研究室の室長ということになっているが、実質的な権力はそれよりもはるかに上に違いなかった。
それだけに失礼があってはいけないと考えたようだ。隊を代表するように、シルヴィアが真っ先に頭を下げた。
「お疲れさまで――」
「挨拶は結構。時間の無駄だ」
そう切って捨てると、キリヤはいきなり本題に入った。
「『緩歩獣類』を受け取りに来た」
「博士自らが解析を?」
「上からの依頼だ。『緩歩獣類』の再生能力を応用すれば、人間を不老不死にできるんじゃないかと考えたらしい。もっとも、生物タイプの魔導具は珍しいから、この僕としても渡りに船だったけどな」
キリヤを相手に、「調査部隊による再解析がまだです」などと反論するのは無理があるだろう。それくらい能力の点でも権力の点でも差がある。
そのせいか、アルフレッドも言われた通りにするしかなかったようだ。『マジックバッグ』から檻を取り出す。
一瞬躊躇いを見せたものの、タリーは結局自分から中へと入っていった。
「……では、どうぞ」
「ああ」
アルフレッドたちの内心に気づくことなく、キリヤは淡々と事務的に檻を受け取る。
だが、まったく関心がないかというと、それもまた違うようだった。
「アルフレッド君は元気そうだな」
「え? ええ、おかげさまで」
挨拶の定型句のようなものだが、アルフレッドはうろたえていた。さっきキリヤが「挨拶は時間の無駄」と言ったばかりだったから、当たり前といえば当たり前だが。
このやりとりで、シルヴィアは二人が普通の関係ではないと察したようだった。
「博士とは面識が?」
「入隊前に、特別研究室への異動のお話をいただいたことがありまして」
クリスは「博士直属ってこと? すごいじゃない」と瞠目する。マトとゲイルも驚きや賞賛の声を上げる。
リリアも同じような言葉を口にしかけたが、途中であることに気づく。
「……もしかして、『
「ええ、魔導具の捜索なら、やはり研究局より調査局だろうと思いまして」
「理想家なんだねえ」
皮肉を言っているわけではなかった。自分の身の安全を考えたら、調査局より研究局だろう。アルフレッドはただ聞こえのいい理想論を唱えているわけではなく、その理想論に殉じようという覚悟も持っているのだ。
「だから、死なない程度に怪我をして、転属してくれないかと思っているんだが」
「〝元気そうだな〟というのは、そういう意味でおっしゃったんですか?」
キリヤがあまりにも平然と言ってのけるので、シルヴィアは思わずという風に尋ねる。
しかし、それでもなおキリヤは平然としていた。
「僕からは以上だ」
相手が面食らって黙っているのを、もう用件はないという意味だと判断したらしい。キリヤはすぐにその場をあとにする。当然のように別れの挨拶はなかった。
「あの」
そう彼のことを呼び止めたのは、アルフレッドだった。
「タリーをよろしくお願いします」
「……『緩歩獣類』は今のところ、この一匹だけだからな。貴重なサンプルを粗雑に扱うつもりはない」
それだけ言うと、キリヤは再び檻を
だから、アルフレッドとタリーは、互いの姿が見えなくなるまでずっと見つめ合っていたのだった。
◇◇◇
遺跡調査の任務は、魔物を退治したり罠を警戒したりしなければならず、肉体的にも精神的にも疲弊しやすい。しかも、調査が終わるまでは基本的に遺跡内で過ごさなくてはならないので、どれだけ休憩を取っても本当の意味で休むことはできない。
そのため、任務終了後から数日は、代休になることが多かった。今回も隊員たちには三日間の休日が与えられることになった。
その代休明けの、第十一部隊の事務室でのことである。
「おはようございます」
「……おはよう」
アルフレッドが出勤の挨拶をすると、リリアはワンテンポ遅れて答えてきた。
その上、彼女はこちらをまじまじと見つめてくる。どうやら何かに驚いているらしい。
「どうかされました?」
「タリーを取られたショックで、仕事辞めるんじゃないかと思ってて」
「子供でもあるまいし、そんなことしませんよ」
「もしくは会うために研究局に移るとか」
「そんなこともしません」
いずれ研究局に引き渡さなくてはいけないことは、タリーを見つけた時から、いや調査局に入る前から分かっていた。分かった上で入局したのである。今更その点について悩んだりはしない。
もっとも、一切悩んでいないと言えばそれは嘘になるが。
「……今まで悲惨な目に遭わされてきたようですから、これからは幸せに暮らしてほしいとは思いますけどね」
タリーは高い再生力を持っていて、多少のことでは死なないようだから、実験材料としてはうってつけだろう。そのせいで研究が暴走しかねないことがアルフレッドには不安だったのだ。
「ま、大丈夫でしょ。博士、アル君のこと気に入ってるみたいだし」
「それならいいのですが……」
キリヤ本人も、「粗雑に扱うつもりはない」と答えていた。社交辞令を言うような性格ではないから、言葉通りに受け取ってもおそらく大丈夫だろう。
ペットで連想したのか、それとも暗い雰囲気を変えようとしたのか。リリアはそこで別の話題を持ち出してきた。
「そういえば、連続動物殺害事件の犯人捕まったって」
「どのような人物だったのでしょうか?」
「それが最初に飼い犬を殺された家の子供だったみたい」
同情を寄せた相手が犯人だったこと。犯人がまだ幼かったこと。そして、何よりも犯人が狡猾だったことに、アルフレッドは眉根を寄せていた。
「罪を逃れるために、被害者を装っていたということですか?」
「かもね。そこらへんはまだよく分かってないみたいだけど」
何にせよ、これで新しい被害が出ることはなくなった、とリリアは前向きに捉えているようだ。その点は、アルフレッドも同意見だった。
彼女とそんな風に話をしている内に、他の隊員たちも徐々に出勤し始める。その度に、報告書の書き方の話になったり、変わった特徴の魔物の話になったり、話題が移り変わっていった。
そうして始業時刻になると、最後にシルヴィアが執務室から現れた。
「全員集合だ」
今日の業務は、前回の調査に関する報告書の作成だろう。おそらく、それについて何か連絡事項があるのではないか……というアルフレッドの予想は外れた。
「キリヤ博士からお話があるそうだ」
以前何かで読んだが、「頭の中が整理されていれば、部屋の整理なんて必要ない」というのがキリヤの自論らしい。実際、彼の実験室の中はたくさんの物で溢れていた。
分厚い書類の束と外国語で書かれた本。歯抜けになった試験管立てに、積み上がったシャーレ。歪曲した杖や朱塗りの箱など、見たこともない魔導具の数々……
一方で、テーブルの上には見慣れた魔導具があった。やはり、話というのはタリーについてのことのようだ。
挨拶どころか前置きさえ抜きにして、キリヤはいきなり本題に入った。
「魔導具名『緩歩獣類』、通称タリーの正体は人間だ」
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