3-6 『緩歩獣類』の機能

『緩歩獣類』の言葉に、アルフレッドは絶句する。


 リリアを始め、他の第十一部隊の隊員たちもまた声を失っていた。それくらい衝撃的な内容だったのである。


 一時的に発熱や発疹などの症状を引き起こす薬、『ほら吹き男爵の薬』。喉をつついて嘔吐を促すことで胃を空にできる器具、『ヴォミトリウムの羽根』。痛みは与えても怪我をさせることはない鞭、『安全鞭』……


 ありとあらゆる欲求を満たすために、古代人がさまざまな種類の魔導具を開発していたことは分かっていた。


 しかし、まさか虐待するためのペットまで生み出しているとは思わなかった。


「御主人様とやらに、そういう風に思い込まされてるだけかもよ」


 自分にも言い聞かせるようにリリアはそう指摘する。


 ショックのあまり盲点になっていたらしい。「ああ、そうか。そうですね」と、アルフレッドは驚きと納得、そして安堵の混じった声を上げる。


 同時に、彼は冷静さも取り戻していた。機能の検証のために質問を再開する。


「痛めつけるっていうのは具体的には?」


「御主人様は、私を針で刺したり……ナイフで、切りつけたりしていました」


『緩歩獣類』はたどたどしく弱々しい口調でそう答えた。時には言葉に詰まることさえあった。


 過去の出来事を思い出そうとして、その時に味わった苦痛まで思い出してしまったのだろう。


「あとは檻を水に沈めたり、火にかけたり。それから、檻の中に凶暴な犬を入れて――」


「もういい、もういいよ」


 アルフレッドが話を途中で遮る。これ以上言わせるのは酷だと思ったのか、それとも聞きたくなかったのか。おそらく、その両方だろう。


 シルヴィアとしても、分析するには今の情報だけで十分だったようだ。


「そういえば、クマムシは乾燥以外に、低温や酸欠なんかにも耐性があると聞いたことがあるな」


「同じように、こいつも死ににくくなってるってことですか?」


「おそらくそうだろう」


 マトの質問にそう頷く。それから一拍間を置いたあと、シルヴィアは付け加えた。


「死ななければ、何度でも繰り返し虐待できるからな」


 確かに、苦しめることが目的なら、針で刺そうと火で炙ろうと生きている相手の方が都合がいい。『緩歩獣類』が虐待用に作られた魔導具だという話は事実なのではないだろうか。


 それでもアルフレッドは希望を捨てきれないようだった。


「痛めつけるってことは、君は当然痛いんだよね?」


「はい」


「御主人様は何でそんなことをしたの?」


「私にはよく分かりません。上役のミスを自分のせいにされたとか、口が上手いだけの同僚が評価されるのはおかしいとか何とかおっしゃっていましたが……」


 溜まったストレスを、『緩歩獣類』にぶつけて解消していたということだろう。現代の動物虐待事件でも、よく聞かれるような動機である。


「本当に虐待用みたいだけど……」


「一応、確認しないわけにはいかないでしょうね」


 ゲイルが口を濁したことを、副隊長のクリスは言い切ってしまう。


 さらには隊長のシルヴィアが、「私がやろう」と名乗り出たのだった。


「悪いが、試させてもらうぞ」


「は、はい」


 鉄格子の隙間から、『緩歩獣類』に前脚を出させる。念のため、隊員たちに『ポーション』を用意させる。そうして準備が整うと、シルヴィアは相手の脚にナイフを突き立てるのだった。


 怪我を負った『緩歩獣類』の反応は、普通の動物と変わらなかった。


 一瞬体を硬直させたかと思うと、直後には激しくのたうち回る。その体力も尽きると、あとはひたすらうずくまるばかりだった。


 また、刺された瞬間には絶叫を、しばらくしてからは嗚咽を上げていた。自分たち人間と同じ言葉を話せる分、受けた苦痛の重さが動物以上に伝わってくる。


 ただし、それも一時いっときのものだった。


 ナイフでつけられた傷は、すでに塞がり始めていたのだ。


『ポーション』を飲ませるまでもなく、『緩歩獣類』は元から高い自己治癒力を持っていたのである。


「間違いなさそうだな」


 実験の結果から、シルヴィアはそう結論づけていた。


 ナイフで刺しても水に沈めても死ぬことはない。それどころか、すぐに体調が回復する。しかし、苦痛に耐性がなく、簡単に悲鳴を上げる……


 加虐趣味者の嗜好を満たすのに、『緩歩獣類』はちょうどいい特徴を備えていると言えるだろう。虐待用のペットだという話はもはや疑いようがなかった。


 アルフレッドもとうとうそのことを認めたらしい。


「……パン以外には何が食べられるの?」


「よく分かりません」


「御主人様は他のものをくれなかったの?」


「いえ、異様に辛かったり、腐っていたり、毒が入っていたりしたので、なるべく食べないようにしていたんです」


 普段のアルフレッドなら、「飢餓にも耐性があるようですね」とでも考察しそうなものである。


 しかし、今回は違った。


「食材はいろいろ持ってきてるからね。試しに食べてみる?」


「どうもすみません」


「謝るようなことじゃないよ」


 そう言って、アルフレッドは『緩歩獣類』に微笑むのだった。



          ◇◇◇



 朝食が済むと、第十一部隊は遺跡の探索を再開した。これまでと同じように、アルフレッドのいるリリア班を中衛に配した隊列でさらに奥へと進んでいく。


 ただし、一点だけ変化もあった。


 アルフレッドの肩の上には、『緩歩獣類』が乗っていたのだ。


「タナー(Tannar)、タニー(Tannie)、タヴィー(Tavi)、タリー(Tallie)……」


 通路を歩きながら、それとは無関係のことをアルフレッドは思案する。


「緩歩動物(Tardigrade)からとって、タリーっていうのはどうかな?」


「お手間をおかけしてすみません」


 申し訳なさそうに、『緩歩獣類』は頭を下げた。


「謝らなくていいよ。それよりもどう? 気に入った?」


「ええ、とても」


「ならよかった」


『緩歩獣類』、いやタリーの返答に、アルフレッドは笑みをこぼしていた。


「詳細な解析のために観察を続けさせてください」とアルフレッドが提案してきたので、リリアたちはタリーの運搬を彼に任せることにした。また、「閉じ込めたままだと警戒されてしまうかもしれません」とも提案してきたので、檻から出した状態で運搬することを認めた。


 しかし、道中のアルフレッドを見ていると、ただタリーと触れ合いたかっただけにも思えてきてしまう。


 休憩に入っても、彼の様子に変化はなかった。というか、休憩に入ったからこそ、探索中以上にタリーにかまけだしていた。


 罠を警戒して周囲に目配りする必要もなければ、魔物を警戒して『逆理の弓』を携える必要もない。だから、今までのようにただ会話するだけでなく、タリーを手の平の上に乗せたり、頭を撫でたり、ハンドリングのようなことをしていたのである。


「アルフレッドのやつ、ずいぶん可愛がってんなー」


「確かに」


 マトの率直な感想に、ゲイルはそう頷く。


 だが、マトと違って、小馬鹿にするようなニュアンスはなかった。


「ずっと緊張していたみたいだからよかった」


「そうね」


 今度はクリスも同意していた。それどころかマトでさえ、「あー」と納得するような反省するような声を漏らしたほどだった。


 社会奉仕のためにコアトルズを志望するくらいだから、アルフレッドが生真面目な性格をしているのは確かだろう。しかし、新人ゆえに気を張っていた部分もあったようだ。これまでのしかつめらしいものと違って、タリーの相手をしている今は表情がやわらいで、年相応の少年の顔つきになっていた。


 これで緊張感をなくして、仕事に支障が出るようなら問題かもしれない。ただ先の通り、アルフレッドは探索中と休憩中で、タリーに対する接し方を変えていた。やはり根は真面目なので、そのあたりの線引きに関しては、わざわざ周囲が注意する必要はなさそうである。


 だから、隊員たちは、アルフレッドたちには干渉せずに、ただ遠巻きに見守るだけにしたのだった。


「タリーはやってみたいこととかないの?」


「はぁ……」


「美味しいものを食べるとか、思いきり体を動かすとか」


「自分が何をしたいかなんて、今まで考えたこともなかったので」


「そ、そっか……」


 アルフレッドは言葉に詰まってしまう。会話の節々でタリーがにおわせてくるので、虐待用のペットだったことを意識せずにはいられないようだ。


 しかし、だからこそ出てくる言葉もあった。


「外に出たら、いろいろ試してみようか。何かやりたいことが見つかるかもしれないよ」


「どうもすみません」


「だから、謝らなくていいって」


 アルフレッドはそう笑いかける。タリーを気遣っているということもあるが、ボールだのフリスビーだので遊びの幅が広がることが自身も楽しみなのだろう。


 反対に、リリアは表情をこわばらせていた。


 他の隊員たちのように、「アルフレッドの緊張が解けてよかった」と前向きに考えることができなかったからである。


「このままでいいんですかね……」


「?」


 タリーは隊員たちに、というか人間に対して明らかに警戒心を持っている。油断させてから奇襲しよう目論んでいるなら、もっと友好的な態度を取るはずだろう。シルヴィアはそう考えているらしく、タリーと仲良くすることの何が問題なのか分からないようだった。


「危険性は特にないと思うが」


「それもありますけど、魔導具である以上、研究局に引き渡さないといけないじゃないですか」


 盗掘を禁じていることからも分かるように、魔導具は原則的に国の所有物として扱われることになっている。


 超常的な力を持つ魔導具は、安全面や経済面、倫理面などにおいて、社会に甚大な影響を与えかねない。そのため、国家による管理が必要だと考えられているからである。


 実際には、調査局の局員たちは、遺跡の探索に『神珍鐵シェンヂェンティエ』や『ポーション』などを使用している。また、民間でも『マジックバッグ』を物資の輸送に使ったり、『万能芋』を食用に栽培したりしている。


 しかし、それは機能の解析が完了して、なおかつその機能が社会の利益になると判断されて、国から使用許可が出ているからに過ぎなかった。「まだ解析が不十分である」「使うと負の影響がある」という理由から、表に出てこないままになっている魔導具はいくらでも存在するのだ。


『緩歩獣類』は今回初めて発見された魔導具である。研究局での詳細な解析が済むまでには、長い時間がかかることだろう。いや、この一匹しかいない稀少性を考えると、今後はずっと研究局の管理下に置かれかねない。


 だから、アルフレッドとタリーが仲良くすればするほど、リリアは彼らが離ればなれになる時のことを考えずにはいられないのだった。

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