1-8 限り無いもの
「なるほど……」
『完全美の女神像』を移動させると、像の位置が迷宮の中心に来るように、内部の空間が広がる。よって、『女神像』を無限迷宮から持ち出すことは不可能である。そうアルフレッドから説明を受けて、シルヴィアは関心げに相槌を打っていた。
「よく気づいたわね」クリスは男性ながら、女性的な柔和な笑みを浮かべる。
「さすが」兜で表情は見えないが、ゲイルも微笑んでいるようだ。
口々に隊員たちから褒めそやされて、アルフレッドは返答に困ってしまった。何と言えばいいのか、へどもどするばかりである。
かといって、マトの反応もそれはそれで困りものだった。
「え? どういうこと?」
「つまりですね」
アルフレッドは新しく紙を用意する。彼女に分かりやすく説明するなら、たとえば先住民族の神話を引用して……
「疲れてるんだからやめなさいよ」
リリアは呆れたように、マトを睨みつけていた。
調査に出ていた二人が帰還した。無限迷宮や『女神像』の性質も概ね解析することができた。そのことを受けて、シルヴィアが次の指示を出す。
「リリア班はもう帰投していい。クリスたちは救助ではなく追加調査を頼む」
「了解」
もっとも、二人は本当にすぐに街へ戻ったわけではなかった。隊員たちの任務がスムーズに行くように引継ぎを行ったのだ。
遺跡に関する詳細な情報を伝える。作った地図や『
ただそのあとも、シルヴィアは思うところがあるように無限迷宮を眺め続けていた。
「しかし、アルフレッド君は本当によく気づいたね」
「自分でも半信半疑でしたよ。他に何も思いつかないので試してみたら、たまたま上手くいったっていうだけです」
「そんなことはないだろう。無理のない綺麗な仮説じゃないか」
そうシルヴィアは称賛を続ける。
だが、何も謙遜しているわけではなかった。
「『女神像』を入手してから、迷宮の拡大化が始まったわけですからね。〝『女神像』が中心に来るように迷宮が変化する〟というのはともかく、〝『女神像』が原因である〟ということくらいは考えついてもおかしくないはずです。それなのに、今まで誰も脱出できなかったというのは不可解だと思いまして」
「……言われてみれば、確かにそうだね」
シルヴィアも考え込んでしまう。彼女にもこの謎は解けなかったようだ。
「私には分かる気がするけどね」
代わりにそう答えたのはリリアだった。
「気づかなかったんじゃなくて、気づいていても手放せなかったんだよ」
その言葉で、アルフレッドは『女神像』の姿を思い出す。
美しい、本当に美しい像だった。
記憶の中の『女神像』にさえ、信仰心にも似た感情を呼び起こされるくらいである。迷宮の中で実物を目にした時には、それ以上のものがあった。
だから、像を手放したくないという気持ちは、確かに切実なくらいよく分かる。
結局のところ、人間の欲望ほど限り無いものはないのだ。
◇◇◇
早朝から、アルフレッドは事務室の机に向かっていた。
調査局の正式な始業時刻までは、まだかなり時間がある。しかし、無限迷宮についての報告書を上げるために、今日は(というか今日も)早出をしたのだ。
彼女も同じことを考えたようだった。
「おはよう」
「おはようございます」
少し遅れて出勤してきたリリアとそう挨拶を交わす。
さらに隣の席に座った彼女に対して、紙切れを渡すのだった。
「これ、約束の」
「お、ありがとう」
無限迷宮の調査中に、美術館に行こうという話になった。それで多少なり美術史を知っているアルフレッドが、初心者でも取っつきやすいとされる風景画家の個展のチケットを用意したのである。
「デート楽しみだね」
「からかわないでくださいよ」
話の発端は、「『女神像』に感動したのは魔導具だからなのか? それとも芸術品だからなのか?」という議論だった。だから、デートでも遊びでもなく、仕事と言った方が近いだろう。
また同じように、リリアとの会話がきっかけで、アルフレッドは個展のチケットとは別にある物も購入していた。一緒に封筒にしまっておいたそれを、彼女は目ざとくも発見する。
「そっちは?」
「宝くじです」
「えっ? 買ったの?」
「試しにどうかと思いまして」
分の悪いギャンブルだからやめなって言ったのに。そう怒られるかと思いきや、そんなことはなかった。
「もし当たったら、アドバイス料に四割ちょうだいね」
「手の平を返さないでください」
それに、仮に本当に勧めていたとしても、四割も要求するのはさすがに図々しいだろう。アルフレッドは顔をしかめる。
けれど、リリアにはまったく反省した様子がなかった。隊長用の執務室を見て、もうシルヴィアも来ていることに気づくと、次の話題に入っていたのだ。
「追加調査のこと、何か言ってた?」
「『女神像』が中心に来るように迷宮の大きさが変化する、という仮説で合っていたみたいですね。クリスさんたちが像を移動させてみたら、逆に小さくなるのも確認できたそうです」
「結局アル君の読み通りかー。さすがだねー」
「いえ、そんな」
謎解きには、リリアの意見を参考にした部分もある。だから、本人に褒められるのが一番困るのだった。
「でも、そうだとすると、オリバーさんは丸損でちょっと可哀相ですよね」
「そっか。大金出して迷宮を買ったんだったね」
すべては『女神像』の価値を当て込んでのことだという。迷宮から持ち出せないとなったら大赤字に違いなかった。
「まぁ、金持ちなのをいいことに、コアトルズを私的に利用しようとしたわけだからね。バチが当たったんだよ、バチが」
「また手の平を返して」
オリバーの前では、趣味の釣りの話題に楽しそうに付き合っていた。いないところでも、「高額納税者は国から特別扱いされても仕方ない」と擁護するようなことを言っていた。だというのに、大損をしたと分かった途端、態度を変え過ぎだろう。
「それが別に損したわけじゃあないみたいだよ」
資料を取りに、執務室から出てきていたらしい。二人の会話を横聞きしたシルヴィアが訂正を加えてきた。
「『女神像』を持ち出せないということは、言い換えればあの迷宮でしか『女神像』を見られないということだろう? だから、魔物を駆除して、他にも美術品を集めて、迷宮を美術館化して収益を上げるつもりなんだそうだ」
『女神像』の美しさは身に染みて分かっている。たとえ最寄りの街から遠くても、客が大勢集まるだろうことは容易に想像がついた。
「あとは周りの土地に、ホテルやレストランなんかも建設する気でいるらしい。なんといっても、氏はホテル王だからね」
無限迷宮の美術館化だけでも十分驚きだったというのに、シルヴィアはさらにそう驚くような話を続けてきた。
「やっぱり、お金持ちになるような人は発想が違いますね」
「アル君は今のままでいいよ」
唖然とするアルフレッドを見て、リリアは苦笑のような微笑のような笑顔を浮かべるのだった。
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