1-7 脱出成功
石材をただ積み上げただけの、来訪者を拒絶するかのような無機質な遺跡。
その入り口の前に、シルヴィアは立っていた。
この日、彼女は再び、無限迷宮を訪れていたのである。
前回と同じように、移動手段には魔導具を使った。だから、シルヴィアのそばには機械仕掛けの馬、『スティールホース』の姿があった。
また、その横には、同種の馬が三頭並んでいた。
「それで私らの出番ってわけですか」
改めて今回の任務について聞かされると、マト・ウィトコはそんな相槌を打った。
特異な名前から察せられる通り、彼女は移民ではなく先住民族の子孫である。ただし、他国の文化が流入したことで、身長や胸囲は大きくなり、伝統的な衣裳や化粧は廃れて、祖先の面影は薄れつつあった。それでも、動きやすさ重視で露出を増やした改造隊服からは、伝来の浅黒い肌が覗いていた。
「確かに、この規模の遺跡を調べるのにそんなに時間がかかるのは変だものね」
そう分析したのは、クリス・クロフォードである。
こういう表現は不適切かもしれないが、口調は柔らかくて女性的なものの、声の低さは完全に男のそれだった。外見に関しても同様で、華やかな化粧で唇やまぶたを飾り立て、大判のストールで体つきを隠してはいるが、面長の顔と高い上背から、肉体的には男性だということは明らかだった。
「…………」
ただ一人、ゲイル・ゲーティスだけは無言だった。
ゲイルは規定の隊服ではなく、巨大な全身鎧を身に
シルヴィアがこの三人を――第十一調査部隊の隊員たちを招集したのは、先の通りある任務を頼むためだった。
アルフレッドとリリアに調査を命じたものの、対象は帰還者のいない無限迷宮である。いざという時のことを考えて、「『女神像』が見つからなくても、十日後までに連絡を入れるように」という指示をしておいた。「もし連絡がなければ救助を向かわせる」と。
そして、今日がその十日目だったのである。
「……凶暴な魔物でも?」
「リリアなら問題ないだろう」
「魔導具の影響?」
「それなら、アルフレッド君がどうにかするはずだ」
考えがようやくまとまったらしく、今になってゲイルが口を開いたが、シルヴィアはその意見をことごとく否定していた。
二人だけで調査に向かわせたのは、人手を節約しようと思ったからでも、いざという時の犠牲者を減らそうと思ったからでもない。アルフレッドとリリアなら、たとえ無限迷宮であっても攻略できると考えたからである。
「でも、実際出てこないんですよね? さっさと助けに行った方がよくないですか?」
「約束の期限にはまだ少し時間があるからな。それまでは待機していてくれ」
二人のことが気がかりだからか、それとも単にせっかちだからか。出発を急かしてくるマトをそうなだめる。
指定した時刻までは、あと一時間ほどあった。それだけあれば、アルフレッドたちが帰還する可能性もなくはないだろう。
「二次被害が出るのも怖いしね」
「そういうことだ」
副隊長かつ隊内最年長(といっても三十代だが)だけに、クリスの意見は冷静だった。
アルフレッドたちを助けようとした結果、他の隊員まで脱出できなくなったら目も当てられない。だから、時間いっぱいまで救助の指示は出さないつもりだったし、出す場合もあくまで慎重に行動させるつもりだった。
そうして話し合った通り、第十一部隊の隊員たちは、迷宮の入り口の前で二人の帰還を待つことになる。
事態が事態のため、隊員たちの口数は少なく、たまに話題に上るのも二人のことばかりだった。シルヴィアに至っては、ずっと懐中時計で時刻を確認していたほどである。
しかし、アルフレッドたちはいっこうに現れなかった。
とうとう針が約束の期限を指す。それを見て、シルヴィアも心を決める。眺め続けていた時計をしまう。
まさにその時のことだった。
迷宮の中から、足音が聞こえてきたのである。
「リリア! アルフレッド君!」
二人の姿を目にして、シルヴィアは思わず叫ぶ。
「よく戻ってきた!」
けれど、疲労困憊なせいか、二人の反応は薄かった。
それどころか、他の隊員たちも「心配したわよ」「今行くとこだったんだぞ」などと声こそ掛けていたものの、それ以上のことはしていなかった。駆け寄ることまでしたのは、どうやら自分だけのようである。
「……それで」
期限までに戻ってきたからには、任務も達成できたのではないか。シルヴィアはその点を確認することにした。
「『完全美の女神像』は?」
「それが……」
リリアは気まずそうに言いよどむ。この前、書類の提出を忘れていた時にも、確かこんな顔をしていた。
「回収に失敗したのか?」
「回収はしたんですが、結局放棄しました」
そう意味不明な回答をしたのは、アルフレッドだった。
「というより、無限迷宮は『女神像』を放棄しないと脱出できないようになっているんです」
◇◇◇
以前、リリアは「脱出しようとすると、迷宮の内部が広がる」という仮説を唱えた。アルフレッドもこれに賛成していた。
ただ、もしこの説が本当に正しいとすると、出口を目指して移動すればするほど、迷宮は拡大していくことになる。脱出するには逆効果ということになってしまう。そのため二人は、ここ数日は野営した地点から動かないようにしていた。
もちろん、移動をしなかったというだけで、何もしていなかったわけではない。頭の中では、ひたすら脱出方法について考えを巡らせていた。
にもかかわらず、解決策はまったくと言っていいほど思いつかなかった。
「今日で十日目か……」
朝食後、地図を広げながら、リリアがそう呟く。
「救助が来る前にどうにかしたかったんだけど」
「そうですね」
ただでさえ、調査部隊は激務だった。それなのに、自分たちのせいで、シルヴィアたちの仕事をさらに増やすことになってしまう。
いや、それどころか、彼女たちにも脱出方法が分からなければ、被害者を増やすことにまでなってしまうだろう。
「もっとも、ダンジョンの入口が今どうなっているのか分かりませんが……」
「ああ、そっか。本来の出入口に先ができちゃったんだもんね」
二人は改めて地図に目をやる。出入り口を紙の下側に書き記したが、迷宮が拡大したせいで、その下に新しく紙を継ぎ足さなくてはいけなかった。しかも、そこまでやっても未だに新しい出入り口は見つかっていなかった。
また、紙は上側にも足されていた。「『女神像』を入手して後戻りするのは間違いで、さらに進んだ先が真の出口ではないか」という、リリアの仮説を検証したからである。
当然、迷宮内は迷路状になっているので、分かれ道や行き止まりだけでなく回り道も多い。そのため、地図は左右にも膨らんで、やはり紙を足さなくてはいけなくなっていた。
「仮に入り口があっても、こう広いと合流するのは難しいかなぁ」
つぎはぎだらけの地図を見て、リリアは渋い顔つきになる。
しかし、そのつぎはぎこそが、アルフレッドに閃きを与えていた。
「もしかして……」
そういえば、出発前にシルヴィアも説明していたはずである。
〝遺跡の中心に美しい――それはもう言葉では言い表せないほど美しい像があると、当時の伝承で謳われているんだ〟と。
「どうかしたの?」
図にした方が分かりやすいだろう。取り出した白紙に、アルフレッドは正方形を描く。さらに、その中心には星を描き込んだ。
「リリアさん、伝承を思い出してください。『女神像』は迷宮の中心にあるんです」
「それが?」
アルフレッドは矢印を描いて、星を正方形の中心から、正方形の下辺まで移動させる。そのあとで、正方形を覆うように新しく大きな正方形を描いた。
これで星は、正方形の中心から、大きな正方形の中心に移動したことになる。
「あれは〝迷宮の中心に『女神像』が置かれている〟という意味じゃなかったんです。〝『女神像』を持って移動すると、それに合わせて像が迷宮の中心に来るように内部の空間が広がる〟って意味だったんですよ」
「あっ」
その意味では、リリアの唱えた「脱出しようとすると、迷宮の内部が広がる」という仮説も間違ってはいなかったのだろう。ただ「(女神像を持って)脱出しようとすると、(像が中心に来るように)迷宮の内部が広がる」という、()内の条件が分かっていなかっただけだったのだ。
「つまり、『女神像』を放棄しないかぎり、無限迷宮からは絶対に出られません。言い換えれば、そもそも『女神像』は原理的に回収できないようになっているんです」
「そっか、それで……」
説明を聞いている内に、リリアも気づいたことがあったようだった。
「そういえば、最初に壁の硬さとかを調べるために迷宮に入った時には、特に何も起きなかったもんね」
「ええ、『女神像』の盗難を防ぐために、迷宮にそういう機能があるんじゃないかと」
迷路や魔物といった罠を仕掛けている点を考えれば、遺跡の
「推論ですけどね」
「いや、正解だと思うよ。少なくとも試す価値はあるって」
その一言で、早速検証に取りかかることになった。
『マジックバッグ』から『女神像』を取り出すと、その場に置き去りにして、二人は迷宮の中を歩き始める。
たとえ仮説が正しかったとしても、というか仮説が正しかったら、アルフレッドたちが像を動かしたことによって、迷宮は最初の時よりもさらに広がっていることになってしまう。出口を探し当てるのは容易ではないだろう。
それでもシルヴィアたちと入れ違いにならないように、救助に来る前に脱出を果たしておきたかった。だから、二人は粛々と通路を進んでいく。
その内に、前を歩くリリアが、曲がり角で不意に立ち止まった。かと思うと、こちらに手招きをしてくる。
そこで小走りで彼女の下へ行くと、アルフレッドもすぐにその光景を目にすることになった。
仄暗い迷宮の中へ、光が差し込んできている。あれは太陽の光だろう。
通路の先は、今度こそ出口に繋がっていたのである。
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