1-6 脱出失敗、失敗、失敗

 出口があったはずの場所は、ただの通路に変わっていて、迷宮がさらに先へと延びている。


 その事実を発見した二人は、思わずその場に立ち尽くしてしまう。


 しかし、いつまでも愕然としていたわけではなかった。


「やっぱり、ここが出口のはずだよね」


「ええ」


 リリアとアルフレッドは早々に、お互いの描いた地図を見せ合いながら、状況の整理を始めていたのである。


地図作成マッピングをミスってるって可能性はさすがにないかなー」


 今回は帰還者のいない無限迷宮の調査ということで、地図の作成には特に注意を払っていた。それは「ミスがないように気をつける」というような、単なる精神論ではない。


 後衛のアルフレッドだけでなく、前衛のリリアも地図作成マッピングを行った。また、一定距離を進むたびに、相手の描いたものと見比べて正誤の確認をした。これだけの対策を打ったのだから、地図は正確だと考えていいはずである。


「一旦引き返そうか? どこかで道を間違えたのかもしれないから」


「そうですね」


 地図を作る時にミスをしていないなら、地図を読む時にミスをしたと考えるのが妥当だろう。リリアの意見に、アルフレッドも賛成していた。


 けれど、それは妥当な判断などではなく、そうであってほしいという希望的観測に過ぎなかったのかもしれない。


 引き返して出口周辺の通路を確認してみたが、分かれ道は分かれ道、行き止まりは行き止まりと、完全に地図通りの光景が広がっていた。本当に途中で道を間違えていたなら、こうはならないだろう。


 改めて出口まで向かった時にも当然それは変わらない。通路の長さや角を曲がるタイミングなど、すべてが地図通りである。もっとも、出口が出口でなくなっていることを除いて、だが。


 とはいえ、こうなることも予想していたらしい。リリアは早くも次の行動に移っていた。


「ふっ!」と『神珍鐵シェンヂェンティエ』で突く。


「はっ!」と『神珍鐵』で殴る。


「やあっ!」と巨大化させた『神珍鐵』をぶつける。


 彼女は壁を破壊して、迷宮からの脱出を図ろうとしていたのだ。


 けれど、どれだけ攻撃を繰り返しても、壁には傷一つつけることができなかった。


「やっぱり壊せないかー」


 壁の強度に関しては、調査開始前にすでに一度検証済みである。だから、リリアもそれほど期待はしていなかったようだ。


 また、その点についてはアルフレッドも同じだった。すぐに別の脱出方法を試すことにする。


 ナイフを取り出すと、自分の手の平を切りつけたのだ。


『完全美の女神像』には、精神操作系の機能を有しているという疑いがある。それならば、今起こっている事態も、同系統の罠によるものかもしれない、とアルフレッドは考えた。出口が見つからないように錯覚させられているのではないか、と。そこで精神操作へのオーソドックスな対策である自傷行為を行ったのである。


 しかし、脂汗をかくほどの痛みを感じても、目の前の光景に一切変化はなかった。


「幻覚の可能性もなさそうですね」


 こちらの検証は今回が初めてだったから、アルフレッドは内心落胆していた。おそらく、リリアもそうなのではないか。


 ただ、彼女にはまだ考えがあったようだ。


 本来は出口があるはずの場所を――新たにできた通路を見据える。


「どうする? 行ってみる?」


「……そうするしかないみたいですね」


 他には特にこれといった案は思いつかなかった。このさらに先に出口があると信じて進む以外には、もうやれることはないのではないか。それに、もし出口がなかったとしても、情報収集くらいにはなるはずだろう。


 ただでさえ、初見の通路を進む時は、罠を警戒して慎重にならざるを得ない。しかも今回は、突如発生した通路という異様なものだから尚更である。


 もっとも、迷宮に新しく続きができたというだけで、その内容に変化はなさそうだった。これまでと同様の、殺風景で構造も単純な迷路が、拡大していただけだったのだ。


 その上、今回はミノタウロスどころか、レッドコヨーテ程度の魔物にさえ遭遇しなかった。だから、二人の進行速度はほとんど落ちていなかった。


 しかし、そうやって順調に進んでいったところで、いつまで経っても出口らしきものは見つからない。延々と迷路を歩き回らせられるだけだったのである。


「出ようとすると、迷宮が広がって出られなくなるってことだったのかな……」と、リリアはぽつりとこぼしていた。



          ◇◇◇



 翌日も引き続き、出口の先に生まれた迷宮を進んでいくことになった。


 けれど、行く手には相変わらず、以前と同じような迷路が続いているだけだった。歩けども歩けども、新しい出口にはいっこうにたどり着けない。


 そのせいで、二人の描く地図は、下側(出口側)にどんどん大きくなってしまっていた。そろそろ紙一枚では収まりきらなくなりそうである。


「このまま闇雲に進んでも意味なさそうだね」


 互いの地図を見せ合って、その肥大化ぶりを確認すると、リリアはそう結論づけていた。


「迷宮から出ようとすると、中の空間が歪んで迷宮が広がるんじゃないか、って私言ったよね? あれどう思う?」


「可能性はあるでしょう。というか、おそらくその通りだと思います」


 昨日の時点で、アルフレッドは彼女の仮説に信憑性を覚えていた。そして今日、迷路を歩き続けている内に、どんどんその感覚は強くなっていた。


「以前、〝外観に対して内部が広過ぎる〟という話になりましたよね? あれは過去に迷宮から出ようとした人間がいたせいで、すでに広がっていたことが原因だったんじゃないでしょうか」


 推論に過ぎないが、リリアの説の間接的な証拠くらいにはなるだろう。反対に、仮説を否定できるような材料は特になかった。


「もしそうなら、迷宮が広がる前に突っ切るのはどうかと思ったんだけど」


「……なるほど。試してみましょうか」


 ただ走りながらでは、地図を描くことはできない。また罠の有無をじっくり判断することもできない。


 そのため、二人は道順を記憶しつつ、瞬時に罠を見抜いて、その上で可能なかぎりの全力疾走まですることになる。


 しかし、この努力は結局無意味に終わった。


 二人の移動するスピードより、迷宮が広がるスピードの方が速いのか、どれだけ走っても出口にたどり着くことはできなかったのである。


「もういっか」と、先を行くリリアが立ち止まってしまう。ただ、それは脱出を諦めたわけではなく、別の方法を話し合うためだったようだ。


「無限迷宮に来る人は多分、大体が『女神像』目当てだよね?」


「そうだと思いますよ。他に魔導具があるという話も聞かないですし」


「てことは、『女神像』を手に入れた時点で、みんな出口まで引き返すじゃん? 実はそれが間違いで、さらに奥に進むのが正解のルートなんじゃない?」


「また試してみましょうか」


 地図を頼りに、まず『女神像』が元あった位置まで戻る。そこから、二人はさらに先へと続く道を進んでいく。


 だが、今回も結果は変わらなかった。


 これまでとは逆に、上側に地図が大きくなっていくばかりで、やはり出口にたどり着くことはできなかったのだ。



          ◇◇◇



 夜になったので、アルフレッドは食事の準備を始めていた。


『火吹石』で火をおこす。その上に、水を張った鍋を置く。


 食事は任務中の数少ない娯楽である。さまざまな料理を作れるように、『マジックバッグ』で何十種類もの食材を持ってきていた。


 しかし、今はただ任務中というわけではない。遺跡から脱出できない、言わば遭難中の状態だった。食材の消費はなるべく抑えるべきだろう。そう考えて、今夜は芋を茹でるだけにしたのだ。


 それも、単なる芋ではなく、芋の魔導具だった。副食おかずがいらないくらい栄養豊富で、調味料がいらないくらい甘味がある『万能芋』である。


 万能というだけあって、この芋は栽培も簡単だった。気温や日照時間、病虫害対策などにほとんど気を遣わなくていい。そのため、遺跡の中でも十分育てられることがすでに証明されている。


 さらに言えば、茹でるための水も魔導具で出したものだった。汲めば汲んだ分だけ水が湧く、『水母すいぼかめ』を使ったのだ。


 こちらは『万能芋』と違って、非常に貴重な魔導具だった。本来は水不足や旱魃かんばつが起こった地域に対して、国が貸与するような代物である。しかし、今回は無限迷宮の調査を行うということで、隊長のシルヴィアが特別に使用許可を取ってきてくれたのだった。


 この『万能芋』と『水母の甕』の二つがあるかぎり、餓死や渇死をする可能性はまずないだろう。


 もっとも、外界と隔絶された場所で、同じ食事を取り続けるだけの生活を、生きていると言えるのかという問題はあるが。


「…………」


 芋の載った皿を前に、アルフレッドは思案に暮れる。


「『女神像』のあった場所からさらに奥へ進む」という作戦が失敗したあとも、「天井や床を破壊できないか試す」とか「脱出用の魔導具が設置されていないか調べる」とか、いろいろと試行錯誤してみた。けれど、どれも上手くいっていなかった。そのせいで、食事を取ることよりも別の脱出方法を考えることで頭がいっぱいだったのだ。


 しかし、結局考え事にも集中できなくなってしまった。


 リリアが思いきり顔を近づけてきたからである。


「なっ、なんですか?」


 そう尋ねても、彼女は答えない。ただ無言のまま、こちらの頬に手を添えて――


 左右に引っ張ってくるのだった。


「……何なんですか?」


「暗い顔してるからつい」


 心持ち上に引っ張っていたのは、どうやら口角を持ち上げるためだったらしい。


「きつい状況なのは分かるけど、後ろ向きだといいアイディアも出ないよ」


 リリアはそう言って笑いかけてくる。けれど、お手本というにはあまりに人を喰ったような、いたずらっぽい笑顔だった。


 それを見て、アルフレッドもようやく『万能芋』に手を伸ばすのだった。


「それで、アル君は子供は何人くらいほしいの?」


「はい?」


「このまま出られなかったら、そういうことになるかと思って」


「迷宮暮らしを前向きに検討しないでください」


 アルフレッドは大真面目に反論していた。


 もちろん、リリアはジョークのつもりで言ったのだろう。それどころか、笑わせて励まそうとしてくれたのかもしれない。


 しかし、本当に現実化しかねない状況だということを考えると、笑うに笑えなかったのである。

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