1-4 ボスとの戦い
ナイフの柄頭で石を叩く。すると、叩いた箇所が赤みが帯びる。台の上に並べる頃には、ついに火まで放ち始めた。
アルフレッドはたき火をするため、強い衝撃を与えると発火する石の魔導具、『
遺跡の保全を考えて、『火吹石』は床に直接ではなく、たき火台の上に置いていた。アルフレッドはさらにその上に、グリルスタンドとフライパンを設置すると、切り分けておいた肉片を焼き始める。
肉に十分火が通ったら、今度はそれを皿の魔導具に取った。
「……安全みたいですね」
「じゃあ、毒で死んだせいで帰ってこれなかったってこともないか」
つい先程のことである。無限迷宮を探索する最中、アルフレッドとリリアは罠に――見慣れない熊系の魔物に遭遇した。
幸いなことに、単に初見というだけで、難敵というわけではなかったようだ。戦闘には簡単に勝利することができた。
だが、まだ罠は続いているのではないかと二人は考えた。
遺跡から脱出できなくなった場合に備えて、食料を余分に持ち込むのはもちろん、食料の節約のために倒した魔物を食べるのも珍しいことではない。一方、遺跡の
そこで二人は、人体に有害な物質を乗せると銀から黒に変色する小皿、『毒見役』を使って、熊肉の毒性を確認したのだった。結局、今回の推測も空振りに終わってしまったが。
「味はどう?」
「臭みが強いですね」
「あ、ホントだね」
「ハンバーグにでもしますか」
毒見の次は味見をしながら、二人はそんな相談を交わす。
遺跡の中にいるせいで分かりづらいが、時刻はもうとっくに夜だった。その上、ちょうど行き止まりに出た。三方を壁に囲まれて、魔物が来る方向が一ヶ所に限定される、比較的安全な場所である。だから、今夜は行き止まりを野営地として、夕食と睡眠を取ることにしたのだ。
「うーん、まだ臭みがありますね」
「いや、十分おいしいよ」
満更お世辞というわけでもないようで、リリアは熊肉のハンバーグをどんどん食べ進めていく。しかし、アルフレッドは満足できずに、「カレーにでもした方がよかったですかね」と眉根を寄せる。すると、「明日試してみる?」と返ってきた。
そうして『火吹石』のたき火を囲みながら、二人はハンバーグの出来以外にも、いろいろなことについて話をした。熊の魔物は未発見の新種なのかどうかということ。新種なら何という名前をつけるかということ。他の隊員たちは今何をしているかということ。ホテル王オリバーの気さくな態度が演技かどうか、再び水掛け論になったりもした。
オリバーといえば、アルフレッドにはずっと気になっていたことがあった。
「でも、妙な任務ですよね」
「なんで? 遺跡に潜って、魔物倒して、魔導具を回収する。めちゃくちゃベタじゃん」
「入ったら出られなくなるということは、言い換えれば入りさえしなければ、特に被害は発生しないということです。また、中にあるとされる『女神像』も、ただ美しいというだけで、他に有益な機能があるという伝承は存在しません」
「わざわざ私たちが調べる価値はないってこと?」
「そこまでは言いませんが、優先順位はかなり低いはずです。実際、今までは無期限で延期していたくらいですからね。
それなのに、所有者が変わったというだけで、どうして調査を再開することにしたんでしょうか」
これらの疑問点から、「所有者云々は建前で、本当は何か別の理由があるのではないか」とアルフレッドは邪推していた。
だが、リリアの考えは全然違うようだった。
「そんなのオリバー・オークウッドがお金持ちだからでしょ」
「え?」
「だから、向こうが圧力かけて無理強いしてきたか、こっちが忖度して引き受けたかのどっちかでしょ」
確かに相手が国内でも指折りの大富豪だと考えたら、その可能性もありえなくはない。ありえなくはないが――
「ボクたちの給料って税金ですよね?」
「だから、いっぱい税金払ってる人の味方なんじゃん」
「し、資本主義の歪み……!」
コアトルズのような公的機関の役割は、社会福祉や環境保護など、利益優先の資本家が無視・軽視しがちなものをカバーすることなのではないのか。資本家に
「こんなこと許されるんですか?」
「アル君みたいな下っ端が許さなかったところでねー」
部隊に仕事を割り振れる立場にいると考えると、当然相手は隊長のシルヴィアよりもさらに上の人物ということになる。中央調査部の部長か、調査局の局長か。ひょっとするとコアトルズの長官ということまであるかもしれない。リリアの言う通り、平隊員では抗議する以前に、まず面会することさえ叶わないだろう。
「文句があるなら、出世して組織改革でもするしかないね」
「はぁ……」
そこまでやるのはアルフレッドには無理だと諦めているのか。そこまでやらなければコアトルズは変わらないと諦めているのか。あるいは、その両方かもしれない。リリアの口調は冷めたものだった。
かと思えば、彼女は急に笑顔になる。
「その時は私の給料も上げてね」
「それも腐敗じゃないですか」
◇◇◇
この日も、二人は『完全美の女神像』の捜索を行っていた。前衛にリリア、後衛にアルフレッドという隊列で、無限迷宮の中を進んでいく。
薄暗い通路を歩く。袋小路に出たので方向転換する。そして、また歩き出す。
薄暗い通路を歩く。コウモリ系の魔物と戦闘になる。そして、また歩き出す。
薄暗い通路を歩く。今まで書いた地図を確認し合う。そして、また――
「にしても広いね」
歩き出す前に、リリアはうんざりしたようにそうこぼした。
無限迷宮の調査を始めてから、すでに四日目。その間、二人はずっと歩き続けていた。にもかかわらず、未だに『女神像』を発見できていなかったのだ。
しかし、二人は代わりに、無限迷宮の異常性を発見していた。
「もう明らかに外観の大きさを超えてると思うんだけど」
地図に書き込みをしてみれば一目瞭然だった。突入前に計測しておいた迷宮の外周を枠として描くと、通路がその枠を突き破ってしまったのである。多少はみ出すくらいならともかく、ここまで来たらもはや誤差では済まないだろう。
「内部は空間が歪んでいるのかもしれませんね」
「もしかして、本当に迷宮が無限に広がってるとか?」
「その可能性はあるでしょう」
土地を最大限活用するためなのか、『マジックバッグ』のように、外観より内部の方が広い遺跡はしばし発見されている。そのことを考えれば、無限かそれに近い規模の遺跡もありえないとまでは言い切れない。
「もっとも、ただ広いというだけなら、引き返せば脱出できたんじゃないかという気もしますが……」
「それはそうだよね」
ここまで進んできたかぎり、遺跡内の迷路はそれほど複雑なものではなかった。仮にこの迷路が無限に続いているとしても、きちんと地図さえ作っておけば、帰り道で迷うようなことはまずないのではないか。『女神像』の発見者がいないというならまだしも、帰還者さえいなくなるほどの罠かというと疑問の余地は残る。
そのあとも、しばらく話し合いを続けたが、有力な仮説は出なかった。これまでと変わらず、「『女神像』を探しながら様子を見る」という結論に落ち着く。
再び縦に隊列を組んで、二人は無限迷宮の中を進んでいく。
薄暗い通路を歩く。分かれ道に出たので右の道を選ぶ。そして、また歩き出す。
薄暗い通路を歩く。分かれ道に出たので次は左を選ぶ。そして、また歩き出す。
しかし、今度の曲がり角は、処刑台へと続いていたらしい。
リリアに向けて、巨大な刃が降ってきた。
曲がり角の先は見通しが利かないから、警戒はしていたのだろう。すんでのところで、彼女はこれをかわす。
だが、刃の正体は、ギロチンではなく巨大な斧だった。相手は二撃目を繰り出そうと、改めて
「ミノタウロス……!」
襲撃者の容貌を目にして、アルフレッドは思わずそう叫んでいた。
ミノタウロスは半人半獣の、二足歩行する牛の魔物である。そのため、人間の器用さで武器を持ちつつ、牛の筋力でそれを振るうことができる。
その上、無限迷宮の
スピードではリリアに分があった。伸縮自在の『
見上げるほどの巨体から言って、パワーはミノタウロスの方が間違いなく上だろう。一撃でも喰らったら、それだけで重傷に、いや致命傷になりかねない。
だから、後衛のアルフレッドが援護に入った。『アングラー』を使って、鎖付きの矢を放ったのだ。
『アングラー』の鎖は、矢を自動で回収・装填することで、連射性能を上げるためだけのものではない。フックショットやグラップリングフックと呼ばれる武器と同じ機能を持たせるという意味合いもあった。
つまり、対象に矢を突き刺したあと、矢と一緒に対象を自分のところへ引き寄せることも可能なのである。そのため、『
アルフレッドが狙ったのは、ミノタウロスの斧だった。相手の武器を奪えば、リリアが戦いやすくなるだろうという判断である。矢を突き立てるのは難しそうだから、斧の柄に鎖を巻きつけると、それを籠手の
当然、これに対抗しようと、ミノタウロスは逆に引っ張り返してくる。まるで釣り師と魚のファイトのようだった。
巨大な両刃斧を振り回せるだけあって、ミノタウロスは怪力なのだろう。だが、『アングラー』が鎖を巻き上げる力はそれ以上だった。
にもかかわらず、アルフレッドはじりじりとミノタウロスの方へと引きずられてしまっていた。
筋骨隆々のミノタウロスに対して、アルフレッドは腕力や体重で大きく劣っている。いくら
このままでは、いずれミノタウロスの攻撃圏内に入ってしまうだろう。しかも、相手と鎖で繋がっているために、自由に回避行動を取るのは難しいはずである。
だから、そうなる前に、アルフレッドは左腕から『アングラー』を外すしかなかった。
もっとも、ミノタウロスとの引っ張り合いに勝てないことくらい、初めから想定済みだった。
アルフレッドが『アングラー』を手放したことによって、引っ張り合っていたはずの二つの力の均衡が崩れる。相手の引っ張る力が過剰なものになる。
結果、ミノタウロスは勢いあまって後ろによろめいていた。
「アル君、ナイス!」
『神珍鐵』が伸縮自在なのは、縦だけでなく横についてもである。要するに、長さだけでなく、太さも変えることが可能なのである。
そのため、アルフレッドが作った隙を利用して、リリアは『神珍鐵』をめいっぱい巨大化させていた。
そして、その圧倒的な質量で、鎧ごとミノタウロスの骨を砕いたのだった。
〝もしかして、めちゃくちゃ強い魔物でもいるのかな? それで
リリアは以前、迷宮からの帰還者がいない理由をそう分析していた。実際、ミノタウロスは難敵だったから、前半については正しかったのかもしれない。
また、どうやら後半についても正解だと言えそうだった。
「あれがそうなのかな?」
リリアはミノタウロスが佇んでいた場所の背後を指差す。さらには光に引き寄せられる蛾のように、それに近づいていく。
実際、それは仄暗い迷宮の中で、灯火のように白く輝いていた。いや、そう錯覚させられるほどに純白だった。
ほとんど無意識の内に、アルフレッドもそれに向けて歩き出す。あやふやだった輪郭が徐々にはっきりとし始める。
それはどうやら人の姿をしているらしい。ただ頭身を考えると、子供ではないだろう。また、髪の長さや体つきからいって女のようである。
『完全美の女神像』だ。
そばまで来たところで、アルフレッドはそう確信した。
その理由は単純だった。
〝遺跡の中心に美しい――それはもう言葉では言い表せないほど美しい像があると、当時の伝承で
事前に説明されていた通り、いやそれ以上に美しかったからである。
たとえ言い表す言葉があったとしても、言葉を失ってしまうくらい、美しかったからである。
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