1-3 モンスターとの初遭遇

 本当に、美しいと評判の『完全美の女神像』があるのだろうか。


 そう思えてしまうほど、無限迷宮の外観はひどく無機質なものだった。


 形や色がまったく同じ石材を、ただ積み上げただけの単純さで、巨大な直方体としか表現する言葉が見つからない。無機質を通り越して、もはや非人間的でさえある。建造物でありながら、まるで来訪者を拒絶しているかのようだった。


 事実、この無限迷宮からは、これまで誰も生還したことがないのだという。


 いきなり迷宮の奥まで踏み入ったら、先人たちの二の舞になるに違いない。そう考えたアルフレッドたちは、まず入り口付近で簡単な検証を行うことにした。


 リリアは腰につけた小さなかばんから愛用の道具を取り出す。中に絶対に収まりきらないような長い棒――こんである。


 調査隊員たちの所持する鞄は『マジックバッグ』、あるいは『アイテムボックス』『インベントリ』などと呼ばれる魔導具だった。『マジックバッグ』は内部に異次元が広がっているため、空間や時間の概念を無視して物体を保管しておくことができる。つまり、鞄のサイズよりずっと大きなものを収納したり、いずれ腐るはずのものを半永久的に保存したりできるのである。


「ふんふん……」


 迷宮内の壁を棍で軽く叩いて、リリアは感触や反響音を確かめていく。


 ただ、これは応用的に使っているだけで、本来棍は武器である。そのことはリリアも重々承知していて、最終的には基本通りに使用した。


「ふん!」


 棍を振りかぶると、壁を思いきり殴りつける。


 しかし、結果は思わしいものではなかった。


「やっぱり無理かー」


 迷宮の壁は、まるでびくともしていなかった。崩れないどころか、ひびやへこみすらできなかったほどである。


 次に、アルフレッドが検証に取りかかった。顔の前で折り畳み式の手鏡を開く。


 これは『コンタクトミラー』といって、同じく『コンタクトミラー』を持つ相手となら、距離が遠く離れていても会話ができるという魔導具だった。


 手順は以下の通りである。開いた『コンタクトミラー』の下側(持ち手部分)に、指で相手の『ミラー』の識別番号を書く。すると、相手の『ミラー』が振動して、接続コンタクト希望だということを知らせてくれる。


 この時に、相手も『ミラー』の下側に指で触れれば接続は成功。上側の鏡面にお互いの姿が映り、会話ができるようになる。


 だが、こちらも結果は思わしくなかった。


「『コンタクトミラー』も繋がりません」


 迷宮の外にいるシルヴィアの顔は、いっこうに鏡面に映らなかった。入る前に試した時には上手くいったから、迷宮の何らかの作用によって、『ミラー』の接続が妨害されていると考えていいだろう。


「情報の通りか……」


 二人の報告を受けたシルヴィアは目を尖らせていた。


 遺跡内で道に迷った時、壁が頑丈だと、突き破って外に脱出することができない。また、接続が妨害されると、外部に救助を要請をすることもできない。どちらも調査の危険度を上げる要因になる。彼女はそれを憂慮しているのだ。


「でも、ここまでは遺跡としては珍しくないですよね? それなのに誰も戻ってこなかったということは、中に何かあるんでしょうか?」


「おそらく、そういうことだろうね」


 キャリアの長いシルヴィアに賛成されたことで、アルフレッドはますます仮説への確信を深める。


 頑丈な壁や接続の妨害は、他の遺跡でもよく見られるものである。また、そもそもその二点が問題になるのは、あくまでもの話である。無限迷宮から誰も戻ってこなかったのは、それらとは別に迷わせる仕掛けが存在するからだと考えるべきだろう。


 たとえば、それこそ噂通り、中には限り無く迷宮が広がっているのかもしれない。


「どれくらいかかりそうだ?」


「外観から言えば五日、余裕を見て十日ってところですかね」


「それじゃあ、『女神像』が見つからなくても、十日経つ前に一度遺跡を出て連絡を入れるように。もし連絡がなかった場合は救助を派遣する」


「了解です」


 シルヴィアの指示に、リリアはそう答える。アルフレッドも頷いていた。


 しかし、指示にはまだ続きがあった。


「中に何があるか分からないんだ。とにかく気をつけて調査に当たってくれ」



          ◇◇◇



 無限迷宮の中は仄暗ほのぐらかった。


 いかに古代魔科学文明の産物であっても、経年劣化と完全に無縁というわけではない。迷宮内の松明型の魔導具のいくつかも、すでに壊れてしまっているようだ。


 その上、行く手には、飾り気のない石壁と面白みのない石床で構成された通路が延々と続いているばかりだった。先述の薄闇も合わさって、気が滅入りそうなほど殺風景である。


 そんな虚無的な空間の中を、リリアは棍を手に進んでいく。そのあとを、少し離れてアルフレッドがついていく。


 現代まで原形を留めているような遺跡は、当時としても高価な素材や高度な工法で建てられたものらしく、有力者の宝物庫や墳墓というケースが多い。だから、遺跡内で発見される魔導具も、本来は財産や副葬品として用意されたもののようだった。


 また、その財産や副葬品を侵入者に盗まれないように、遺跡内には罠が仕掛けられていることも珍しくない。


 典型的な罠の例は、通路を入り組んだ迷路状にするというものである。


 そのため、リリアはしばらく歩いたあと、立ち止まってアルフレッドの方を振り返ってきたのだった。


「そろそろ確認しとこうか」


「はい」


 道に迷うことのないように、二人はそれぞれ地図を書きながら歩いてきた。今度はその二つの地図を見比べて、ミスがないかをチェックする。


「先を行く前衛が通路の安全を確かめ、あとに続く後衛がその通路を記録する」というのが、遺跡調査における基本的な役割分担である。しかし、今回調べるのは帰還者0の無限迷宮ということで、念には念を入れて前衛のリリアも地図の作成をしていたのだ。


「問題なさそうだね」


「そうですね」


 分かれ道に回り道、行き止まりなど、確かに迷路状にはなっている。しかし、記録に失敗するほど複雑なものではなかった。


「罠も全然仕掛けられてないし……」


 矢が飛んでくる、岩が転がってくる、落とし穴が仕込まれている…… 迷路以外にも罠にはさまざまな種類があるが、リリアの言う通りどれ一つとして確認されていなかった。


「アル君は何か気づいたこととかある?」


「いえ、今のところ特には」


 前衛が罠を見落とした場合に備えて、二重に確認をするのも後衛の役割である。けれど、それらしきものは発見できていなかった。


「もしかして、めちゃくちゃ強い魔物でもいるのかな? それで御伽話おとぎばなしみたいに財宝を守ってるとか」


「確かに、護衛が配備されているというのはありえそうな話ですが……」


 魔物とは広義には危険な生物全般のことだが、狭義には古代人が魔科学によって生み出した人造生命体のことを指す。これも遺跡に配備されていることの多い罠の一つに挙げられる。


「ただ未だに一匹も魔物を――」


 見ていませんからね、とアルフレッドが続けようとしたところを、リリアが遮った。


「言ったそばからこれだよ」


 二人の下へ、四足獣の群れが迫ってきたのだ。


 鋭い爪と鋭い牙、そして乾いた血のような赤褐色の毛並み。レッドコヨーテである。


 だが、いかに強力な武器だとしても、爪や牙である以上近づかなければ攻撃できない。そこでアルフレッドは距離のある内に、レッドコヨーテたちを迎え撃つことにした。


 左腕にはめた籠手こて型のクロスボウ、『アングラー』を使ったのである。


 通常の弓と比べて、クロスボウの弦は張力が強いことが多い。そのせいで、威力は高いものの、反面矢の装填には時間がかかってしまう。


 しかし、『アングラー』の場合、矢じりには鎖が、籠手にはその鎖を巻き取る機構がついていた。そのため、矢の回収・装填が半自動で行われ、クロスボウでありながら連射が可能だったのだ。


 その上、レッドコヨーテの迎撃には、本来は前衛のはずのリリアも参戦していた。


 距離の離れた敵を討つため、腕を長く伸ばす。もちろん、それだけでは到底届かないので、も伸ばす。


 リリアの棍の正式名称は『神珍鐵シェンヂェンティエ』。これはかの有名な如意棒の素材である天河ティエンフー鎮底ヂェンディー神珍鐵シェンヂェンティエから取られたもので、由来の通り使用者が念じるだけで、自由に長さを変えることが可能だった。


 また、伸縮自在ということは、伸ばして遠くの敵を攻撃できるだけでなく、縮めて近くの敵への対処もできるということである。おかげで、倒し切れなかったレッドコヨーテたちとの接近戦になっても、何の問題も起きなかった。


 短くした『神珍鐵』で、時には殴り、時には突く。また、時には床に突き立て支柱にして、それを軸に蹴りを繰り出していた。まるで踊るかのような、華麗な戦いぶりである。もっとも、以前にそう言ったら、「ポールダンスってこと?」とからかわれてしまったが。


 リリアがそうして前線で戦う間、クロスボウが主兵装のアルフレッドは、後方に下がって援護に回っていた。しかし、下手に手を出せば、かえって彼女を邪魔することになるだろう。そのせいで、なかなか『アングラー』を使用するタイミングが見つからない。


 結局、魔物の群れは、ほとんどリリア一人で倒してしまったのだった。


「レッドコヨーテって、このあたりにも生息してたよね?」


「はい、単に野生のものが住み着いただけだと思います」


 雨風をしのげる等の理由から、野生動物が遺跡を縄張りにするのはしばし見られる現象だった。今回のケースも同様で、遺跡のあるじとレッドコヨーテはおそらく無関係だろう。


「大して強い魔物でもないし、これが誰も戻らなかった原因ってことはないかなー」


「それはリリアさんがすご過ぎるだけという可能性もありますけどね」


 彼女の言う通り、確かにレッドコヨーテはさほどの脅威ではない。しかし、あれだけの数の群れを、まったくの無傷で倒せる人間が何人もいるとも思えない。


 アルフレッドがそう分析するような賞賛するような言葉を掛けると、リリアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「よかったでしょ?」


 彼女も以前のやりとりを覚えていたらしい。ポールの代わりに『神珍鐵』に掴まりながら、投げキッスをしてくる。「それはもういいです」とアルフレッドは渋い顔をした。

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