第3話 右眼のエル ①
始業を知らせる鐘が鳴るころ、ランスは学校の門を慌ててくぐった。
教室にたどり着くと、ランスはどっかりと椅子に腰を下ろして、息をついた。
「よお、ランス」
隣に座っている、メイアが話しかけてきた。
「おはよう」
と言いながら、ランスは鞄から教科書を机に出した。
「今日は、進路相談の日だ」
「そうだったっけ?まるで認識してなかった」
「お前は、卒業したらどうする?」
「俺は、一月の選定試験を受ける」
「え、お前受けるの?今のお前の魔力じゃ、到底無理だと思うけど」
「俺だってそう思うけど。今年は無理かもしれないけど。でも、受かるつもりでやらないと、来年も無理だろうから」
「やめておけよ。時代が良くない。苦労して軍予備門に入ったとして、きっつい訓練受けなきゃいけないし。それが終わって軍に入隊したら、なお悲惨だ。この国は梯子を外されたんだよ。この先、情勢は悪くなる。本当に戦地に送られるぞ」
「軍どうこうは関係ないんだよ。俺は、とりあえず、強くならないといけないから。国のためでもなく」
「ユカリのためか?」
ランスは黙っていた。
「呆れたな。アクシデントで他の世界から来た人間に、そこまで尽くすのは、おれには到底理解できない」
「ほかにすることもないんだよ。それよりメイア、お前はどうするんだよ?」
「おれは、公務官の試験を受ける。魔法訓練校卒なら、下駄を履かせてくれるしな」
「手堅いね」
「能力者なんてチープにあがめられようが、おれたちに提示されている道は、案外と狭い。魔法訓練校卒が、どういう職につくか、知ってるか?」
「知らない」
「公務官、教師、保安官、そして、犯罪者」
メイアが、自嘲気味に笑った。
「魔法を使って小悪党になる。そして、魔法を使う保安官に捕まる。まったくくだらない話だけど、それが現実だ」
授業が始まると、ランスは睡魔に襲われた。そして、ランスは睡魔に抗う術を知らなかった。教壇では、髭だるまことダンバ先生が、魔法にまつわる自分の解釈を延々と講釈していた。入学以来、何十回と聞いた講釈だった。
「魔法とは、すなわち人を幸せにする力であります。その者の資質にもよりますが、ないものをあるようにする。力というのは本来、燃焼といった変化に伴って生まれるものですが、魔法は違う。そこに力を突然に発生させる。正確に言えば、何かからその力を拝借する、のであります。いったい、何から拝借しているのか。人によってはそれを神と表現する。でも実態はわかりません。ただひとつ言えるのは、資質ある特定の者が、特定の思念上の経路をたどることで、その<拝借>を実現させうる。思念は最終的に言葉によって強固に固定される。だから、呪文が必要なのです」
ダンバ先生が、白墨を手に取った。
「’ムブ’」
白墨が、ふわりと宙を浮いた。
「ムブとは唱えたものの、本来的には、ムブなる魔法は存在しない。それは人間が勝手に、暫定的に名付けたものです。正確に言えば、これは’思念による動力の発生’であります。しかしそれを、我々は共通見解として、ムブ、と認識している。これまでの歴史がそうさせている。だからこそ、ムブ、と声に出すことで、最終的に思念上の経路が固定され、動力が発生されるのです」
教科書に目を落としている素振りをして、教師にばれないように寝ることは得意だった。訓練校に在籍した四年間で身につけた技術だった。
「おい」
メイアに揺さぶられて、ランスは目をさました。
「へ?」
同時に、右眼に痛みが走った。いや、右眼はすでにない。右目がかつてあった、眼底が痛んだ。
「っつ——」
「大丈夫か、お前?」
「何が?」
「何がって、ぶつぶつ独り言言ってたじゃないか」
「独り言?どんな?」
「こいつ、とか、このあほ面、とか、なんか悪態ついてるような」
「寝言かな。エレガントな俺が、そんな乱暴な言葉を使うとは」
「エレガントってお前、どの口が言うんだ」
その時、「おい、お前ら」という言葉が、ランスの頭上から聞こえた。見上げると、ダンバ先生が、目を吊り上げて立ちはだかっていた。
「おれの授業中に私語か。いい度胸だな」
「いえ、先生の魔法解釈の、崇高さを二人で論じていたのでありまして——」
「言い訳はきかん」
ダンバ先生が、ランスの首元をむんずとつかんで、持ち上げた。
『退屈だ』
とランスが言った。
正確には、ランスの声で誰かが言った。
『退屈で、くだらん』
「な、なんだとお——」
ダンバ先生がその怒りのゲージを上げていき、ランスの首元をつかむ力も強くなった。
すると、ランスの左腕が、急に動き出した。
ランスの左腕は、ダンバ先生の腕をひねり上げた。そして、どんと突き飛ばすと、ダンバ先生の巨体が他の生徒も巻き添えにして、床に倒れ伏した。
皆が呆気にとられ、しんと静まった。
ランスは注視を浴びた。
「いや、あの、これは……」
他ならぬ、ランスが一番狼狽していた。
「あ、ちょ、トイレ」
ランスは、いたたまれず、教室を飛び出した。
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