違和感
私の母との一番古い記憶は、幼稚園の下見に行ったときの記憶だ。家からだったか途中からだったか、母は私を負ぶって幼稚園までの道のりを歩いた。私はそれがとても嬉しかった。なぜって、周りに誰もおらず、母の背中を独り占めしている感が半端なかったからだ。母は分岐した道で迷い、右の方を選んだ。坂道を登りながら、「じゅりちゃん、お母さん間違えたわ。」と言った。どうやら左が正解だったらしい。ラッキー。もっと長くお母さんの背中にいることができる。母はくやしがっていたが、私はとてもとても幸せだった。
小学校1年生の5月、妹ができた。私は妹の誕生を喜んだ。率先してミルクをやったり、おむつを変えたり、世話に勤しんだ。ところがこの妹、1歳にもなると、大したモンスターっぷりだった。気に入らないことがあればすぐに蹴りを入れてくる。寝転がったまま、片足ずつ、ものすごい強さだ。なんなんだこいつは。寝起きで母がいないと分かるとたちまち泣き叫ぶ。買い物の留守番を任せられているこちらとしては、母が帰ってくるまで辛抱するしかない。うるさい、うるさすぎる。我慢の限界が来て、毎回妹をおんぶして母が帰ってくる道を歩いた。姉というものはこんなにまでも苦労するのか。
そんな姉ライフを送っていたが、妹と遊べるようになってからは、喧嘩も無くなった。まぁそれはそうだろう。6歳離れているのだ。喧嘩するぐらいなら友達と遊ぶか、うまいこと口車に乗せて年上の権限でこき使うのが定石だ。私と妹との関係は悪くはなかった。
一方で、母の私への過剰なまでの教育が始まった。幼稚園児だった頃は受けたことのない、理不尽なだけの、母の思い通りにさせたいが為の、壮絶な教育だ。
私はとにかく毎日怒られた。何で怒られていたのかはあまり覚えていない。ただ、何かしらで怒られるのだ。怒られたランキング一位なのは勉強のこと。少しでもできなければビンタされた。往復ビンタだ。問題の答えを求められ、間違えたらビンタ。次も間違えたら叩かれる、そう思ってなかなか声を出せない。すると、またビンタ。どうすればいいのだ、どうすれば、早く安心できるのか。叩かれて痛いのと、また叩かれるのではないかという恐怖で、泣きじゃくる毎日。やっと正解して、解放されても、何が起きているのか分からない状況。
ある日は、バスに乗っている最中、母が子供の乗車賃はいくらになるのか尋ねてきた。計算方法が分からなかった。
「大人の半分だから。半分にできないときは10円多くなるから。だからじゅりのお金はいくらになるの。」
考えても分からなかった。おそるおそる答えた。───だめだ、違った。母は、思いっきり私の太ももをつねった。バスの中だからビンタできない。私も、泣くことはできない。ひたすら痛みに耐える。別の大人料金で問題が出された。もう、思考できなくなってしまっている。分からない。考えられないのだ。また不正解。太ももは赤くなっていた。
ピアノレッスン。教室に向かう前、母に怒られた。先生は、私のピアノを褒めてくれた。嬉しくて母を見た。母は、「こっち見るんじゃねーよ。」とばかりの冷たい目線で切るように私を見た後、ぷいと横を向いた。何が正解なのだろう。どれを選べば母は納得いくのだろう。
風呂場ではシャワーの湯をいきなり顔に浴びせられた。
座椅子の上に突っ伏した状態で、頭の上目掛けて何度もクッションで殴られた。
眼球の上の骨をグーで殴られたため、痣ができた。「先生には転んだって言いなさい。」
そんな毎日だが、母は決まって、私を殴った後、しばらくすると私を抱きしめる。「ごめんね、ごめんね。だめなお母さんでごめんね。」と言いながら。私はほっとしていた。よかった、私を殴るお母さんは、本当のお母さんじゃないんだ。
まぁ、そんな思いはすぐに次の日には打ち砕かれるのだが。
母の暴力はきまりがある。父がいるときにはしないのだ。父は、救急救命士だった。24時間勤務で、丸一日職場に行き、丸一日家にいる。(非番なのだが。)そう、怒られはするが、殴られはしないのだ。私には父がいる日が心の休まる日だった。父がいない日は、お父さん、早く帰ってきて、と心の中で叫んだ。
たまに、ほんのたまに、怒られもしない日があった。今日は怒られてない!小さな私の大きな喜びだった。本当に、本当に、喜びだった。毎日真っ暗な所にいるのに、闇がさあっと引いていくのが分かる。すごい!怒られていない!これは、すごいことだ!自分が何をしたのかは分からない。つまるところ、母の逆鱗に触れていないだけ。それが、小さな私にとって、かけがえのない幸せだった。私は嬉しくて正の字を刻んだ。怒られなかった日を数えることにしたのだ。
だが、父がいた日、思いもしなかったことが起こった。小1の私は、宿題の算数プリントに頭を抱えていた。数が数えられないのだ。それもそのはず、時計の針は0時を回った。飴だかうさぎだか、100以上印刷された絵を、10数えては鉛筆で囲み、10のまとまりがいくつあるかで全部の数を求める問題。なかなか数が合わない。もちろん、私は怒られていた。そして眠い。どう考えても当たり前にできるはずがない。6歳の少女が、日付が変わっても勉強している。
母は、眠そうな私を叩いた。何が起きたのか分からず、私は泣き叫ぶ。───階段から足音が聞こえる。
「ほら、あんたが早く解かないから降りてきたじゃん。」
「こんな時間まで何をしているんだ!早く寝ろ!」
心に穴が空いて、風が通っていった。父は、私を守ってくれると思っていた。そのときの父が、母にだけ叱責したつもりだったのかは、定かではない。だが、あの状況で、私は自分が怒られたと感じた。
母から殴られ、頼みの綱の父までもが怒ってきた。
ああ───どこにも逃げ場は無かった。だめだったのだ。望みなんて抱いてはいけなかったのだ。これで、殴られるのが終わる───なんて、馬鹿だなぁ。小さい私は、体も一回り小さくなった気がした。
父は父で、短気だ。すぐに頭に血が上り、母に強い口調で物を言う。うちの両親の喧嘩は例を見ない。というのも、一度喧嘩したら、長くて半年口を聞かないのは当たり前だったからだ。そうなってしまうと、全ての連絡が私を介さないと途切れてしまう。普段、自分たちでしていることを、私がやらなければならなくなるのだ。「じゅり、お父さんにご飯って言ってきて。」「じゅり、お父さんに───。」しんどかった。両親が喧嘩している、家庭の空気がギスギスしているのを肌でビンビンに感じながら、そつなくパイプ役をこなさなければならない。こんな役、妹にさせてはだめだ。私がやらないと。一生懸命役割を果たした。まだか、まだやるのか……子どもながらに情けなくなってくる。でも、子どもだから、文句が言えないのだ。
そして、何かの拍子に仲直りしている。やった!やっと仲直りしてくれた!
この、繰り返し。小学校3年生ぐらいにもなると、「またパイプ役の期間ね。」という感覚になっていたように思う。小さなじゅりは、自分のこと以上に、親のことで忙しいのだ。
母は、私に対する暴言も増えた。「死ね」と言われるようになった。
「あんたなんかベランダから落ちて死ね。」
学校で口の悪い男子が言っているのを聞いていたが、私には無縁の言葉だった。そいつらは、なぜ平気で死ねと言えるのか、死ね、と本気で思っていないことは明らかなのに。死ぬということは、いなくなるのだ。相手のことが腹立つから言いました、とかそういう次元じゃない。この世から消えることが死ぬということで、そんなこと微塵も思っちゃいない、せいぜい転んで怪我しろぐらいにしか思ってないくせに、思いとは裏腹に恐ろしい言葉を。
だが、遂に母に言われてしまった。私が軽蔑している言葉を母から聞いた日、男子から聞くのとは違って聞こえた。親が、子どもに言うのか。そうか……それ程までに、私は大したことない存在。本気で死ねと思っていないことも分かる。それ以上に、だからこそ、なんとも言えない虚しさが込み上げた。
相変わらず私を怒り、殴り、謝る母に、「死ねって言わないで」と伝えてみた。
「ごめんね、もう言わないよ。」
結局、無意味だったが。
「何が死ねって言わないでよ。あんたなんか死ねばいいんだよ。」
「何がお母さーんよ。寄ってこないで。」
次第に、母に寄り付かなくなった。妹とどっちがお母さんを独り占めできるか競争していたが、寄るなと言われれば仕方がない。母のことは妹に任せることにした。
だんだんと母の理不尽に疑問を抱き始めた。同時に、私はどうして言われるがままにしているのだろう、とも思い始めた。
小4のとき、考え方を変えた。どうしたって、母は怒るのだ。殴ってくるのだ。そして、懺悔するのだ。この歯車にずっと乗ってきていたが、さすがにおかしいと感じ始めた。これまでは怒られるとビクビクし、殴られると泣いていたが、怒っている内容がよく分からない。殴られて泣くのも、痛いからというよりも、ようは、びっくりして泣いているのだ。赤ちゃんだ。───そうだ、無でいよう。怒られるからとびくつく必要はない。そもそもそんなに怒られるようなことはしていない。殴られても、まぁ痛いが、痛みはその内引く。我慢しとけばいい。よし、そうしよう。
少し成長した私が考えを改め、実行するまでに、そりゃあ時間はかからない。私は生活していれば勝手に怒られるのだ。それ来た。無だよ、無。うん、なかなかいい感じ。怖くない。ビンタ。いつもの痛みだね、まぁ我慢するわ。
成功!!これはいい。なんで早く思いつかなかったんだろう。やってやった。泣かなかった。泣いてやるもんか。自分で自分を守らなければ。この家では押しつぶされてしまう。守れ!守れ!できるよ。大丈夫。
懺悔タイム。この手には乗らない。抱きしめられているときも、表情を無にする。言い聞かせるんだ、どうせ、また同じことの繰り返し。ここで心をほどいてしまったら、もっと苦しくなることが分かっている。だめ、絶対だめ。せっかく得たテクニックだ。じゅりの心を保つ、唯一の方法だ。
「じゅりはお父さんがどこにいるのか気にならないの?」
父が仕事で長期間家を空けていたとき、母に聞かれた。
「別に。」
「えー?なんで?普通、気になるでしょ?」
気にならないのだ。硝子の檻に入ってからというもの、大して人のことが気にならない。気にして、あとで辛くなるのが怖い。あまり、気にしないのがいい。気にしなければ、心が平穏なままだから。波風立てずにいきたいんだ、この先は。
「気にならない」は、思っていた以上に発動していた。学校で、友達が何かしていても気にならない。「あれ、なんだろう?」一瞬気にするが、まぁいいや、すぐどうでもよくなる。「気にする」人たちを鬱陶しくも感じていた。なんでそんなに気になるんだ。他人のことなんて、どうでもいい。家族のことが、気にならないんだから。
そうこうしていると、肝心なところで感情移入できないことに気づいた。おじいちゃんの怪我、おばあちゃんの怪我、お父さんの鼻の手術、お母さんの発熱……特に家族に対する「可哀想なこと」に感情移入できない。ひたすら可哀想がってみるが、「怪我したんだ」「手術したんだ」「熱出たんだ」の事実しかインプットされない。自分はひどい人間だ。どうやら、檻の外に感情を置いてきてしまったようだ。
ま、いいか。妹がいる。妹が、代わりに心配するだろう。妹は、私のように、母から罵られることはなかった。
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