英語壊滅の私が、日本語が分からないお姉さんの道案内をした話。
鳥路
第1話
高校一年生の秋。
貴重な休日を浪費して行われる未来の後輩に向けた「
高校生活という青春に期待を抱く中学生とその保護者の相手をしつつ、時が過ぎ去るのを待ち続けた。
で、これがその「後」の話。
休日登校を乗り越えた自分へのご褒美は一変して「延長戦」に切り替わる。
彼女に出会ったのは、この時だ。
・・
帰り道。寄り道した本屋で雑誌を手に取った。
田舎の本屋に入荷するタイミングは発売から約三日後。
この土曜日は発売から四日後。買うには手頃な時期だ。
問題があるとするならば、学校帰りに商業施設へ寄り道をしている部分。
うちの学校は帰り道の寄り道が禁止。見つかれば面倒だが、寄り道したスーパーは自宅と学校のちょうど真ん中当たりにある場所。
バレないだろうと心穏やかに雑誌を購入し、本屋を出て帰りのバスを待っていると…誰かから肩を叩かれた。
「ねえ、貴方」
「へ…?」
背後にいたのは知らないおばさんと外人さん。
おばさんは買い物バッグを、外人さんはキャリーケースの持ち手を握っている。
…どういう組み合わせ?
「貴方、英語分かる?」
「いえ、全く」
「いやぁ、ね。この外人さんが、ここのホテルに行きたいらしいっていうのは分かったんだけど…」
「は、はあ…」
外人さんが用意したらしい地図を、おばさんは私の目の前に広げてくる。
指で示した先にあるホテルに行きたいらしい。
場所は分かる。行き方だって問題ない。
…が、この周辺ではない。
「ここって新地の先…市民病院付近ですよね。バス停は真逆ですよ?」
「あら。もしかしなくても遠い?」
「ここからじゃ遠いですね」
こちらのバス停時刻表を一瞥する限り、空港行きのバスは存在している。
反対側に駅前行きのバス停があるのだろう。お姉さんはおそらくそれに乗ってここに来て、どんな理由かは不明だが、ここで降りてしまった…ってところかな。
まあ、場所は分かったんだ。後は責任を持ってこのおばさんが…
「貴方、案内してくれる?」
「は?」
「私、これから予定があるの!申し訳ないんだけど…!」
そうかそうか。予定があるのなら仕方ないね。
だからと言って他人に押しつけるのは反則じゃないか?
自分でできないと理解している分際で、ご丁寧に声をかけるな偽善者がよぉ…。
それに私言ったよな。英語喋れないって。無茶ぶりにも程があるぞ?
できそうな工業生がそこにいるだろ!そっちに声をかけろ!偏差値は向こうが上だ!
…なんて、言えるわけもない。私は哀れな小心者。
困っている人を見捨てて逃亡できる程の心も、当然持ち合わせていない。
し、しかしだ。これだけは再度言っていこう。
「い、いや…あの、私、英語全く分からない…の、ですが」
「どうにかなるわよ!」
「なりますかねぇ!?」
「ジェスチャーとかできるならいけるわ!お願いね!」
「ふぁっ!?」
去りゆくババアと、置いて行かれた外人のお姉さん。
そして困惑するしかない僕。
は?嘘だろ…?
「と、とりま…かむひあ?」
今思えば「come here」って「こっちに来て!」であり、決して「ついてきて!」ではないのだが…外人のお姉さんは色々察して、私の方へ歩いてきてくれた。
勿論手招きは忘れない。
確か、海外で日本式の手招きをすると「あっちいけ!」になったんだよな。
だからちゃんと手を上にして手招きだ。ついでに腕も振り上げておこう。
ここまで来たらもうヤケクソ気味。もうどうにでもなればいい。
・・
まずは第一段階。横断歩道を渡り、駅前方面行きのバス停へ。
目的地に向かう為には、こんな場所ではなく…市街地の方へ向かう必要がある。
徒歩を含めればバス一本で余裕の場所だった。
しかし、今回はキャリーケースを引っ張っているお姉さんも一緒。徒歩は最低限に抑えるべきだろう。
坂道も階段もない平地だし…なノリで観光客を連れ回してはいけない。
そうなるとバスで路面電車の始発駅「赤迫」まで向かい、路面電車で市街地まで移動するのが妥当といえるだろう。
目的地も路面電車電停の最寄りに相当する。選ばない理由はない。
それに路面電車には特定地点で乗換を行った場合、乗換証明を入手できる。
それがあれば路面電車の運賃は一回分で済む。目的地も運賃二回分ではなく一回分だ。
バスで移動するより遙かにお得になれる。
ただ、このルートには一つだけ問題がある。
私は途中までしか案内ができないのだ。
雑誌を買った後、帰る前提だった私の財布にはその雑誌の釣り銭とちょっとした小銭しか入っていない。
残金百五十円。バスは定期券があるから金の心配が不要。路面電車運賃一回分。
これで案内を引き受けた奴はどんな顔をしたアホなのだろうか。今すぐ鏡を見てみたいものだ。
「とりあえず、今からバス停に行きます」
「…?」
「あ〜」
金の問題で忘れかかっていたが、案内するお姉さんは日本語が全く通じていない。
簡単な日本語も分からない彼女に、さらっと日本語を告げたところで返事があるわけがない。
「何を言っているのか分からない」と不安げな表情を浮かべている。
頼りがいと英語力が壊滅なのは申し訳がない。けれど引き受けてしまったからには、できるところまでは責任を持つ。
分かる単語で、何となくでもいいから伝えてみせる!
「ば、バスストップ、ゴー!おーけー?」
「…OK!」
隣の小学生から「こいつ大丈夫か?」と言いたげな目を向けられる。
ああそうだ。隣にいる高校生は全然大丈夫じゃあない。
しかし今は恥も外聞も知ったことではない。
目的の為ならば、致し方無いのだ。
信号が青になる。
「ごー」
指で行先を示しつつ、お姉さんと共に前へ進んだ。
その間、考えるのをやめるつもりはない。
お姉さんは金髪の白人女性。
簡単な英語に理解を示してくれている。英語圏の人でいいのかな。
いや、逆に考えろ。
日本語でも言える話だが、慣れ親しんだ言語がここまでカタコト状態だと逆に理解できないのではないだろうか。
その点を踏まえたら、英語が第二言語になっている可能性の方が高い。
知っているけれど、慣れ親しんだ言語ではない。では彼女はどこからやってきたのだろう。
バス停に到着し、次のバスが来るのを待つ。
次に来るバスはできればノンステップがいいな。入口の階段がない分、キャリーケースを持ち運びしやすいだろうし。
後の問題は金…もだが、この沈黙かな。
元々私は会話が得意ではないし、できれば沈黙を貫いていたいタイプ。
しかし今はそうも言っていられない。
とりあえず記憶内の教科書を総動員していい感じの会話を成り立たせてみよう。
「うぇ、うぇあーどぅゆー、りぶ?」
これで「貴方はどこに住んでいますか?」って聞けたはず。
教科書の会話例文はこんな感じだった…と、思う。
お姉さんは少しだけ考え込んだ後、閃いたように会話を紡いでくれた。
「○△#$%□!」
「おー」
…なんて?
とりあえず驚いてリアクション。伝わっている感を出して乗り切った。
…これ、今後も続くのだろうか。
お姉さんは辛うじて分かってくれている?っぽいが、私は全然わからないぞ?
これからどうしたものかと考えていると、待っていたバスがやってきてくれる。
「ごー」
先程しかこれしか言えていないが、これで十分「行くぞ!」は伝わってくれる。
お姉さんの寛容さに感謝しつつ、バスに乗り込んだ。
狙い通りの車種で来てはくれなかったが、まあいいだろう。
空いている席に腰掛けて貰い、私はその横に立つ。座っていてもいいが、降りるバス停は二つ先。その間、立って過ごすのは余裕だ。いつもは終点まで立つからな。
「ええっと…バスストップ、ツー、ネクスト、アカサコ」
「Akasako?」
「イエス。アカサコ…ゲット、オフ!」
「OK」
道ノ尾から六地蔵。次が赤迫。降りるタイミングは早い。今のうちに運賃の準備をして貰おう。
「マネー、オーケー?」
「money?」
財布を取り出してくれたお姉さんは私に小銭を見せてくれる。この量なら路面電車に乗っても両替は不要だろう。
「バス、マニー、ワンハンドレッド、フォーティー」
「…?」
バスの料金表には英語表記の掲示がある。どういうことかは理解してくれたようだが…
「どうしたらいい?」と言いたげに財布を私に差し出してくる。
数字の表記が同じでも、異国の硬貨に親しみがある訳ではない。
百四〇円を出せばいいことは分かるだろう。けれど、どの硬貨を組み合わせたら百四〇円になるかは分からない…ってところかな。
ここは私がお金を準備しなければいけないようだ。
「タッチ、オーケー?」
「OK」
「ええっと、百円と、十円が、四枚っと。はい!」
「Thank you」
「のーぷろぶれ…のー!のー!そーりー!アイアムざこー!」
「?」
バス代を財布から取り出し、手のひらにお金を乗せる。
そして財布を直すかと思いきや、財布から一番大きな硬貨…五百円玉を取り出し、手渡そうとしてくる。
これがチップという代物だろう。サービスに対するお礼だと思う。
そうでもない限り、彼女が私に五百円玉を出す理由はない。
しかし、私はサービス料なんて大層な代物を貰うよう働きはしていない。
こういうのはちゃんと英語が喋れて、意思疎通が問題なく行えて、目的地まで何の心配もなく連れて行ける存在に贈られるべき代物だ。
五百円玉の受け取りを断り、財布をしっかり鞄の中に収納させる。
その頃にはバスも目的地に到着付近だ。
「ネクスト!ゲットオフ!」
「OK」
「おーけー!」
回りに合わせてバスを降り、再び横断歩道を渡って路面電車電停へ移動。
目的地のホテルは市民病院前の電停から少し歩いた場所にある。
そこに向かうためには赤迫から正覚寺下行きに乗って築町へ。
そこから乗り換えて石橋行きに乗る必要がある。
築町で降りる時、お姉さんに「乗換証明」を確実に手に入れて貰うのを忘れずに。
石橋行きには単独で乗っていただく必要がある。
帰りの金も時間もないからね。これ以上はついて行けない。
乗換証明を手に入れたら、私も市民病院前まではついて行けるが…帰りは強制的に徒歩になる。
これ以上帰りが遅くなると、少々面倒なのだ。
スマホがあれば連絡もできたのだが、今日は午前中だけだと思っていたので、スマホは置いてきた。
ここで連絡ができれば帰りが遅くなっても問題がないのだが…このご時世に公衆電話と都合良く遭遇できるわけではない。
もちろん鞄の中を漁っても、家に置いてきたスマホは出てこない。
金銭的な問題だけでなく私情が入り、最後は無責任に送り出す部分はあのババアと変わらないのが憎たらしい。
…雑誌なんざ、買わなければよかった。
「There are two trains, right?」
「次は正覚寺下に…あ」
赤迫から出る行先は二つ。
まずは一番系統「正覚寺下」表記の背景色は青だ。
駅前から大波止を通り、乗り換え地点がある築町を経由。浜の町に向かう電車。
次に三番系統「蛍茶屋」表記の背景色は赤。
駅前から桜町に向かい、諏訪神社方面へ向かう電車だ。
ここから築町に到着できるのは正覚寺下行きのみ。ちゃんと一番系統の電車に乗る必要がある。
しかし、正覚寺下と言っても分かるわけがない。わかりやすい符号…わかりやすい符号…
「トレイン!ワン!ショウカクジシタ!ブルー!」
「This train?」
「いえす!」
両手でサムズアップしつつ、その電車で合っていることを示す。
欧米とかヨーロッパではサムズアップはセーフだったはず…!大丈夫!多分!
「Yeah!」
「いえー!」
一番系統の電車に乗り込み、空いている席に座る。
電車が動き出し、背景が動き出す様をぼんやり眺めながら一息ついた。
しかしこの何も考えなくていい時間というものは非常に残酷であり、当たり前の事を思い出させてくるのだ。
今日は元々昼間に終わる予定だった。
寄り道をしても二時前には帰宅できていた想定。
その程度なら耐えられたのだが…流石にもうお腹が空いた。
トドメに喉も渇いて正直やばい。
本来であれば帰りにコンビニへ寄るだとか、自販機でお茶を買うとか選択肢はある。
しかし私にはない。金がないからね。
残金10円でできるのは、せいぜいうんまい棒を買う程度。腹は満たせても喉は潤せないし、砂漠化させる。この分だと空腹のままでいた方が幸せだろう。
…さっきのチップ、受け取っておけば良かったな。
五百円があれば最後まで送り届ける事ができて、ついでに自分もお腹を満たし、喉を潤せる。
実に完璧なのだが…何か大事なものを失っている気がする。
得るべきではない金を貰って幸福を得ようという発想が完全に下衆。そういう発想をする子供には育ったが、実行する度胸を持つ子供には育てられていない。
これでいいのだ。お姉さんからお金は貰うべきではないし、要求してはいけない。
改めて心の中で復唱しよう。
日本でチップという概念はない!
心付けを得られるような仕事をお前はしていない!
したと断言したいなら中学生レベルの英語ぐらい使えるようになってから言え!
これでよし。空腹の雑念も喉の渇きも失せた。残りも集中してやれるだろう。
「…」
「?」
お姉さんから肩を叩かれる。何かあったのだろうか。
「Where is this?」
「…ええっと、ここは?かな」
今いる場所はどこかってことだろうか
お姉さんは鞄の中から路面図を取りだしてくれる。これを指さしながら話せばいいらしい。
「ええっとね、今いるのはここ。松山町」
「Matsuyama?」
「そうそう。松山。近くに平和公園…ニアー、バイ、ピースパーク?」
何が近くにあるかなんてどうでもいいだろうけど、わかりやすい観光地の情報があれば役に立つ時もあるだろう。
お姉さんが翌日以降に行くかどうかは分からないけれど。
そもそも彼女は何日長崎に滞在するのだろうか。それすらも分からないし、聞く手段を持ち合わせていない。
…本当に、無知なのが情けないねぇ。
それからも、駅を指さしながら近くに何があるかだけは伝えておく。
次の浜口町は西洋館の下に作られたトンネルを通った先にある。トンネルの中に書かれている変な生き物は、正直好き。
「プリチープリチー」
「pretty?」
「イエス!べりーぷりちー!」
「oh…?」
茂里町は覚えていて損はない。ココウォークの一階にはバスターミナルがあるし、観光をするなら起点になる。
「There's a Ferris wheel」
「ティス、バスターミナル!」
「!?」
後は長崎駅前だ。本来、お姉さんがバスに揺られていた先もきちんと伝えておこう。道ノ尾を経由するバスが到着するのは県営バスターミナル。駅前にある方…のはず。
「エアポートバス、ラスト?ストップ」
路面電車は駅前を経由し、大波止への分岐に突入する。
ここまで来たらもう少し。後もう少しで、おしまいの時間。
突然ですがここで問題です。
もうすぐ築町に到着します。英語で何と言いますか?
「にあー。にあー。ツキマチ、にあー」
英語弱者の解答はもれなくお姉さんが首を傾げる代物。
時間が経とうとも英語力は強化されませんし、周囲の助けはない。
むしろ空腹と気疲れで更に悪化する始末。
むしろこの雑魚度合いで築町まで連れて行けた事象の方が奇跡とも言える。
しかしこれでまだ終わりではないのだ。
築町で降ります。乗換をして、石橋行きに乗ります。
表記は五番です。緑です。
緑です。緑なんです。そう、緑…。
「…緑って何て言ったかなぁ!?」
時刻はなんだかんだで三時。
朝以降食事も水分補給もしていない人間に限界が訪れた。
頭を何度捻っても、緑の英語が出てこない。
そうだ。そういえば便利なものを持っている。
単語が出てこないのなら、色を指で示したらいいのだ。
雑誌の入った緑色のビニール袋ではなく、鞄の中に入れているメモ帳と三色ボールペンを取り出す。
女子高生のマストアイテムだと個人的に叫んでおこう。
少なくとも、うちの学校では少なくとも皆持っているぞ!
「ツキマチ…ゲットオフ。チェンジトレイン、ファイブ、…イシバシ。緑!」
ボールペンの緑部分が見えるようにした後、メモの上に「Ishibasi」と緑で書く。
メモは切り離せる。お姉さんにも情報として残る。
思えば最初からこうしていれば良かったという後悔は今更としておこう。
「Ishibasi…Green?」
「いえすいえす。イシバシ、ゲットオン。ツキマチ、ネクストストップ。シミンビョウインマエ。ユー、ゲットオフ」
メモの上に築町と記入して、矢印を一つ。その先に市民病院と書き記しておく。
勿論ローマ字表記だ。路面電車は運転席真上にある電光掲示板で行先を示してくれている。日本語の他に英語、中国語、韓国語の表記が行われている。ローマ字表記で降りる駅を伝えておけばきっと、私がいなくても大丈夫…だと思いたい。
「ぷれぜんと」
「Thank you」
「のーちっぷ!のー!」
本日二度目の
「Don't need a tip?」
「ちっぷ、わたし、うけとれない」
「Well, I'll give you this」
「へ?」
お姉さんは何かを告げた後、私の方へあるものを押しつけてくる。
ちょっと古びた袋の中に入っている。中身は分からない。
ただ、袋は古いが封は切られた様子がないから、新品のようだ。
今度は有無を言わせないと言わんばかりにそれを私の手に握らせた彼女は、満足そうに笑ってくれた。
「さんきゅー…?」
お金は受け取れないが、物なら渡せると思われたのだろうか…。
こうして渡せたことを喜んでいるのに、返すのは忍びない。ここはちゃんと受け取っておこう。
何を貰ったのかは分からないが、ちゃんと大事にしよう。
電車が築町に到着する前に、運賃の準備をしておく。
今回は私も現金支払いだ。先にお金を出して示し、お姉さんにも同じ料金を出して貰う。
到着したら、他の乗客と共に。お姉さんを後ろにして、私が先に歩いて行く。
「このお姉さんに乗換証明をお願いします」
今回の要「乗換証明」をゲットし、築町の電停へ降り立つ。
ちなみに私は受け取らなかった。もう後には引き返せない。
移動はせずに、そのまま石橋行きの電車が来るのを待つ中、お姉さんから声をかけられる。
「Come to think of it, I haven't heard your name」
「ゆあーねーむ。あ、私の名前?まいねーむ?」
辛うじて聞き取れた単語を復唱すると、お姉さんは何度も頷きを返してくれる。
私の名前なんて聞いたところで何の得にもならないのだが…
「私の名前は…」
苗字は好き。書くのが楽勝。
でも名前はそこまで好きじゃない。私は一人で過ごす方が好きだから。
けれど漢字の意味を伝えると、周囲は嬉しそうにしてくれる不思議な名前だ。
「…単語だけになるけれど、意味としてはこんな感じ」
「That's a nice name」
「さんきゅー。あ、石橋」
石橋行きの電車がやってくる。信号待ちをしている間に、次のことを話しておこうか。
「あい、のーうぃず。ここから先、一緒には行けない」
「Why?」
「マイマネー、ゼロ!」
「!」
本日三度目の五百円。まさか三回も拝めるとは。
これをあげるからついてきて!ということだろう。
けれど、正直もう立つのも精一杯なのだ。今すぐ座りたい。頭痛い。お腹空いた。
これ以上は、限界だ。ごめんよお姉さん。
僕は薄情な弱者。あのババアと結果的には同類へと堕ちるのだ。
「ごめんなさい…最後まで、責任取れなくて」
ふらつく私の肩を抱き、お姉さんは怒ることもなく優しく頭を撫でてくれた。
「Thank you so far」
「?」
「From here on out, I'll do my best alone!」
お姉さんはお金を仕舞った後、私があげたメモを片手に到着した電車に乗り込む。
「Es increíble a pesar de que es un estudiante de primaria」
「…いー、すちゅーでんと?」
「nos vemos. Amigo!」
「う、うん!しーゆー?はば、ないすとりっぷー!?」
何を言っているのか最後の方は全くだったが、最後の力を振り絞り、お姉さんに別れを告げる。
次の電停で降りれば到着する。きっと、大丈夫だろう。
大丈夫と思うしかない。
「…無事に到着しますように。いい旅を、お姉さん」
お姉さんを見送った後、とりあえず電停から離れて、近くに腰掛けられる場所を見つけ…そこでしばらく休憩する。
頭がガンガンする。もうここで寝たいけれど寝たら寝たで大惨事。もうひと頑張り。もうひと頑張りでいい。
後は家に、帰るだけ。
後ろ髪を引かれる気分は拭えない。
けれど、できることはやれた筈だ。
その結末を見届けることは、できやしなかったけれど。
現実も人間も常に薄情なのだ。
けれどもしも、もう少し体力が、お金が、食事があればどうなっていただろうか。
スマホを持ってきていたら?もう少し英語が身についていたら?
自分の限界を察知してもなお、乗換証明を手に入れて付いていけていたら?
そんなもしもの未来が…あったかもしれない。
「見届けられなかったことを悔やんでも、この道を選んだのは私自身だ。帰ろう」
あの時、私の肩を叩いた存在を追うように帰路への道を歩いて行く。
道中、橋の上で募金活動の協力を仰いでいるボランティア部がいた。
顧問の教師もいるらしい。見つかれば厄介なことになる。
人に紛れ、帰りのバスに素早く乗り込んだ。
部活動に勤しむ彼女達は夕日で眩く輝き、私は目を逸らすしかなかった。
・・
一時間後、無事に帰宅した私はいの一番に相棒から歓待を受ける。
「ぴょよ」
「ただいま、ホーさん。朝ぶりだね。朝よりも可愛いよ」
「ぴょや…?」
肩に乗り、おかえりと囀るホーさんを見れば嫌でも視界に入る彼女。
晩ご飯の準備をしているお母さんは私の事をしっかりと睨んでいた。
「おかえり」
「ただいま母上。これには対して深くもない事情がありまして。まずはおててを洗ってきてもよろしくて?」
「勝手にしなさい…」
急いで手を洗いに行き、台所へ戻る
うっ、テーブルの上にホットケーキ!作って待ってくれていたらしい。今日はどこまでも申し訳ないな。
冷蔵庫から水を取りだし、それをコップ一杯に注いで一気に飲み干した。
「今日は午前中じゃなかったの?」
「午前中までだったよ。その後、本屋に寄って帰ろうとしたらさぁ。おばさんに声かけられて」
「…あんた遂に変な」
「そのおばさんに外人のお姉さんの道案内をしてほしいって頼まれただけ!」
「うん」
「してきたらこうなった。金と体力の関係で築町までだけど」
「そう」
「信じるの?」
「これが友達と遊んでいたとか抽象的なことなら信じなかったけど、具体性あるし…それにあんたの疲れ切った顔を見たら何かあったんだろうなって事ぐらいは分かるわよ。まさか道案内とは思ってなかったけどね」
「流石母。まあ、一応そのお姉さんから貰った物があるから、信じて貰えなくてもこれを出そうと思っていたけどね〜」
「へえ、お礼まで貰ったの」
「中途半端で終わらせたから、なんか申し訳ないんだけど」
「中途半端でも、その人はあんたに何かをして貰ったお礼をしたんだから、ありがたく貰っておきなさい。で、何貰ったの」
「これ」
「うわ袋汚っ。早く取りだして外袋だけ捨てちゃいなさい」
「ストレートすぎやしない?」
とりあえず、はさみで外袋を切り…中に入っていたそれを取り出す。
「フォークとナイフだった」
「何か特徴的な形ねぇ。何その切れ込み」
「ええっと…このナイフをフォークの穴に突っ込んで、切れ込みをここにセットすると…お箸になるんだと」
「…とりあえず、洗っておくわね」
「お願いします。あ、ちょい待ち。ここにブランド名が入ってる。もしかしたらお姉さんがいた国が分かるかも」
「あんた分からずに案内してたの…?それはそれでどうかと思うわ」
スマホを使い、ブランド名を検索してみる。
「どこだった?」
「…スペイン」
彼女がスペイン人のお姉さんかどうかまでは分からない。
会話が全然聞き取れなかった私に、これ以上彼女を詮索する権利はない。
けれど最後にもう一つだけ。この話で彼女との話はおしまいにしよう。
「ねえお母さん。Eスチューデントって何だと思う?最後、これだけ聞き取れてさ」
「何?エレメンタリースクールの略?」
「…念の為に聞くけど、意味は?」
「小学校」
「studentって、学生…だよね」
「合わせて小学生」
「…」
「あ、あんた小学生って勘違いされて…高校生なのに…」
「ホーさん、ホットケーキ…食べよっか」
「ぴょ」
「もう少し、身長があればね…」
お母さんとホーさんの哀れみを受けつつ、ホットケーキを貪る。
四時間の先にあったホットケーキは珍しく生焼け。
「中途半端」な私には、どこまでもちょうどいい代物だった。
英語壊滅の私が、日本語が分からないお姉さんの道案内をした話。 鳥路 @samemc
★で称える
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