第5話
▶第二話
■現実の世界:朔夜視点・病室
彼女の姿が見えなくなることを見届けた朔夜は、気鬱な空気を払うように元気良く扉を開けた。
朔夜「兄貴!」
陽太は、朔夜の声に気付かない。
ぼんやりと虚ろな目で窓の外の風景を眺めていた。
不意に陽太が髪を耳にかけると、所々で穴の空いた耳が露出する。
しかし陽太の様子が心配な朔夜は、耳に気づいていない。
朔夜「兄貴!」
朔夜は陽太の顔を覗き込んだ。
目に見えない存在に誘われた様子で、今にでも消えてしまいそうな陽太に強く呼びかける。
呼ばれたことにやっと気づいた陽太の肩が驚きで跳ね上がった。
陽太「えっ……?」
振り返った陽太は朔夜の顔を見てキョトンとした顔をする。
そして、朔夜の呼び方を忘れかけていたかのように間を置いて名前を呼んだ。
彼の反応に少し怪訝な顔をする朔夜。
陽太「……っあ。ああ……さ……朔夜?」
朔夜「悪い、来るのが遅くなった!」
朔夜がベッドの傍の椅子に腰を下ろす。
陽太がほっとした顔をする。
朔夜が来てくれたことによる喜びから来るものでもあったが、朔夜のことを思い出せた自分自身に安堵もしていた。
陽太「ん、大丈夫だよ。ちゃんと面会時間内だからね。朔夜、来てくれてありがとう」
朔夜「水臭いこと言うなよ」
陽太「それでもぼくは嬉しいんだよ」
微笑むが、どこか泣きそうな表情で言う陽太。
陽太「ぼくなんかのために来てくれると言うことが」
朔夜「来て当然だろ!」
自らを卑下する陽太に、朔夜は声を荒げる。
陽太は眉尻を下げて答えた。
陽太「でも……朔夜の負担になっているだろう?」
朔夜「負担なんかじゃない! それに、俺だって兄貴にいつも世話になってるだろうが!」
朔夜〈俺たちの両親は数年前に……なんの因果か交通事故で亡くなってしまった。高校卒業間近で大学に通う予定だった兄貴は急遽伝手を辿って就職し、俺を養ってくれている〉
朔夜〈俺も兄貴を支えたい、兄貴の隣に立って、胸を張って生きていきたいと思っていた……。それがこんなことになるなんて……!〉
朔夜〈それに……事故直後はそうでもなかったが、最近の兄貴は物事を忘れやすくなっている。事故の後遺症かもしれないから様子を見ようと医者は言っているが……心配だ〉
苦笑する陽太。
陽太「なにもできないことは、ひどく歯がゆいものだね」
朔夜は反抗するように強く断言する。
朔夜「なにもできないなんてバカなこと言うなよ! 俺の兄貴は出来る奴だ! 俺の自慢の兄貴なんだからな!」
声を荒げて説得するような朔夜。
自慢の兄と言われたことに、陽太は目を見開いて驚いた様子を見せた。
朔夜「兄貴はこれまでちゃんと働いて、俺のことを食わせてくれていた。そんな兄貴を支えられたらってずっと思っていたし、俺は不甲斐ないって思ってたくらいだ」
朔夜の言葉に段々と泣きそうな表情になっていく陽太。
朔夜「だから俺にだって、恩返しさせてくれよ。俺のこと頼っていいくらい、兄貴は頑張っているんだから! 頑張りすぎなんだよ、兄貴は!」
朔夜が陽太の手を握り締めた。
陽太の体温の低さに病人であることを思い知らされ、悲しさを覚える朔夜。
朔夜「兄貴は休んだって良いんだ。休んで気持ちが落ち着いたら、リハビリして。それでまた元の生活に戻れるようにしていこう。俺が絶対に支えるからさ! 何も心配しなくて良いんだ。な、兄貴」
陽太「朔夜……」
陽太は表情に切なさを表したまま朔夜に手を伸ばす。
頭を撫でたそうにしていた陽太に、朔夜はくすぐったそうな表情で思わず頭を差し出した。
陽太「ありがとう……」
朔夜「礼を言うほどじゃないだろ」
こそばゆい気持ちになった朔夜は照れ隠しするように顔を背けた。
陽太は不甲斐なさそうな表情で苦笑する。
陽太「おまえが不甲斐ないなんてことはないよ。朔夜は十分、ぼくを支えてくれているんだ」
陽太「だから、こうなってしまったぼくでも必要とされているんだって思えるんだよ。だから、ありがとう……。ぼくを見捨てないでくれて。いつも励ましてくれて……」
朔夜の力強く断言をする次の台詞は、後の陽太と敵対した朔夜の葛藤に影響する台詞。
朔夜「当たり前だ! 俺は絶対に、兄貴のことを見捨てなんかしない……!」
そこで陽太の腹の虫がぐうっと鳴り、陽太が腹を摩って苦笑する。
陽太「はは。お腹が空いたみたいだ」
朔夜「じゃあリンゴ食おう。兄貴と一緒にどうぞってバイト先のオバちゃんからもらったんだ」
ベッド脇の机に置いたレジ袋から林檎を取り出す朔夜。
林檎とナイフを手にした朔夜に陽太がねだる様に首を傾げる。
陽太「ねえ朔夜、ぼくがやりたいな」
朔夜「でも……」
陽太「ぼくにやらせて、ね? なんでも良いから、朔夜にしてやれることを何かしたいんだ」
朔夜「分かった……」
手を伸ばした陽太に、朔夜は林檎とナイフを渡す。
陽太がしゃりしゃりと小気味良い音を立てて皮をむく。
その様子を見ながら、朔夜は回想する。
■朔夜の回想:家のリビング
◇時系列:原点より過去・両親がいなくなって数か月したばかりの頃
朔夜が宿題をするそばで、元気な頃の陽太が林檎の皮をむく。
出来上がった微妙な出来具合の皮つきのうさぎ林檎を見せながら、陽太が優しく微笑んだ。
陽太「ほら、見てよ朔夜。初めてにしては可愛く出来たと思わない? うさぎさんだよ」
■回想から戻る
回想と同じく、皮つきのうさぎ林檎を差し出した陽太。
しかし林檎は以前とは違い、きちんとした剥き具合だった。
過去の陽太と今の陽太が被って見えるが、今の陽太は不健康そうで自信を無くして縋るような表情をしていた。
陽太「はい、朔夜。うさぎさんだよ」
朔夜「あ……」
過去の光景を重ねた朔夜は一瞬言葉を詰まらせるが、陽太に悟られまいとすぐに気を取り直した。
朔夜「相変わらず器用だよな」
陽太「ぼくには、これくらいしかね……」
自身自身を卑下する陽太に、朔夜は自分の尊敬する者を貶されて不機嫌な表情を浮かべる。
不機嫌さを顔には出したが口に出すことはせず、皿の上の林檎を少し乱暴に手に取る。
朔夜「頂きます」
朔夜がしゃくっと音を立てて林檎をかじると美味しそうに顔を綻ばせた。
朔夜「んっ。これ貰い物なのに蜜がたっぷりで旨いな。ほら、兄貴も食えよ」
陽太「うん。美味しいね、朔夜」
林檎を食べる陽太の頬をつう…と涙が伝う。
泣くほど美味しかったかと思った朔夜は驚いて言葉を詰まらせてしまう。
朔夜「あ、ああ」
陽太「こうやって一緒に食べるのは久しぶりだね」
朔夜「ん……そうだな」
陽太「朔夜と食べるご馳走は美味しいだけじゃない。楽しくて、ぼくはとても幸せだよ」
はっとした朔夜は、強い口調で応える。
朔夜「じゃあ明日もなんか持ってくるから、一緒に食おう」
陽太は眉を寄せる。
陽太「無理しなくても良いんだよ」
朔夜「無理じゃない! 俺だって兄貴と飯食いたいし……」
陽太「そっか。……ありがとう、朔夜」
陽太が苦笑しながら力なく頷き、残りの林檎を咀嚼する。
陽太「……おかしいな」
朔夜「ん?」
陽太は林檎を食べながら呟く。
陽太「こんなに美味しいものを食べているのに、不思議だよ。なぜか、まだ食べたりない気がするんだ」
落ちていた髪を耳にかけた陽太の耳は、ところどころに穴が開いて痛ましい様子だった。
林檎を食べる二人の元に、病院の職員が訪れる。
職員「朝比奈さん、面会時間の終了です」
朔夜「もうそんな時間か……」
朔夜が立ち上がると、陽太は無意識に朔夜の服の裾を引っ張る。
朔夜「兄貴、俺明日もまた来るから……兄貴?」
朔夜が振り返ると、陽太自身も自分の手を見て、自分の取った行動に目を丸くする。
陽太「え? あ……ごめん」
陽太は手を放して苦笑する。
陽太「あはは、朔夜が帰るのが寂しいのかも」
朔夜「っ! 俺明日も絶対に来るからな!」
陽太はいま朔夜が帰ってしまったら、朔夜のことを忘れてしまいそうな気がした。
だから明日もまた朔夜のことを覚えていますように、と思いを込めて陽太は悲しそうに微笑んだ。
陽太「うん。いつでも待っているよ、朔夜」
~場面転換~
■夢の世界:陽太視点・病室
床にコロンと転がる丸い林檎。
林檎を受け取ろうとして取り落とした陽太の手を、朔夜の姿を擬態したハツゾメが掴む。
偽朔夜は哀れそうに陽太を見つめる。
偽朔夜「可哀想だな、兄貴は」
思いもよらない朔夜からの台詞に、陽太は顔色を変えた。
陽太「さ……朔夜?」
偽朔夜「いつまで、俺を覚えているフリをするんだ?」
陽太「なに……を」
偽朔夜「つい最近の俺のことしか覚えていないんだろう? なのに、こんな演技をしてまで俺に縋るんだ? 何のために?」
陽太「おまえは……朔夜じゃ……ない?」
偽朔夜「どうしてそう思う? 兄貴の知ってる俺って何だ? 一瞬、俺の顔を見て思い出すのに時間がかかっただろ?」
陽太「っ。ちがう、朔夜はこんなことを言わない……! 朔夜はそんな子じゃないって、それはちゃんと覚えているんだ……」
偽朔夜「ほら、他のことはもう覚えてないだろ?」
陽太「でも! こんなことを言うはずがないんだ……! きっと僕は夢を見ていて、だから夢から覚めないと……!」
偽朔夜「じゃあ兄貴が否定するような夢なんて、いらないよな?」
陽太「え」
病室だった光景にヒビが入り、穴だらけのボロボロの病室に様変わりする。
擬態を解いたハツゾメが正体を現し、掴んでいた陽太の手を糸で拘束する。
陽太は呆然とした表情で朔夜の姿をしていたハツゾメを凝視した。
陽太「おまえ……は……?」
ハツゾメ「私は、お前の望みを叶えてやった者さ」
陽太「ぼくの……望み?」
ハツゾメ「何故自分ばかりが辛い目に合うのか、こんな現実から逃れたい。そう願っただろう? だから辛い現実から目を背けたいと願うお前の苦悩に溢れた夢を、喰らって、失くしてやったのさ。もう殆ど覚えていないだろうがね」
陽太「夢を喰らって……失くす?」
ハツゾメ「ああ。しかし、お前が辛いと嘆く夢をすべて喰ってやったというのに、未だ苦しみから解放されないとは。人間とは哀れなものだな」
穴だらけの陽太の右耳に、ハツゾメが右手で触れる。
ハツゾメ「そんなに辛い夢ならば、私がすべて喰らってやろう。そうすればすべてを失くしたお前は、しがらみから解放されるだろうからね」
ハツゾメが耳から手を離すと全身を糸で拘束する。
ハツゾメ「だから、お前と弟との想い出も、喰らってやらなくてはいけないな」
陽太は我に返って糸から抜け出そうと抵抗する。
陽太「く、は、離せ!」
ハツゾメ「お前はもう逃げられないよ」
ハツゾメは微笑み、獲物を品定めするように陽太の周囲を歩く。
陽太「誰か、助けて! 朔夜……!」
ハツゾメ「お前の夢には、弟を作り上げるほどの記憶は残っていない。だから誰も助けに来ないのさ、可哀想にね」
陽太「やめてくれ……! ぼくから朔夜を奪わないでくれっ……! ぼくは……朔夜の兄だから、がんばってこれたんだっ……! それが無くなるなんて……!」
ハツゾメ「しかし、ろくに覚えていないのだろう? それならば喪ったところで、さほど変わらないさ」
陽太「それでも、ぼくは……!」
ハツゾメが背後から陽太を羽交い絞めし、耳元に顔を寄せて囁く。
ハツゾメ「そこまで言うのなら……。喪ってもなお、お前の心がそれを求めるのなら」
ハツゾメが八重歯を陽太の耳に突き立て、陽太が痛みに苦しむ。
陽太「うっ!」
ハツゾメ「すべて喪ったあとに、奪えば良い」
陽太が助けを求めて手を伸ばした先に林檎が転がっている。
陽太「さく……や……!」
ハツゾメ「お前が望むなら、私がその術を教えてあげよう」
林檎を視界に残した陽太の瞳がゆっくりと真っ赤に染まり、彼は目を閉じた。
(第二話・終了)
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