6. 白き椿が朱に染まる頃

 池の中央に立たされて白い椿に囲まれる夢璃を前に、日葵が大声で観衆に宣言する。


「この度、次期当主に任命されました花園 日葵です! 私達の代で、一族の悲願が叶います!」


 拍手と共に、歓喜の声が響く。


(生まれ変わるなら、司と同じ金魚になりたいな。ここではない世界で、仲間達と一緒に楽しく泳いで暮らしたい)


 間もなく自分の死が近づいていることを察した夢璃が俯こうとしたとき、日葵が予想もしなかった言葉を口にした。


「今回披露する術は花園家の秘術、あやかしを一掃する術です!」

「!?」

「今回はまだ低範囲にしか展開出来ませんが、将来的にも皆様に良き結果をお見せできることをお約束致します!」


 夢璃は周囲の目を気にせずに日葵に問いかけた。


「ひ、日葵!? あやかしを一掃するなんて、どう……」

「無能者が、次期当主への口の利き方がなってないわね!」

「っ!」


 その瞬間、池の水がバシャッと音を立てて夢璃に襲い掛かる。日葵が術を使い、夢璃を攻撃したのだ。


「あやかしの討伐は、術師の……我が花園家の悲願なのよ!」

「でも、世の中は霊と調和する時代に向かっていて……」

「術師の同意を得ずに決めたものなんて、知ったことじゃないわ!」


 池の周囲にいる観客達が「そうだ!」と日葵に同調する。


「そんな……」


 あやかし殲滅の秘術の原動力となるものが自分自身の霊力になるということに、夢璃は恐怖を感じた。

 それだけではない。あやかし達が死んでしまったら、司と出会うきっかけをくれた猫又や、司の仲間の金魚達は、どうなってしまうのだろう。


「私のせいで、みんな……死んじゃうの……?」

「お姉様のお陰で、あやかしだけ死ぬのよ」


 日葵に水を掛けられたこともあってすでに全身びしょ濡れの夢璃が、恐怖に震える。

 浴びせられた水飛沫か、それとも悲しみの涙か。全身に滴る水滴が水面に落ちる中で、夢璃は呆然と手元を見つめる。

 悪意ある者達から隠すように、彼女は司をそっと手のひらに包んで胸元に引き寄せた。


「お姉様も死ねば、あやかしのような不気味な姿を見なくて済むのよ」


 日葵を筆頭とした一族達は、夢璃が絶望の中で苦しんで逝く姿をあやかしに重ねることを望んでいるようだ。


(私のせいで、司の仲間達までも死んでしまうなんて……)


 日葵が呪文を唱え始めると、水中が光り始めた。秘術の始まりの合図だ。


(こんなひどいこと、許されて良いはずがない……!)


 水面に浮かんでいた数多の白い椿がゆらりと揺れたかと思うと、茎の切り口から根が飛び出した。

 一斉に伸びた根が夢璃の全身に絡みついた瞬間、彼女は司を手放してしまった。


「ぅっ! 司!!」


 これまで無気力でいた夢璃は慌てて司に手を伸ばそうとするが、根に囚われて簡単には身動き出来ない。それでも彼女は諦めずに、水に揺られていく司に手を伸ばし続ける。

 絡みついた根が夢璃から霊力を吸い上げると、純白の椿は鮮血が滲むように朱に染まっていく。


(このままじゃダメ……!)


 霊力を奪われまいと、ついに夢璃が抵抗を始めた。

 この先明るい未来など訪れることがないだろうと思っていた夢璃は、死んでも構わなかった。

 司が死んでしまったと知ったときも、尚更に生きている意味などこの世に存在しないと思った。

 けれども、あやかしから譲り受けた司と共に過ごした日々が否定されることは、彼女には耐えられなかったのだ。


「司との出会いがなかったことにされるのは、嫌……!」


 夢璃が沈んでいくだけだった気持ちを定め、霊力を引き出されぬよう強く意識すると、椿の赤く染まる速度が遅くなり始める。


「今更抵抗する気!?」


 日葵が金切り声と同時に術を放つ。茨の枝が夢璃の頬に切り傷を作ると、彼女の頬を伝っていた水滴が血をさらい、白装束の刺繍によって描かれた白い椿を朱色に染めていく。


「司……!」


 絡みつく根から必死に抵抗し、夢璃は何とか指先で司に触れることが叶った。


「私の霊力、ぜんぶ司にあげる」

(椿に私の霊力が行き渡らなければ、術は失敗するはず……!)


 死んでしまった司に霊力をあげたところで、どうにもならないだろう。


「もし生まれ変われたら、私は司と同じ金魚になりたいな」


 何も起きないことが分かっていながらも、夢璃は願いを込めて司に霊力を送り込む。


「司も……一緒に生まれ変わってくれる?」


「会いたい」と言う願いを込めて、夢璃が指先で触れる司へ強く強く霊力を注ぎ込むと、司はいつもよりも強く光り始めた。

 夢璃の強い霊力に抵抗され、白と赤のまばら模様を描いた椿が流されるように水面をくるくると踊り始める。

 その様子は、まるで数多の金魚達が踊る中で、赤金色に輝く金魚に夢璃が祈りを捧げるようにも見えた。


「司と一緒にいたいから……!」


 頬を伝う涙が、水面に波紋を作る。術の余波か、それとも夢璃の涙が触れたのか。司の胸びれがピクリと動いたと思うと、辺りが眩い光に包まれた。

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