5. 意図せぬお揃いの白装束

 金魚鉢がある場所とは別の部屋に向かった夢璃は、着替えの最中も司の叫び声を聞くことで罪悪感を募らせる。


『逃……げ…………!!』

(司はこんなにも、私のことを思ってくれているのに……)


 しかし、夢璃を気遣う言葉を叫んでいた司の声は、次第に弱々しくなり、着替えが終わる頃には聞こえなくなっていた。


(疲れたのかな? 戻ったら、沢山霊力をあげないと。司に会えるのはこれで最後になるかもしれないけど、少しでも司が長生き出来たら……)


 いつも勇気づけられてきた司の声が聞こえないことに胸騒ぎを覚えながら、夢璃は金魚鉢のある部屋に戻ってきた。

 しかし、部屋に足を踏み入れた途端に、彼女はまたもや絶句することになった。


「えっ? つか……さ?」


 見慣れた赤金色の鱗が、床の上で窓辺からの日差しを浴びて儚く輝いていたからだ。

 近くには金魚鉢が倒れており、そこから溢れた水が畳を濡らしている。

 ギクリとした夢璃は、水に濡れることも気にせずに慌てて駆け寄り司に声をかけた。


「ど、どうしたの? どうしてこんな場所に……」


 しかし、司はいつものように言葉を返す様子はない。

 小指の先で恐る恐る鱗に触れてみても、ピクリとも動こうとしなかった。

 その様子は、普通の金魚が息を引き取ってしまった様子そのもので……。


「う、そ……」

(死ん、でる……!? もしかして……私を助けようと思って、ここから出ようとしたの!?)


 夢璃を心配した司が金魚鉢から飛び出してしまい、水のない場所で息を引き取ってしまったのだろう……と彼女は思った。


 夢璃は近くにあった布の上に司を優しく寝かせてあげると、小さな声で親愛なる友人でもあり家族でもある金魚に懺悔する。


「苦しかったよね、司……。ごめんね……」

(どうして気付かなかったんだろう……! あんなに、必死に声をあげてくれていたのに……!)


 一族のために死ねと日葵から言われても零れなかった涙が、司の死を悲しむ夢璃の頬を伝う。


(でも、霊力をあげたら司は長生きするって、言っていたのに……!)

「う……っく……」


 夢璃の脳裏に司との思い出が蘇り、彼女は嗚咽を漏らした。


(ううん、違う。私のせいだ! 一緒にいてくれるって約束してくれたのに、私が……生きることを諦めて、約束を破ってしまったから……!)

「うっ……うぅっ……。司……つかさぁ……!!」


 夢璃が後悔に苛まれる中で、日葵の冷たい声が室内に響く。


「お姉様の大事な金魚、先に死んじゃったのね」


 夢璃は両手で司を包んだ布を優しく持ち上げると、日葵に問いかけた。


「司を、弔う時間を頂けますか?」

「そんな時間、ないわよ。仲良し同士、一緒に死ねば?」

「……」

(そ……っか。いま私が死ねば、司と一緒に天国に行けるかもしれないね……)

「じゃあ行きましょ」


 夢璃は司を抱えたまま、日葵のあとを着いていく。


「薄汚い金魚とお揃いの死装束がとってもお似合いよ」


 白い布に包まれた赤金色の司と、白装束を纏う朱の瞳の夢璃を眺め、日葵があざ笑う。

 普段の夢璃ならば、司が薄汚いと言われたことに、口に出さずとも内心では反論しようとしただろう。

 しかし、司を失ったことで絶望し、無気力となった夢璃の耳には、日葵の皮肉は届かない。


(お揃いの衣装を着てみたいって、司が言ってくれたね……。だけどこんな風に叶ってしまうなんて……)


 あばら家を囲う白い椿は、すべて切り落とされてしまったらしい。

 切り落としたあとに使用人達が拾い損ねたと思われる椿の花が一輪だけ、道端に落ちている。

 その様子は、白い椿の刺繍の白装束を纏う夢璃を見送るようでもあった。


 死装束姿の夢璃が連れてこられたのは、花園家の中央にある池だ。

 水面には数えきれないほどの白い椿が浮かべられている。

 生垣として咲き誇っていた椿達は、儀式のために切り取られたのだろう。


「ひっ……」


 しかし浮かぶ白椿の様子は、夢璃には純白の鱗を持つ金魚が力なく浮かんでいるようにも見えてしまう。

 夢璃の手のひらに収まり続ける司の儚い姿を思い出し、彼女は悲鳴をあげそうになった。


「なあに。今更怖気づいたの?」

「い、いえ……」

(冷たい……)


 夢璃は日葵の指示に従い草履を脱いで池に入る。深さはちょうど夢璃の胸の高さまであった。


(こんな風に広い池で、司が自由に泳ぐ姿を見てみたかったな)


 不意に、司を思った夢璃が、再び涙を零しながらも夢想する。


(きっと、綺麗だったと思うな……)


 池の周囲の喧騒に気付いた夢璃が俯かせていた顔を上げると、そこには多くの人間が集まっていた。皆、花園家に名を連ねる者達だ。

 中には、姉妹の両親の姿もあるが、死に逝く夢璃のことを気遣う素振りは一切見られない。彼らは日葵の次期当主の祝いと、秘術のお披露目を見に来ただけ。

 両親だけでなく日葵や親類……皆が、夢璃のことを儀式に必要な霊力を供給する贄としか思っていないことが、彼らの態度で容易に理解できる。


(私を心配してくれたのは、司だけだった……)

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