2. 白髪の少女と赤金色の金魚
「きょ、今日は何を……なさりに……?」
(日葵は普段、
夢璃が自身の父を父と呼んだ記憶は、数度しかない。
両親を父・母と呼ぶと、お前のような不出来な存在を生んだ覚えはないと怒鳴られ、夢璃の身体を痛めつけては二度とそう呼ばないように覚えさせたからだ。
妹だけではなく、両親からも疎まれながら生きている夢璃に、使用人達も必要以上に接近しようとは思わない。
(小さい頃は、愛される日葵のことが羨ましかったけれども。今はもう望んでも叶わないって分かってる……)
だからこそ、彼女が心から家族だと思える存在は、常にそばで寄り添って話を聞いてくれる金魚の司だけ。
(私には司がいるから、それでいいの。司さえいてくれれば、他には何もいらない。だから、放っておいてほしいのに……)
「お姉様も、そろそろ十八歳。成人でしょう?」
「え?」
妹から自分の年齢についての話題が出て来るなど思わなかった夢璃は、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
(もしかして、私のことを気にかけてくれて……)
成人のお祝いをしてくれるのだろうか。そう思いかけた夢璃だが、日葵の次の言葉に落胆することになる。
「その日、私が次期当主として秘術をお披露目することになったのよ」
「……おめでとう、ございます」
夢璃の少しの感情の浮き沈みを感じ取ったのか、日葵があざ笑うようにわざとらしく問いかけた。
「成人のお祝いをしてあげるとでも思ったの?」
「……い、いいえ」
(……気にかけてくれるなんて、なんで一瞬でも思っちゃったんだろう)
「ただでさえ役立たずのごく潰しに、お祝いなんてしないわよ!」
(成人することで私はお払い箱になるから、日葵が次期当主として正式に名乗りをあげるのね)
夢璃の心に浸透させるように、夢璃がいかに花園家にとって無能なのかを語っていく日葵。
『こいつ、なんでそんな酷いことを夢璃に言うんだよ! 本当に夢璃の妹なの!?』
そんな妹の悪辣な態度に、水中での泳ぎを激しくさせることで司が憤りを主張する。
『夢璃は役立たずじゃない! 優しくて、気が利いて、良い子なんだから! 術は使えなくても、霊力だって強いんだから!』
(司も優しくて、一緒にいると心強いよ。それに、私の代わりに怒ってくれるだけで、すごく嬉しいの)
夢璃の代わりに、司がそばで怒ってくれる。当然日葵に司の声は聞こえないが、ささやかなことでも彼女は勇気づけられていく。
(でも、お払い箱になる私は、どうなるんだろう。追い出されるなら司も一緒が良いな……)
今後の行方について夢璃が不安に感じていると、日葵が意地の悪そうな微笑みを見せた。
「それでね。無能なお姉様でも、一族の役に立つ方法があるのよ?」
「えっ?」
「秘術の儀式に、お姉様の力が必要なのよ」
「わ、私? でも私……術なんて……」
「儀式の場に立っているだけで良いのよ。他にはなーんにも、しなくて良いの」
思いもよらない日葵の発言に、夢璃は目を白黒させている。妹は、姉の反応を愉しむように問いかけた。
「役立たずでも出来る、簡単なお仕事でしょ?」
「それは……」
(確かに簡単なことだけど……)
『怪しいよ! あの顔は何か企んでる顔だ!』
一族から除け者にされていたために術に疎い夢璃だが、彼女も司の言う通りの怪しさを感じていた。
「お姉様、花園家の役に立ってくれるわよね?」
「……は、はい」
『夢璃!』
実妹からお姉様の誕生日と言われて、気持ちが浮きだたないわけがない。
有無を言わさぬ迫力もあって思わず返事をしてしまった夢璃を、司が咎めるがすでに遅かった。
「衣装も用意しておくわね。そんなみすぼらしい着物なんかじゃなくて、お姉様の新たな門出に相応しい清潔な衣装よ」
「あ、ありがとうございます」
「楽しみにしてね」
日葵が言いたいことを言い終えると、玄関の引き戸を開いて、あばら家を囲む白い椿の生垣を越えた先にある伝統的な日本家屋の家に帰って行く。
妹の帰る場所は、姉の住む家とは雲泥の差だ。
妹の様子を頭を下げて見送る夢璃の目尻に、涙が溜まっていく。
見送りを終えた夢璃は、家に戻って司の泳ぐ金魚鉢の前に佇み、呟いた。
「私、まだここにいても良いんだね……」
ほろりと一粒の涙がこぼれ、金魚鉢の中に沈む。
『……しょっぱいね。夢璃、泣いてる?』
「せっかくお掃除したばかりなのに、ごめんね……」
『ううん。たくさん泣いていいよ。だけど、ぼくが夢璃のことを慰めてあげられれば良かったのに……』
心配した様子の司に、夢璃は「ありがとう」と言うと、自らの思いを語り始めた。
「私ね、成人したらこの家を追い出されると思っていたの」
『……ぼくもね、追い出されると思っていたよ。……夢璃はこの家に居たいの?』
「それは……」
このあばら家で今まで通りに疎まれる生活を送っていたいかと問われると、夢璃は答えに
『この家にいると、辛くない?』
「……つらいけど、外の世界も怖いから……」
『きっと外の方が、こんな家よりも明るくて楽しい生活が出来ると思うよ』
「それに、お金もないし……」
一家から虐げられている夢璃だが、必要最低限レベルのまかないや日用品は、使用人としての仕事をこなす際に得られているため、なんとか生活出来ている。
『夢璃は料理や裁縫も掃除もできるから、働き口はいっぱいあると思うよ』
「そうかな……」
『心配なら、ぼくと一緒にあやかしが暮らす国に行こう?』
「あやかしの国……。どんなところだろう」
司の言うあやかしの世界に、夢璃は未知の物に対する不安を抱きつつも、興味を感じている。
『良い提案でしょ?』
「……次期当主お披露目の日が終わったら、考えるね」
『約束だよ?』
司からの提案を先延ばしにした夢璃には、頷くことしか出来ない。
「そ、そうだ。司に霊力をあげないとね」
『……平気だよ。妹のせいで疲れているでしょう?』
「でも……司は霊力をあげないと死んじゃうから……」
『一日くらいもらわなくたって、なんてことはないのに』
「でも、司がいなくなるのが怖くて……」
『安心して。ぼくは夢璃が小さい頃からずっと霊力をもらっているから、やわな事じゃ死なないよ。普通の金魚と違うんだから』
「それでも怖いの。司がいなくなったら、私は生きる意味なんてなくなってしまうから……」
『……夢璃』
「勝手に司を理由にして、ごめんね……」
『……ううん。夢璃が一緒に生きてくれるなら、ぼくはそれでいいよ』
頷いた夢璃が金魚鉢に両手を翳し、瞼を閉じる。すると、金魚鉢の水中で泳ぐ司が、淡く光り始めた。夢璃の霊力が司に注ぎ込まれた証拠だ。
「司の鱗、いつ見ても綺麗だね」
赤金色の鱗に光が反射するたびに、夢璃が焦がれるように呟く。
『夢璃がいつも霊力をくれるお陰だよ。ぼくも夢璃に、いつか同じ色の服を着させてあげたいな』
「私には似合わないよ」
『ぼくが見てみたいの! ぼくとお揃いの夢璃の姿』
「……いつか、出来たらね」
なおも霊力付与を続けようとする夢璃を気遣い、司が不安そうに声をかける。
『……もう充分だよ、夢璃。無理しないで』
こんな量で良いのかと不安そうにしながらも、司を不安にさせてはいけないと思い、夢璃は霊力を注ぐのを終えた。
「司、ずっと一緒にいてね。私の家族は、司だけだから」
『うん。ぼくの家族も夢璃だけだよ』
ひとりと一匹は、再び金魚鉢のガラス越しに触れあう。
『ぼくに力があれば……人型だったら、夢璃を連れ出してあげられるのに……』
――
一方、屋敷に戻った日葵は、苛立った様子で呟いた。
「ほんと、お姉様ったら、金魚に話し掛けるなんて気持ち悪い」
優秀な術師として育った日葵にとって、不出来な存在が姉である事が許せない。
自分が先に生まれれば良かったのに。そうすればあんな無能者が成人を迎える前から次期当主として振る舞うことが出来たのに。……と、彼女は普段から不満を漏らすばかりだ。
「それにしても、あの金魚。小さな頃から飼っているけど、どこで拾って来たのかしら。分不相応にも大事にしちゃって」
そこまで言いかけた日葵は、ふと閃いた。
「良いこと思い付いたわ! 儀式の前に、お姉様にとびっきりの贈り物をしてあげないと!」
ほくそ笑む日葵の表情は、とてつもない悪意に満ちていた。
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