【短編】赤金の衣が君色隠す ~一族のために犠牲になれと言われた名家の姉は、金魚のあやかしに溺愛される〜

江東乃かりん(旧:江東のかりん)

1. 無能な姉と優秀な妹

 日本を含めた世界中では、かつて人間とあやかしが敵対していた。

 しかし、時代の激しい変化に応じるため、そして多くの賛同が得られたことにより、人とあやかしは共存の道を歩み始めている。

 そうして『霊と調和する時代』と言う意味を込めて新たに定められた『霊和れいわ』の時代、彼らが交流を交わす姿は、世界各地で見られている。


 とは言え、未だ一部の人間……特に術師の間では、あやかしは未だ憎悪の対象のままだ。

 あやかしたちは術師たちよりも、霊力や才能に恵まれていることが多いからだ。


 表向きは平穏な時代の中で、ひとりの少女と金魚のあやかしが慎ましく暮らしていた。

 全国でも随一の霊力を誇る術師の家系・花園家の広大な敷地内の片隅に、真っ白な椿の生け垣に囲まれた小さなあばら家が建てられている。

 人目を隠すようにひっそりと存在する小さな家が、ひとりと一匹のささやかな住処だ。


 家の窓際で、金魚鉢の手入れを終えた少女が朱色の優しい眼差しを湛えて頷いた。


つかさ、水槽のお掃除終わったよ」


 色素の薄い白髪を首のあたりで一本に束ねている彼女の儚い容姿は、霊和の時代の人間としてはひどく珍しい。

 人前に姿を現すと、あやかし呼ばわりされることもあるが、自称あやかしの金魚と共に暮らしている彼女からすれば気にならない。むしろ、彼女にとって好ましいと思える呼び方であった。


『ありがとう、夢璃ゆうり!』


 水槽と言うにしては小さな金魚鉢の中で、金魚が楽しそうに赤みを多分に帯びた赤金の鱗をなびかせていた。

 窓から差し込む光が金魚の赤い鱗を照らすと、時折金色に輝いて見える。

 夢璃はその様子を見るのが好きで、焦がれるように眺めていた。

 司と名付けられた金魚は、少女の唯一無二の親友でもあり、家族とも言うべき存在でもある。


『わー、水草も新しいのにしてくれたんだね!』


 まるで金魚から聞こえるように発せられた青年の優しい声は、紛れもなく司が発したものだ。

 水中で水草の合間をスイスイと無邪気に泳ぐ司の様子を眺め、夢璃と呼ばれた少女は気の毒そうに呟く。


「……でも、お家は相変わらず小さくてごめんね」

『ううん。小さくても夢璃と一緒にいられるから、ぼくはそれでいいんだよ』

「私も、司が一緒にいてくれるから、生きていられるの」

『夢璃……』


 寂しそうに答える夢璃に寄り添おうと、司の頭が金魚鉢に触れると、夢璃も右手の人差し指で金魚鉢に優しく触れる。

 ひとりと一匹は、ガラス越しに穏やかな触れ合いの時間を過ごしていた。


 そんな時、普段は誰も訪れようとしないあばら家に、彼らの平穏を乱す存在が現れる。


「お姉様!!」

「!?」


 あばら家の引き戸が壊れんばかりの勢いで音を立てて開かれると、どこか夢璃に似た面影の少女が玄関から座敷に乗り込んできた。


日葵ひまり……」


 濡羽色の髪を靡かせた堂々として優雅な佇まいの彼女の名前は、日葵と言う。

 夢璃の四つ歳の離れた妹だが、姉とは正反対の気の強い性格が、漆黒の眼差しにハッキリと表れている。


 日葵はどこかに出かけるのか、花園家を象徴する白と紅色の椿の模様が描かれた鮮やかな訪問用の着物を身に纏っている。

 対して夢璃は、着こなして色が褪せた普段着用の着物だ。……と言うよりも、彼女は妹のような外出着など持っていない。

 その上、健康的で十四歳にしては大人びた容姿の日葵と違い、夢璃はひどく痩せ細っている。


「日葵、じゃないでしょ? 次期当主様と呼びなさいよ」

「は、はい。次期当主様……」


 夢璃をお姉様と呼ぶ日葵だが、それはあくまでも日葵自身が姉よりも優位に立っていることを自覚する手段に過ぎない。

 夢璃は目の前に佇む妹との差に無意識にみじめさを感じ、縮こまる。


「お姉様ったら、また金魚に話しかけてオトモダチごっこでもしていたの?」


 日葵は窓辺にあった金魚鉢を一瞥すると、あざ笑うように吐き捨てた。


「独り言なんて相変わらず辛気臭いわ。でも誰からも相手にされないお姉様には、ちょうど良い相手よね」

「……」


 自分だけでなく、司のことまで蔑まれた夢璃は、俯いてしまう。


 夢璃が幼い頃は、「私の大事な司を馬鹿にしないで!」と反発していたこともあった。

 しかし、そのたびに妹であるはずの日葵に「花園家のごく潰しが生意気だ!」と頬を叩かれ、土を投げられ続けるだけ。

 もはや成長した今では、抵抗する気力も萎えてしまっていた。


(悔しいけど……。でも、私は……無力だから……)


 ただただ、悔しい・悲しいと思う気持ちだけが、彼女の無力さを苛む。

 彼女たちが正反対なものは、容姿や性格に留まらない。


 花園家はあやかしに対して反発している一族だ。あやかしのような儚い容姿の夢璃は、生まれたときから蔑みの対象である。

 その上、術師の名家である花園家に生まれた者は、遅くても十二歳となる頃には能力を開花させるはずであるが、夢璃は術師としての能力を目覚めさせることが出来なかった。

 このふたつの要因が決定打になり、夢璃は敷地の奥のあばら家に追いやられ、乳母によってひっそりと育てられた。

 中学までは学校に通わせてもらってはいたものの、「お前は花園家を名乗るのにふさわしくない」と言われ、殆ど縁を欠片も感じられない遠い親戚の名字を名乗らせてもらうしかなかった。

 義務教育を終えると高校に入学させてもらえるはずもなく、かといって世間様に出させてもらえることもないまま、間もなく十八を迎える夢璃は使用人として以上の過酷な扱いを受けていた。


 一方、妹の日葵は、平均的な年齢よりも早く術師としての能力を開花させている。

 天才として名を馳せ、次期当主候補として持ち上げられるようになると、姉である夢璃を馬鹿にしては使用人のようにこき使うだけでなく、虐げるようになった。


 自らの境遇の惨めさに夢璃の目じりに涙が溜まりそうになりかけていたとき、司の声が聞こえてきた。


『こいつ、また夢璃をイジメに来たのか!?』


 司の唸るように発せられた威嚇の声は、馬鹿にした口調の日葵には聞こえていない。司の声は今のところ夢璃にしか聞こえていないのだ。


(ううん。司のためにも、泣いちゃダメ)


 唯一の友人でもあり、守るべき存在でもある司のために気を引き締めた夢璃は、意を決して妹に問いかけた。

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