第9話

ふと、紫音がそう言った気がした。



「え?」



顔を上げると、そこにいるのはいつもの紫音で。



「ほら青だよ。早く渡らないと。」



そう言って背中を押される。人の波に流されながら、凛珠は紫音を振り返る。



「しおん」


「前見て歩きなって。転ぶよ?」



そんなこと言ったって。さっきのは本当に紫音が言ったのか。言ったなら、どういう意味だったのか。


けど、同じように横断歩道を渡る紫音は呆気なく見えなくなった。



さっきまでずっと一緒にいたのに、呆気なく。



小さな違和感を抱えたまま、商店街を歩く凛珠。今日は陸が夕ご飯の当番で、凛珠が皿洗い当番の日だ。だから、何か買って帰らなくてもいい。



「おかえり凛珠。」


「……しんぱいしょー。」



買い物袋を下げて歩く、自分と瓜二つな兄。



「りずじゃなくて、紫音の方を心配しなよ。」


「しおはそんな心配しなくても寄り道しないから。」


「りずだって真っ直ぐ帰ってきたじゃん。」


「“アカネくん”見かけたら飛んでくだろ?」



それは否めない。



「お前は昔っから危なっかしいからな。すぐどっかフラフラ行くし。」


「そんなことないよ。」



ただちょっと、興味のある物を見に行ってるだけだ。それを陸は、「迷子」と言って異常に心配する。



「あ、これ。紫音からのお土産ね。あとこれも。」


「家まで持っててくれよ。オレ今両手に荷物持ってんの分かる?」


「知らない。だってこれ陸のだもん。」


「なら買ったやつ持って。」


「いやでーす。」



無理矢理兄に荷物を持たせ、身軽な凛珠はべっと舌を出して先を走った。






「あれ磁石ちゃんじゃね?」



道路を挟んだ向こうの歩道を洋平が指す。ぴょんぴょんと跳ねるように走っては、振り返って見知らぬ男を待つ少女はたしかに毎日見るあの女の子に似ていた。



「誰といんだろーな。」



目を細めて向こうを見る鍾太郎。



「彼氏じゃね」


「えー、アカネにべったりだったのに?」



鼻で笑って鍾太郎に返した洋平に、良が聞く。



「ビッチなんだろ? だったら、男何人とも遊んでたっておかしくねーだろ。」



洋平と良はそんな会話をしているが、それにしては一緒に歩く二人が似ているように鍾太郎は見える。


車線がいくつもある道路を挟むと、遠過ぎて凛珠と一緒にいる相手の顔までは分からなかった。



「兄貴とか弟なんじゃねーの。」


「高校生になってまで兄弟と一緒にいるか普通。」



泰河の言葉に、それもそうかとうなずく。アカネは最初ハナから興味が無いようで、会話に加わるどころか見向きもしなかった。

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