第34話 新たなる関係

 夕暮れに包み込まれたセイザス帝国帝都は、喧騒に包まれていた。石畳が敷き詰められた往来には多くの人々が行き交い都市の大きさを知らしめている。


 アオイは皇帝の近衛兵と一緒に宮殿へと向かう。既に帝国軍の殆どは任務を解かれ、それぞれの地域へと戻っている。近衛兵のみ、そのまま皇帝を護衛しているが、国民への威圧がないからか、人々は道を開けるだけで、普段通りの生活をしている。


 帝国の多くは角が生えた魔族ではあるが、人族も珍しくは無い。ポニア王国にはいない小人族や獣人族もいる。魔族の国を名乗りつつも交通の要衝にある帝国ならではの光景だ。


「何を珍しそうに見ているのだ」


 皇帝に声をかけられてアオイは眉をピクリと動かす。馬をゆっくりと歩かせながら、視線を前方に向けたままで抑揚のない声で返答する。


「どうして民衆は皇帝に対して敬意を示さないのでしょうか?」

「そのようなもの不要だからだ」


 アオイの問いに皇帝も感情のない声で答える。そのまま二人は馬を並べて進ませていると、皇帝が呟くようにアオイに話しかけてくる。


「もしかして、皇帝が通るときは民はひれ伏すべきである。そんなことを望んでいるのか? 皇帝の権威の下でこの世界を統一しろ。そう望んでいるのか?」

「そうだと申し上げましたら?」

「別に何とも思わん」


 皇帝がぶっきらぼうに答えるのをアオイはクスリと笑う。そして、皇帝に対して視線を向ける。


「前を向いて歩かせないとケガをするぞ」

「ご安心ください。馬の扱いは慣れておりますので」

「わかったわかった。含みなど持たせる必要はない。何が言いたい」

「いえ、陛下は想像していたより、民衆思いと知りまして」

「無用なことだ」


 皇帝とアオイは、後宮に向かう。近衛兵の仕事は後宮の警備兵に引き継がれ、任務は解かれている。男子禁制であるから、入れるのは皇帝とアオイ、そして侍女としての役目を持つアリサだけだ。


「付いてくるのか?」

「勿論です」


 皇太后の部屋の前で皇帝が訊くとアオイは即答する。その返事を聞いた皇帝が何も言わずに扉を開き中に入ると、アオイはそれに続く。


「お待ちいたします」


 アリサが入り口の外で頭を下げるのを見て、アオイは「わかりました」とだけ答え、そのまま部屋の中に入っていく。


 室内は香が焚かれていて、少し甘ったるい匂いがした。ただ、それは本当に僅かな香りで疲れた心を癒すようであった。


「無事、帰りました」


 皇帝が頭を下げた先に、皇太后はいた。齢を感じさせないほどの美貌は、少女に見えることは無いものの若さを失っていない。真っすぐに皇帝のことを見つめてくる彼女は、今すぐにでも帰ってくることを知っていた。と言わんばかりに椅子に座っていた。


「良かった怪我もなさそうで。しばらくはゆっくりとできるのですね」

「いえ、しばらくは忙しくなります」

「どうしてなの? 将軍も宰相もいなくなったのですよね。それであれば、気兼ねなくここにいればよいのに」

「だからこそ忙しくなるのです」


 皇帝の言葉に皇太后は眉間にしわを寄せると、キッとアオイのことを睨みつけてくる。


「そなたのせいか?」

「そうかもしれません」

「帝国に戻れるよう手配してくださったことは感謝しております。ですが、それがそなたのためであるならば感謝の必要などありませんわね」

「おっしゃるままに」


 アオイが頭を下げると、皇太后はその態度が気にいらないと言わんばかりに、自身の前に置かれていた小さなテーブルをバンと叩く。軽い仕草だったにもかかわらず、想定外に大きな音になったのか、皇太后は少しだけ体をのけぞらせて口を尖らせる。数秒間、固まったのちにそのこともアオイのせいだ。と鋭い視線を投げつけてくる。


 そんなプレッシャーを浴びながらも、アオイは平然としている。気にも留めていない態度に皇太后は眉を上下に動かせる。


「母上、アオイは関係ありません。単に全てが動き出しただけのことなのです」

「今までのようにこの部屋でゆっくりとしていれば良いではないの。面倒なことは全部そこの人に任せて」

「そのようなことは長続きしません。それに、世界から逃げ出せば、いつの日か、自分の預かり知らぬ理由にて蹂躙されることでしょう。自らの身は自らで掴み取らざるを得ないのが、この世の理なのです。ですが、その仕事は私が行います。母上はご安心ください」


 皇帝は皇太后と手を握り合い笑みを浮かべる。いつまでも、手を放そうとしない皇太后に向かって、皇帝はゆっくりと身を引く。


「行く必要はないと言っているのです。私と皇帝としての仕事、どちらが大事だと言うのです。もう、私にはあなたしか……、シンあなたしかいないのですよ」


 皇帝は皇太后の言葉を聞いて動きを止める。


「ですが母上」

「そこの人にやらせれば良いではありませんか。構いませんよね?」


 皇太后の問いに対して、アオイは恭しく一礼をする。慇懃無礼というわけではない。命令を受けた臣下のように頭を下げる。


「ほら、よろしいではありませんか。これまでも上手くいっていたのですから」

「しかし……」

「いいから、ここに座りなさい。長い話があるのでしょう?」

「はい。話さねばならない話はあります。ですが、それは今ではありません。また、空いた時間にお話しいたしましょう」

「何を言っているの。あなたは私の子供なのですよ」


 皇太后が再び机を叩くと、皇帝は少し俯いたまま目を細める。


「母上、雛はいつしか巣から飛び出していくものです。猛獣は縄張りを守るために親子で争うものです。いつまでも庇護されているのであれば、それは子供ではなく玩具でしかありません」

「どうしたのシン。今までずっとこの部屋で一緒に過ごしていたではありませんか」


 皇太后が困惑の表情を見せると、皇帝は笑みを浮かべる。


「それは、敵を欺くためです。私の政略基盤はとても脆弱でした。特に、オキ将軍は私に対して明確に敵対的でしたし、宰相はそれを利用して父上の暗殺を画策したと思われます。この二人を排除することが私の狙いでした。ですが、オキ将軍は、自分が皇帝になろうとしていましたし、宰相は自分の傀儡となる存在を欲していました。ですから、私は無能を装いこの部屋から機を伺っていたのです」

「そうであっても、前と同じでも構わないでしょう?」

「いえ、違います。将軍と宰相がお互いを牽制し合う中で、国は上手く保たれていました。ですが、既に二人ともいません。ここで、皇帝が威を張らねば、武将も官僚も好き勝手なことを行い国が崩壊します。そのようなことは阻止せねばなりません」

「母がそなたを必要と言っても、ですか?」

「はい。母上の下から消えるわけではありません。政務を執り行うだけのことです。そして、以前に受けた屈辱を誰しもが受けなくて良い政治を行うのです」

「それは、そこの者でもできることでしょう」

「いえ、これは皇帝が行う役目。私が皇帝である限り行わなければならない定め」


 皇帝がキッと皇后を見つめながら頭を下げると、皇太后はもはや何も答えない。不満とばかりに子供のようにプイと横を向いてしまう。


「それでは、母上。また来ます」


 沈黙を続ける皇太后に向かって言い放った皇帝が部屋から出ていくのに、アオイは後ろから続く。そして、横に並び、小さな声で皇帝に話しかける。


「よろしいのですか?」

「何がだ?」

「政務なら私が行っても構いませんが?」

「そのようなことをさせるわけがない」


 皇帝は笑みを浮かべながら、アオイの頭を包み込むような手でくしゃくしゃと撫でてきたので、アオイは頬を少しだけ膨らませながら、皇帝のことを目を僅かに細めながら見つめていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マザコン引きこもり魔王に婚姻破棄されたので、私が皇帝になるルートを探しますね。 夏空蝉丸 @2525beam

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ