第11話 王宮

 玄関に立っていたシゾルに向かって、包丁を握りしめたシンは突進した。万全の体調であれば、数秒でシゾルの心臓を突き刺していたはずだ。しかし、体は既にボロボロだった。気合が籠もっていても、殺意で心が支配されていても、筋肉は損傷を受けていて脳の命令を実行できない。


 崩れ落ちるように前のめりに倒れ込むのをシンは確信した。だから、両腕を伸ばして致命傷を与えようとするが、最後まで動作を行えずに、ドサリと床に体を打ちつける。


「うっ」っと言う小さな唸り声を出しながら、何とか初志貫徹させようとするものの、体だけではなく、意識まで意思に背いて薄れていく。気合を入れろ。心の中で大声を出すものの思考は霧の中を彷徨っていてまとまらない。


 気がつけば意識を失っていた。いや、違う。気がついた時は、揺れていた。赤子の時のように揺らされているのが心地良くて、このまま眠り続けていたいと言う欲望に負けそうになる。


 その誘惑に打ち勝とうと思うことになったのは、記憶が蘇ってきたからだ。不法者たちに理不尽な陵辱を受けた悔しさと、謂れなき暴力を受けた怒りが湧き上がってきたのだ。


 シンが目を開けると薄暗かった。夜明け前の薄暗い空に二羽の鳥が静かに飛んでいくのを見えた。


 自分は何処にいるのだ。シンは意識が混濁していたが、自分がおぶさっていることに気づいた。体格から考えて男なのは間違いない。もしかして、奴隷として売られようとしているのか。そんなことも思い浮かぶが、すぐに父親におぶられているという現実に気づいた。


 暴れ出したかった。逃げ出したかった。それなのにシンは動けなかった。体中が痛かったからではない。疲れていたわけでもない。心地良かったのだ。あれほど強烈に殺意を向けたにもかかわらず、安心していたのだ。


 このまま、ずっと揺られ続けていたい。そう思いながら、ふと、昨晩のことが頭の片隅に思い出される。


「母さん……」


 シンは思わず呟く。もしかして、母親は冷たい床で眠っていてそのまま起きられなくなったのか。などと最悪の事態を想定してしまう。


「おっ、シン、起きたのか?」


 父親が振り向きもせずに話しかけてくる。その声には、殺されかけたことなど全く気にもとめてもいない。


「どうして……」

「まだ混乱しているのか? でも、もう安心して良いぞ。安全な場所に向かっているから」


 シンは父親の言葉に、何を言っているのだ。お前がいるからこんな目に遭ったんだ。と、言い返したくなった。しかし、まだ暴行を受けたダメージが残っている。口を開く力さえ無駄に感じられるし、何よりその程度の労力さえ満足に出すことができない。だから、シンはそれより優先される言葉を先に口にする。


「母さんは」


 シンは自分の声があまりにもか細くて泣き出しそうになったが、唇をギュっと噛み締めて耐えていると、温かい吐息が頬にかかった。


「どうしたの? ここにいるわよ」


 耳元で囁くように話しかけられて、シンは反射的に飛び上がりそうな気持ちになったが、その代わりに父親に強くしがみついた。


「おっと。もうすぐ着くからな」


 父親が立ち止まるのと同時に、鶏の鳴き声が周囲に響き渡る。一羽、二羽と朝を告げる鳴き声は、いつまでも続くかのように感じられたが、王宮の門が完全に開かれるまでには静かになっていた。


「国王陛下にご面談願いたい」


 シンの父親であるシゾルの言葉に対し、門番はあくびをしてから面倒くさそうに首をぐるりと一回転させる。


「私はセイザスの外交官のシゾルだ。陛下にお取り継ぎ願いたい」


 シゾルが言うと門番は後から来たもう一人の門番長に顔を向ける。


「私は……」

「聞こえておる」


 門番長は、面倒くさそうに答えてからため息をつく。


「この時間に来たのは陛下からの命令か?」

「いや、違う。だが、重要な話があるので是非とも引き継ぎをお願いしたい」

「そんなことを言われても、陛下はまだ休息なされている時間だ。それに朝は朝議がある。昼過ぎに出直してくるが良い」

「しかし、それでは困ります。どうしても話さねばならぬ急ぎの件がありますれば」

「急ぎ、ねぇ」


 門番長はシゾルのことをジロリと目を大きくして観察してから門番を呼びつける。念の為に報告せよ。と命令をするが、門番は、俺の仕事はここを守ることだ。とか文句を言って動こうとはしない。このまま、この場所にしばらく留められることをシンたち三人が覚悟した時、軍団長であるリョウが通りがかった。早朝の訓練を終えたリュウは体から蒸気を発している。本人にその気はないが、威圧感がある声で門番長らに話しかけてくる。


「何をしている?」


 リョウの質問に対して門番長が答えると、リョウはポリポリと頭をかく。あからさまに煩わしいことに首を突っ込んでしまったと言わんばかりの態度でため息をついてから、シンたちに向かって手のひらをクイクイと動かす。


「ついてきな」


 やっと、国王に会えるのか。とシンが思いきや連れて行かれた先は兵舎だった。百人は入りそうな広さなのに、数名しかいない。ただ、その数名しかいない男らの視線は冷ややかだった。殺気すら含まれているような感覚があった。


「お前ら、なにか食べたのか?」

「いえ、今朝はまだ……」


 今からなにか食べる予定がある。とでも言いたげなことをシゾルが答えるが、シンは、しばらくは何も食べれないことを覚悟していた。家の中は荒らされている。お金どころか、今日食べるものすら無い。シゾルが多少はお金を持っているかもしれないが、それも長くは持たないかもしれないし、暴徒に襲われればそれすらも奪われてしまうかもしれない。


 シゾルの背中の上で、シンは食べ物のことを考えまいと、他のことに意識を向けようとした。しかし、一度、頭に思い浮かんだことからは逃げられない。甘いスープの匂いを嗅ぎ取って、お腹をグウと鳴らしてしまう。


「なら、俺達と一緒に食べていけ」

「軍団長! こいつらが誰だかご存知ではないのですか?」

「ああ、知っているさ。いや、正確に言うならば、誰なのかの予想はできている。ただ、この人たちが、陛下を訪ねてこられた以上は客人。我ら、ポニア国は客人に対してどう礼を尽くすべきか知っている」

「しかし、仲間が!」

「わかってるに決まってる。だがな、我らは虎狼の国とは違うのだ。陛下が客人ではないと告げられるまでは、客人として遇するべきであろう。この客人らが自らの手で我らを傷つけたわけではないのであるから」


 リョウが一喝すると、男らはそれ以上は何も言わない。表情には不満が隠されてはいないが、面と向かった文句を言ったり罵倒したりする人間はいない。それどころか、ぶっきらぼうではあるが、シンたち三人の食事を用意してくれた。


「しばしゆっくりされるが良い」


 自分の食事を終えたリョウが兵舎をでていくのを見て、シンは不安になったが、後から来た男たちもシンたちに絡んではこない。遠巻きに冷たい視線を飛ばして来るだけだ。


 シンは満足できるほどの食事をもらうことができたが、両親らは物足りなさそうな顔をしていた。ただ、文句を言うことなどできるはずもない。そもそも、他の男らも同じ程度の量の食事だ。同じように扱われているだけで感謝するしかない。


「体調の方はどうだ?」


 シゾルに尋ねられたシンは、小さい声で「大丈夫」と答えた。体はまだ少し熱気がある。それでも、食事のお陰で活力が出てきた。もう少ししたら、仕返しができるほどに元気になれるはず。そう、シンが考えていると、武装した男らが兵舎の中に入ってきた。


「お前らか」


 武装した男らの先頭に立っていた衛兵長が、シンら三人を鋭い目つきで射抜いてきた。






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