第9話 皇帝の出身地

 現セイザス帝国皇帝であるシンはポニア国生まれでポニア国育ちである。このことは、セイザス帝国内では公然の秘密であるが、口にすることは許されていない。庶民がそんなことを言えば、不敬罪で処罰されてしまう話である。


 だが、人の口を閉ざすことは不可能だ。ましてや、自らのことを選ばれしものと思い込んでいる貴族たちにとっては格好の餌だ。皇帝の悪口を言うときには、必ずや小国出身の者という言葉が使われるくらいだ。


 魔族にとっては恥ずべき、忌むべき話ではあるが、皇帝本人はそれほど気にはしていない。だからと言って、皇帝がポニア国に良い印象を持っているわけではない。むしろ、逆だ。彼はポニア国のことをどちらかと言えば恨んでいるのだ。


 皇帝シンがポニア国で生まれることになったのは、両親がポニア国に住んでいたからだ。だからと言って、シンが王家の血を引いていないわけではない。父親のシゾルは先々代の王の息子で正当な血筋である。


 それが、何故、ポニア国にいたのかと言うと、シゾルが王子時代に外交官としてポニア国に送り込まれていたからである。将来的に王位を継承する権利は有していたものの、彼の母親は側室で身分が低かった。そのため、シンは他の王子のような扱いを受けていなかった。いつ切り捨てられてもおかしく無い。そんな駒としてポニア国に送り出された人間であった。


 外交官などとていの良い呼ばれ方をしていても、実質は単なる人質。もし、本国が大事にしているならともかく、ただの数合わせとして送り込まれている人質など、悲惨この上ない。何をしてもセイザスから咎められるわけでも無い。寧ろ、セイザスが因縁をつけて領土を奪取したり貢献させた時の八つ当たりするために置かれているようなものだ。殺されることまでは無いとはいえ、その扱いは酷いものであった。


 だから、シンも幼少期は、酷い扱いを受けていた。近所の年上の悪ガキたちに殴られることは日常茶飯事。飲用水を運んでいればこぼされ、本国から送られてくるどう考えても満足できないほどの金で買った食料ですら奪われることもあった。


 シゾルは生活費を稼ぐために家を空けることが多かったため、シンは母親のユーファンと二人で過ごしていた。もし、これが、セイザス国の帝都であれば何事も無いだろう。だが、ここは、ポニア国の王都だ。ポニア国にも魔族の血が流れている人が多い。それにユーファンはポニア国出身者だ。差別されるいわれはない。それでも、シンの一家がポニア国に馴染めるはずがない。明らかな異物として周囲から浮いていた。


 本来は市民を守るべき警備兵らも、揉め事があろうと積極的には介入しようとはしない。ましてや、侵略を受け、同朋の兵士らが多数殺された挙げ句、多額の賠償金を払うことになり増税されたなどということがあれば、その怒りの矛先を体を張って守ろうとなどする警備兵などいない。寧ろ、立場を捨て、一人の人間として暴徒に加わっているものすらいた。


「止めてください」


 シンの母親は家の入口に立っている男らに向かって懇願する。既に、玄関の扉は破壊されているから、シンとユーファンを守ることのできる障壁は何も無い。シゾルはしばらく前から、金策のため不在となっている。そのことを知っている民衆が暴徒となって襲いかかってきているのだ。


「帰ってください。俺たちは何もしていません」


 シンが母親を守るように一歩前に出た。話し合えば通じると思っていた。ポニア国にいるシン達が侵略に関係していないことは、誰もが知っているはず。だから、落ち着けば何事も無く帰ってもらえると思っていた。


 だが、それは、子供の考えだった。悪意を知らない純粋な人間の理性的な思考だった。そんな甘さは群衆の前に打ち破られる。


「魔族は黙ってろ!」


 怒鳴り声が聞こえた次の瞬間に、シンは強い衝撃を受けた。左耳あたりを思いっきり叩かれたのだ。体格差のある大人の本気の一撃に、シンの体は木の葉のように弾き飛ばされて、家の中を転がる。


「セイザス奴らに俺達の苦しみを教えてやれ」

「そうだ。やってしまえ!」


 その声が合図だったかのように、男らが近づいてきて床に転がって丸くなるシンのことを蹴り始める。しかも、かなりの強い力だ。もし、このまま蹴られ続ければ、半刻も持たずに命が尽きるだろう。そんな最悪の結末を予感した瞬間、シンは柔らかいものが覆いかぶさってきたことに気づいた。


「皆さん、どうか、この子は助けてください。何でもしますから」

「甘えるんじゃねぇ。貴様ら魔族が何をしてきたかを知らないとは言わせないぞ」

「そうだ。この国に魔族はいらない」

「待ってください。私は、ポニア国出身です! みなさんと同じです。だから、私たちは悪くなんかありません」

「黙れ! この売女が」

「お前はこっちへ来い」


 ポニア国は純粋な人族だけで構成されているわけではない。魔族も人族と魔族との混血も多数暮らしている。魔族としての性質である角を持つ人が少ないというだけで、魔族は珍しい存在でもない。それなのに、シンとユーファンは暴徒たちの怨嗟えんさの的となった。


 すぐにシンを庇っていたユーファンはシンから引き剥がされる。男二人に両腕を掴まれて引きずられていくのを見て、顔を上げたシンは叫ぶ。


「母さんに乱暴するのは止めてください。俺のことならいくら殴っても構いませんから」

「このガキがッ! セイザスの王族だからと俺達に命令するつもりか?!」

「そんな意味ではありません」

「黙ってろってんだ。貴様には俺達の受けた痛みを味あわせてやる」


 シンの言葉は、暴徒たちには届かない。無視をされ踏みにじられて奪われる。ユーファンが隣の部屋に連れて行かれるのを止めようと、シンは男たちに飛びかかろうと立ち上がるが、すぐに別の男たちに捕まってその場に倒される。


 再び幾人もの蹴りを繰り返し受け続け、徐々に痛みすら感じなっていく。体が妙に発熱していくのを感じて、死を覚悟する。きっと自分はここで死ぬのだ。無力な自分では何もできず何も守れず、ネズミのように人々の恨みを受けて容赦なく殺されるのだ。


 シンは覚悟をする。もし、ここでこのままここで死ぬことになるとしても、絶対にただでは済まさない。死霊となってでも母親のことを守るのだ。シンは心の中で固く誓う。自分の意志の力は、こんな暴徒らには打ち砕くことができないはずだ。そう信じていたはずなのに、シンは頭部に強烈な一撃を受けると、必死に気を失わないようにと耐えるものの、すぐに意識は虚無という闇の中に落ちていった。

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