第7話 皇帝の手紙

 執務室には三名の男が入ってきた。先頭の男はヒゲを生やしていて二本角の大男だ。年齢も四十半ばであろうか。少し太っていて貫禄がある。その後ろにいる男の一人は一本角で少し痩せている。少し目元に陰りがあり布で鼻から下を覆っている。一見すれば旅行に疲れた文官の様相を表している。もう一人は、同じ一本角であるが、三名の中で一番体格が良く、護衛の武官であろうことが見て取れる。


「ようこそホルライへ。どんなご要件ですかな」


 部屋の一番奥の執務用の席に座っていたリュウがわざとらしく立ち上がり三人に近寄る。アオイはリュウの執務用の机の隣に置かれた椅子に座っているが、ジイっと三人のことを見やるだけで立ち上がることすらしない。その横に立っているアリサは彫像のように不動の姿勢を取っている。


「貴殿に要はない。話があるのは、そこにいる王妃へだ」


 二本角の男の言葉をアオイは涼しげに聞き流す。自分のことではない。と言わんばかりだ。


「聞いているのか? 王妃よ」


 二本角の男は再びアオイに言うと、近づこうとする。だが、その前にリュウが立ちはだかる。


「ご安心ください行政官殿。別にこの男も襲いかかろうとしているわけではありませぬ。そうであろうな」

「当然のこと」


 リュウが一歩下がると、二本角の男は顎をしゃくりあげながら答える。お前のことなど見下ろしてやる。とでも言いたげな態度に対し、アオイは笑顔を見せる。


「貴殿、高貴なる方を王妃と呼ばれたか?」


 アオイの一歩前に出たアリサが突如、二本角の男に対して質問をする。


「そうだ」

「ならば、貴殿に問う。貴殿の国では、王妃に対しての敬意はそのような態度で示されるのか? ここ、ポニア国ではその場に跪くのが礼儀であるが、ご存知ではないか。もしかして、貴殿の祖国は礼儀も知らぬ野蛮な民であろうか?」


 アオイが叱責すると、二本角の男は唇をぎゅっと締める。拳を強く握りしめているが、それ以上は動こうとはしない。


「頭が高い! それだけで高貴なるお方に対して無礼千万であろうぞ!」

「黙れ小娘、引っ込んでおれ!」

「礼儀も守れない無教養な蛮族は立ち去るが良い」

「蹴散らされたいのか!」


 アリサが二本角の男を睨みつけると、相手も同じように睨み返してくる。体の大きさでは男に分があるが、鍛え上げられたアリサの前では勝ち目がないだろう。それに、アリサは護衛用の棍棒を手にしている。二本角の男の背後にいる武官であろう体格の良い男が動き出す前に勝負がつくはずだ。


 硬直しかかった二人を見たアオイが、瞬きをして少しだけ顔を上げた瞬間、二本角の男の背後から声がかかる。


「閣下、ここは礼に従うことが正しいかと考えます」


 背後にいた痩せた男が二本角の男に声を掛けると、それ以上は何も言わずにその場に跪く。同じように横にいた体格の良い男も跪くが、二本角の男だけがアオイの権威に拒否をするかのようにその場に立ち尽くしている。


「ご安心なされ。無理に跪く必要はない。きっと私は無関係なのであろう。交易の話であるならば、行政官とされるがよかろう。私は先に失礼させていただくこととしよう」


 そう言ってアオイが立ち上がろうとすると、二本角の男は唇を鼻に近づけるように動かしてからその場に跪く。


「王妃殿下に話があります」

「ほう? 私に奏上することがあると、そう貴殿は申されるのか?」

「はっ、その通りでございます。陛下よりの書状を申し上げさせていただきます」

「ふむ。貴殿らは書状を届けるのではなく、その場で読み上げろと命を受けておるのか?」

「その通りにございます」


 アオイは、ふぅ。と溜め息をつく。セイザスの伝統では、使者に書状を読ませるなどということはなかった。それは、相手を怒らせる可能性がある書状を使者が逃げずに送り届けさせるための決まり事だ。使者が先に書状を読み、命の危険を感じた場合、逃げて捕まえられれば処刑、届けてたら殺害されると見るならば、逃げのびようとする方に賭けるものがいるからだ。


「それで、陛下はなんとおっしゃられているのか」


 アオイが問うと、二本角の男は背後に顔を向けて、痩せた男に対して顎をシャクって言外に命令をする。


僭越せんえつながら、私が読み上げさせていただきます」


 痩せた男が言うとその場に緊張感が走る。二本角の男がニヤリと嗤ったのを見て、アオイは一般の人が皇帝が書く内容を幾つか推測してみる。


 まず、皇帝が怒りそうなのが、名馬を持ち出したことだ。返せと言い出してもおかしくはない。更に考えると、名馬を盗むように持ち去ったことで怒りに狂ってアオイのことを拘束する。と言い出すかもしれない。もっと、物騒な可能性を考えると、戦争を起こす。と宣言してくるのかもしれない。


 痩せた男は書状を胸から取り出すと、再度、「失礼いたします」と言ってから立ち上がる。そして、その場で書状をはらりと広げると、大きな声で読み始める。


「王妃よ。どうしてそなたは勝手に逃げ帰るようにセイザスを去ってしまったのだ」


 痩せた男が一呼吸で言い得るのを聞いて、アオイは座っている椅子から転げ落ちそうになる。思わず「なんでやねん」と意味不明なツッコミをしたくなるのを我慢しながら、書状の続きに耳を澄ます。


「わかっているだろ。自分の仕事を。お前は王妃なのだ。お前がいなければ、政治がまわらないじゃないか。誰に宰相や将軍たちの面倒を見させるのだ。ちょっと考えれば判るだろ。そのことをよく思い出せ。宮廷の場をかき乱すだけかき乱した挙げ句、自分だけさっさと自国に戻るなんてズルいだろ。変だと思っているんだろ。な、理解したなら戻ってこいよ。ここがお前のいる場所だ。帰ってきて自分の責務を果たせ!」


 最後の一言は、やけに感情がこもっていたな。とアオイが感じながら痩せた男のことを見ると、二本角の男が振り返って彼のことを仰ぎ見ていた。口がポカンと開いているのが少しだけアオイの位置から見える。ああ、手紙の中身を読んでいなかったんだな。とアオイが考えていると、アリサの様子が少しばかりおかしい。何事だろうかと、チロリと盗み見ると、アリサは小刻みに体を震わせている。今にでも吹き出しそうなのを我慢しているのだ。


「いかがでございましょうか。王妃殿下。我々と一緒にセイザスにお戻りいただけないでしょうか?」


 痩せた男が何事もなかったかのように訊いてくるが、アオイは首を縦に振らない。んんー、と低い声を少し出してから、首を傾げる。


「その話、少しおかしく感じられる。陛下は私に対して婚姻破棄をすると述べられたはず。それなのに、私のことを王妃と呼ぶなんてあからさまにおかしい。その書状、本物であろうか。何か証拠のようなものは無いのか?」


 アオイが当然の質問をすると、痩せた男は小さく頷く。


「王妃殿下、まだ続きがございます。それを拝読させていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ、勿論。先程のではあまりにも短い。そう感じていたところでしたから」


 アオイが言うと、痩せた男はアオイに一礼してから続きを読み始める。


「まあ、こんなことを言ってもお前のことだ。きっと、既に王妃ではない。とかわけのわからないことを言って使者を煙に巻いているに違いない。だがな、それは誤りだ。お前はまだ王妃である。ははは、どうせ、婚姻破棄は言ってないと余が言うとでも思っているんだろ。違う。それは誤りだ。余が一度言った言葉を無かったことにするはずがない。ただな、お前はよく聞いていなかったから、勘違いしたのだろう。婚姻破棄をするのが、今すぐ。などとは言っておらん。ああ、確かに出ていけ。とは言った。それは後宮から出ていき、朝廷に戻れ。政務に励め。そのような意味だったのだ。それを勝手に勘違いして、ポニアまで行ってしまうとは、何と酷い誤解であろうか。本来ならば、小一時間説教するところであるが、安心しろ。今回だけは許してやる。だから、使者と一緒に戻ってこい。できるだけ早くだ!」


 痩せた男は、またしても最後の言葉にやけに感情を込めて話している。アオイがクスリと笑うと、二本角の男はアオイの方に向き直り睨みつけてくる。


「セイザスの皇帝がこれほどまでにユニークなお方だとは、今知りましたわ」


 アオイが冷ややかに言うと、二本角の男は立ち上がる。両手の拳を強く握りしめながら全身をワナワナと震わせている。ツンと指先で突けば爆発しそうな男に向かって、アオイはもう一度、小さくクスリと笑いかけた。

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