第6話 都市ホルライ

 ホルライはポニア国の辺境の街である。国境線の向こう側はセイザス帝国となっているが、緊張感は全く無い。何故なら、ホルライとセイザス帝国の間にはそれほど高くはないものの険しい山脈が連なっているからだ。探検家が通るくらいなら可能だが、軍隊の通行は不可能だ。一般的にもセイザス帝国からホルライに来るためには一度、山脈を迂回する必要があるから、往来はほとんど無い。通商を行うだけであれば、ホルライのような田舎に来るより、王都トネンに向かった方が利があるからだ。


 ある意味、忘れ去られたような街ではあるが、活況は悪くはない。山脈から供給される豊富な水脈と肥沃な大地のお陰で、それほど広くはない盆地であるが穀倉地域であるからだ。また、風光明媚な土地であることも知られており、昔は王族の避暑地であったこともある。由緒正しい場所でもある。


「アオイ様ぁー」


 ホルライを管理している邸宅の入口で、馬車から降りたアリサは体をブルっと震わせた。


「めちゃ寒いですよ」


 続いて馬車から降りたアオイは、息をふーと吐き出す。もし、冬だったら白くなる吐息であるが、まだそれほど寒くはない。


「お待ちしておりました」


 入口に立っていた衛兵が、二人に声をかけてくる。そのまま衛兵の一人に邸宅の中にある執務室に案内された。アオイとアリサが部屋の中に入ると、部屋の奥の窓際に置かれていた執務スペースに座っていた年老いた男が立ち上がる。風貌からすると老人と呼ばれる年齢の男だが、そこら辺にいる若者になど負けそうもないほど体格ががっしりとしている。アオイたちにゆっくりと近づいてくると、二人の数歩手前で跪く。


「ご無沙汰しております。王女殿下」

「久しぶりですねリュウ将軍。ご健勝で何より。あと、今は王女ではありませんよ」

「殿下こそ、自分は既に将軍ではありません。引退してこのような辺境の地でのんびりと隠居生活を満喫させていただいているだけの身です」

「隠居だなんて謙遜を。城壁を通り抜けてここまで馬車から眺めるだけで、どれだけこの街を大事に統治されているか感じられましたわ」


 アオイが言うと、リュウは顔を隠すかのように頭を少し下げた。


「それより、殿下にご迷惑をかけていないでしょうか。我が娘は」

「アリサにはいつも助けられています」

「やめてよね。お父さん。子供じゃないんだから」


 アリサの言い方は少し怒りが込められているように聞こえたが、表情は笑っている。


「もう、立ってください。今の私はホルライにお邪魔させていただく身ですから、そのような態度を取られては困ります」

「ですが、自分にとっては王女殿下です」

「将軍の謙虚さを誰もが手本にしていただきたい。以前よりそう思っておりますが、今は緊急事態です。礼儀を省略してでも実務を執り行う必要があります」

「それでは、失礼させていただき……」


 リュウはそう言って、自分の執務場所を譲るかのように、入口の近くにある椅子に座ろうとするが、アオイとアリサが先に占有する。だから、リュウは執務場所に置かれていた椅子を移動させて二人のそばに座る。


「将軍、いえ、今は行政官とお呼びしたほうがよろしいでしょうか」

「そうですね。その方が適切かと」

「では、行政官殿、どうか私たちの部屋を用意していただけないでしょうか」

執務室ここを使っていただいて構いませんが」

「それでは、心休まりません。新しい場所のほうが落ち着けますので」

「わかりました。それでは用意いたしましょう」


 リュウの快諾にアオイは一瞬頬を緩めるが、すぐに口元をギュッと引き締める。


「もう一つ、お願いしたいことがあります」

「ほう、殿下ほどの方が、小官にお願いすることなど」

「謙遜なさらないでください。そもそも、今の私は殿下などと呼ばれている状況ではありません。既にご察しされているかと思いますが、かなり危うい立場なのです」


 リュウがアリサに問うように視線を向けると、アリサは小さく頷く。


「アオイ様のことを信じてください」

「何も殿下のことを疑ったりはしていない。だが、少し戸惑いはある。少し唐突でもあるからな」


 アオイはリュウが自分の娘に話しかけている様子を見て口元を緩ませる。


「じゃあ、アオイ様に従うことで良いんだよね」

「基本的にはな。ただ、アオイ様の本心をお伺いしたい。この老人、一人の命であれば好きにしていただいて構わないのですが、もし、このホルライの命運を預ける必要があるとおっしゃられるのでしたら」


 アオイはリュウの強い視線を真正面から受ける。嘘をついたら見破られるような強い視線だ。


「わかりました。お話いたしましょう。今の私は、婚姻破棄をされセイザスを追い出された上に、王都からも疎まれる身。まさに、厄介者と言えましょう。本来であれば隠れて生きるべき定めであるところです」


 アオイが言うとリュウは眉間にしわを寄せてから、フーっと長い息を吐き出す。


「では、このホルライでアオイ様を匿えばよろしいのですね」

「いえ、違います。私の目標はセイザス、ティーワ、そしてこのポニアが一つの国になることです。その実現に協力をしていただきたいのです」


 アオイが一気に言うと、リュウは目をパチクリと瞬きさせる。


「な、なんと、殿下はポニアがセイザスの軍門に下るようにしようと考えられているのですか?」

「まさか、そんなことは考えておりません。それでは、魔族中心で我等人族や妖族ようぞくを一段下に扱う国ができるだけです」

「それでは、ポニアがセイザスを滅ぼすと?」

「それは現実的に軍事力の差があり無理でしょう」

「それではどうなされたいのですか」


 リュウは、セイザスともティーワとも戦ったことがある歴戦の勇士。戦で他国を滅ぼすことの困難さを一番知っている。だから、うわべだけの言葉では説得力がないとアオイは感じていた。それでも、これから起こるであろうことに対処しなければならない。


「平和裏に対等な合併。それができる。そう考えています。勿論、今すぐには困難です。これがなし得るのは、十年後、いえ、三十年後、そのような話なのです」

「なるほど、かなり壮大なお話ですな」


 リュウは戸惑いを見せている。どう答えて良いのかわからないだろうと、アオイは考えて微笑む。


「今、やらなければならないことはもっとわかりやすい話です。そのために、ご協力くだされば」

「勿論、この老骨、殿下の命に従い尽力させていただきましょうぞ」


 アオイが立ち上がりリュウに手を差し伸べると、リュウも立ち上がり両手でアオイの手をがっしりと掴む。老人と呼ばれる年齢ではあるが、その両手に力をアオイは感じて強く握り返す。


「アオイ様、これで一安心ですね」

「首の皮が一枚繋がった。そんな感じね。頼みますね行政官殿」

「はい。お任せください」


 協力の確約を得たアオイがリュウと別れようとしたその時、部屋の扉が複数回ノックをされた。


「今急ぎの用事だ。もう少し待っていろ」

「気にしないでください。私たちは、部屋から出ますから」


 アオイがリュウに返答をしていると、再びノックがあり、部屋の外から衛兵が大きな声で話しかけてくる。


「閣下、緊急事態です」

「そんなに慌てるようなことがあるか」

「ですが、訪問があるのです」


 その言葉にリュウは、何を言っている。ここに訪問者がいるではないか。とばかりに、アオイのことを見ながら苦笑いを見せる。と、衛兵が再び大きな声です。


「帝国です。セイザス帝国からの使者が、今、ここに来ているのです」

「なっ、なんだと!?」


 リュウの驚きの言葉に反応するかのように、アリサはアオイのことを心配そうに見つめてくる。


「楽しくなってきたではないかアリサ。行政官殿、よろしければご一緒にお会いいただけないでしょうか」


 アオイが大したことではないとばかりに言うと、アリサの心配げな表情はあっという間に笑顔に変わった。

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