第4話 皇帝

「遅くなりまして申し訳ございません」


 駆け込んできた二人の女性が、アオイの横に並ぶ。一人は一本角の若い魔人、もう一人は二本角の年老いた魔人だ。


「どうしてここに……」


 驚きの声を上げたのは、アオイでもアリサでもない。ヌーヨンだった。侍女たちの視線も二人に注がれていて、表情から動揺しているのが見て取れる。


「ヌーヨン、王妃殿下のお話を伺いなさい」


 老女がヌーヨンに対して命令をする。その言い方に侍女たちは全員、ヌーヨンが反発するかと思いきや、彼女は恭しく頭を下げる。


「ヌーヨン様、どうされたのですか? 何故にこの人に言い返さないのです」


 先程の侍女がヌーヨンに突っかかるが、それに対しても反論をしない。その代わりにヌーヨンは老女に話しかける。


「叔母様、王妃殿下とはどのようなご関係で」

「別に関係などありません。ただ、王妃殿下は皇帝陛下のこと、王太后陛下のことをこの国で一番考えられています。そのことはこの私が保証いたしましょう。ですから、どうか王妃殿下の邪魔をされないように」

「そのようなこと、信じられますか」


 侍女は老婆に対して声を荒げるが、ヌーヨンの命令で他の侍女たちに両腕を掴まれて抑えられる。それでも不満そうな態度で、文句を言い続けているが、アオイとアリサ、そして後から来た若い女性は、王太后の寝室に向かう。


「遅かったじゃないフェイ。何をやってたのよ」


 アリサがフェイと呼ばれた女性に向かって文句を言うが、言われた当人はフンと鼻を鳴らすだけで回答をしない。


「ちょっと、聞いてるの?」

「ここが、王太后陛下の寝室ね」


 アリサの言葉に返答するかのように、部屋の前で立ち止まったアオイが二人に言うと、二人も立ち止まって姿勢を正す。


「陛下、いらっしゃいますか? 陛下」


 アオイの目配せを受けたアリサが部屋の扉を軽く叩きながら大きな声を出す。だが、返事は返ってこない。部屋の中からは気配が全く感じられない。


「王太后陛下、皇帝陛下はいらっしゃいませんか?」


 アリサは再び扉を叩く。今度は少しばかり力が入っているが、先ほどと同じように返答はない。


「王太后陛下、ご無事ですか? 何か不測の事態などありませんか?」

「何をしているのですっ」


 後から来たヌーヨンが、アリサの態度を見て文句をつける。先程の信頼しろとか。王太后陛下のことを考えているとは全然違うじゃないか。そんなことを言いたげな不満顔だ。普通の人間ならば、そんなヌーヨンの表情を見て動揺するところだ。けれども、アリサは全く気にしていない。平然と扉を叩き出す。


「後宮の他の場所に陛下はお見えにならない。もし、部屋の中で病魔にやられて倒れているなどあれば、国家の一大事。確認させていただく必要があります。陛下、陛下、ご無事でございますか?」


 アリサはさっきの倍以上の力で扉を何回も叩く。このままでは、扉が破壊されてしまうのでは? という勢いに、目を丸くしたヌーヨンは飛びかかろうとする。だが、フェイに背後から羽交い締めをされて口を塞がれる。


「安心してください。先程から返答はありません。ですから、多少の荒事を行ったとしても騒ぎにはならないでしょう」


 アオイの言葉にヌーヨンは涙目でモガモガと訴えるが、アリサは更に勢いづく。


「おおっ、皇帝陛下。王太后陛下。まさか、部屋の中で倒れられておらぬでしょうか? もしかしたら、この侍女たちに監禁されておられるとかありませぬか? 国家転覆の危機にございます。この薄い扉を我が棍棒で破壊することお許しくださいませ」


 アリサが大声を出しながら扉を蹴飛ばしていると、流石に無視はできなくなったか、部屋の中から返答がある。


「止めぬかお主ぃ!」


 低い声が聞こえてくるが、アリサの攻撃は止まらない。


「貴殿、王太后陛下が不在の間にどのようにして部屋に入り込んだ。しかも、男性の声に聞こえる。まさか、この後宮に不届き者が侵入していたのか。顔を改めたい。速やかに扉を開けよ」

「朕に対して、何たる無礼者が。首を刎ねようぞ」

「御尊顔を拝見せねば、陛下である確証が得られませぬ」

「お主、死を恐れぬのか?」

「もし、小官の誤りであれば、我が首が飛ぶのみ。しかし、もし、賊であれば国家の危機。比べるまでもありませぬ」


 しばしの沈黙の後、分厚い扉がゆっくりと外側に開かれる。扉の影から現れたのは、一人の美丈夫。長い黒髪に切れ長の目、魔人を象徴する角が二本生えている。だらしのない服装とやつれた表情が無ければ、魔人の長として前線にすら立てそうだ。


「陛下、ご機嫌麗しゅう。婚礼の儀以来、三ヶ月ぶりでございますね」

「アオイ、貴様が何故ここに」

「王妃の私が、後宮にいることが不満と仰言られます?」

「貴様には朕の代理を任せている。その仕事だけこなしておれば良い。そのために、婚礼の儀などという無駄なものを行ったのだからな」

「しかしながら陛下。口頭でお前任せた。などと仰言られましても、臣下たちも信じれぬことでしょう。それに、御裁可いただかねばならぬ案件が龍の鱗ほどございます故、明日は参内して下さいませぬか」

「断る。朕は忙しい」

「部屋から出て来られぬのに?」

「お前が勝手にオキを捕縛するのが悪いのであろう。朕の問題ではない。そもそも、何のために、王妃の名を与えていると思ってるんだ。上手くやれ」


 皇帝が面倒くさそうに言うと、アオイは少しばかり目を細める。


「陛下の執務を行うためだけであれば、宰相として迎え入れてくだされば良かったでは有りませぬか。何も王妃にする必要などありませんでしたのに」

「女を宰相にできるか。それに、爺らが早く世継ぎを作れと煩くて敵わんからな」

「そうですか」


 アオイは目を細めて皇帝を威圧する。


「そのような理由で王妃となった私では言葉に重みがありませぬ。今からでも、陛下には朝儀の間に来ていただけないでしょうか?」

「待て、誰か、誰かおらんか!」


 皇帝が大声を上げると、侍女たちが集まってくる。しかし、遠巻きに見ているだけで近づいてこない。否、違う。今度はアリサが、侍女たちが近づこうとするのを塞いでいる。


「アオイ、これはどういうことだ。まさか、後宮を乗っ取るつもりか?」

「陛下。何か勘違いをされておりませぬか」

「騙されんぞ。後宮を意のままに操り、朕をここから追い出して、政治をさせようというのであろう。だが、貴様の思い通りになると思うな。朕はこの部屋からは出ぬ」

「しかし、永遠に部屋に閉じこもることは不可能で……」

「黙れっ、貴様、朕にそのような態度、王妃になって偉くなったつもりか」

「決してそのようなことは」

「反論するな。貴様とは、婚姻関係は解消だッ! 顔など見たくもない。消え失せろ」


 皇帝は表情をあまり変えないながらも、アオイに対して怒鳴りつけてくる。


「それは、あまりにも早急すぎませんか」

「五月蝿い。貴様がコソコソと朕の居場所を嗅ぎ回ったり、侍女たちに探りを入れたりしていたことを知らぬとでも思ったのか。アオイ、貴様の胡散臭い行動にはウンザリしていたのだ。本日をもって、貴様は王妃でなくなる。さっさと帝国から立ち去るが良い」

「よろしいのですか?」

「安心しろ。朕は気前が良い。二頭立ての馬車を使用することを許可しよう」

「わかりました」

「ふはははは。物分りの良い妃を演じるのも今日で終わりだ。貴様は小国に戻り、朕に歯向かって栄華を捨てたことを後悔しながら生き恥を晒し続けるが良い」


 アオイは一歩下がり頭を垂れる。目の前で扉が閉じる音を確認してから、踵を返す。



「アリサ、赤兎馬と白龍馬で馬車を組んで」

「あの伝説の名馬で!? ……了解しました」

「フェイ、水と食料を用意できる?」

「はっ」


 小走りに去っていく二人をゆっくりと追いながら、アオイは呟く。


「生き恥を晒す? まさか。陛下、女には、王妃になるという生き方だけではなく、王になるという生き方もあることをお教えして差し上げましょう」


 アオイは王妃の象徴であるティアラを投げ捨てると、颯爽と後宮を後にした。

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