第3話 後宮

 アオイは、侍女のアリサを引き連れて後宮の最奥部に急いだ。二人共女性であるから後宮を自由に行き来できる。歩く敷居は低い。とは言え、オキを捕縛したことが知れ渡れば、侍女たちに建屋の入口を閉ざされる可能性がある。そうなる前に、魔王が引きこもっている生母の部屋を訪れる必要があったのだ。


 後宮の一番奥にある建屋、華美とは言えないが、赤を基調にした美しい佇まいの建屋は、特別な装飾をされていないのに気品がある。幾つもの貝殻が転がっている砂浜に、ひときわ輝く宝石が置かれているような特別感がある。


 アオイとアリサが建屋の中に入ると、既に来るのがわかっていた。とばかりに、生母に仕える侍女たちが横一列に並んで立っていた。


「王妃殿下、ご機嫌麗しゅう」


 列の中心にいる年長者の侍女であるヌーヨンが恭しく頭を下げる。だが、友好的にはとても見えない。その場所の雰囲気がピリピリとしている。これ以上奥には行かせない。そのようなあからさまな態度が見て取れる。自分たちの意志を隠さないその様子にアオイは、予想通り一筋縄にはいかないことを感じ取る。


「陛下はご在室?」

「いえ、こちらにはお見えになられておりません」


 アオイの質問に、ヌーヨンは澄まし顔で答える。もう、貴方とは話をしません。そんな言葉を言い出しそうだ。それでも、アオイは引き下がるわけにはいかない。顔色を変えずに話を続ける。


「では、王太后陛下はいらして?」

「生憎ですが……」


 ヌーヨンがほくそ笑みながら答えると、アリサが一歩前に出る。力ずくで排除する。そんな意志を見せる。それでも、侍女らは怯えた目をしながら口元を強く引き締めている。ここを通りたくば、自らの命を奪ってから通れ、そんなことを言いたげな表情をしている。


「殿下、押し通るしかありません」


 アリサは棍棒をギュっと握りしめてから、自分の体の前でクルクルと棒を回転させる。演舞を見せつけるかのように高速で動かしてから床を叩いてカツンと甲高い音を出して止める。


「そんなことをしても無駄ですよ」

「そうでしょうか?」


 ヌーヨンの否定の言葉をアリサが疑問形で返す。二人が睨み合いながら間合いを測っているのを見たアオイは、二人の争いを止めるかのように一歩前に出る。


「少し話をしましょう」

「アオイ様、そんなことを言っている時間の余裕はありません」

「落ち着きなさいアリサ。こんな調子では皆さんも私たちの話を聞く気にもなれないでしょう」

「ですが……」


 アリサの反論を止めたアオイは侍女たちに微笑みかける。


「今は帝国存亡の危機にあります。どうか、そこを通していただけないでしょうか?」

「ここは、後宮です。外界のことわりは関係ありません」

「ですが、帝国が滅びれば後宮も存続できませんではありませんか」

「ええ、後宮は帝国の影。もし、帝国が滅びるのであれば影も消え失せるのが必然。それが運命と言うもの」

「それでも、貴方がたは守ろうとしているものがあるのしょう。だから、こうやって私たちの足止めをされているのですよね。そうであるならば、貴方がたは誤りを犯そうとしています」

「誤りですって? 誤りを犯したのは、王妃殿下の方ではありませぬか」


 返答したのはヌーヨンではない。別の侍女だ。確か、オキの血縁者だったか。と、アオイは侍女の二本角を見ながら記憶の片隅を探る。


「そなたは、何故に私が誤りを犯したと?」

「失敗があって助けを求められるからこそここに来られたのでしょう」

「それは憶測ですね」


 アオイが断定するが、侍女は直接の反論はしない。アオイと議論するのは不利と悟ったのか、ヌーヨンに向かって話しかける。


「王太后陛下から、厳命がくだされているはずです。何人も通さぬようにと。勿論、それには王妃殿下も含まれています。ですから、ここはお引き取りをするようにヌーヨン様から……」

「確かに!」


 アオイは侍女の言葉に口を挟む。自分の方に注目が集まったことを確認してから話を始める。


「王太后陛下の命令は絶対です。特に、貴方達のような立場の方はそうでしょうし、そうでなければなりません。貴方たちは、何日ほどその命令を守られているのか?」

「もう、三日になりますわ」


 侍女が勝手に返答をするのを見て、ヌーヨンは視線をチロリと動かすが、言葉は何も発しない。


「もし、そうでしたら、王太后陛下のご健康が気遣われます。是非、ご拝見させてください」

「心配は御無用。私たちが親身になりお世話をさせていただいております」

「その言葉が正しいのでしたら、尚更、お会いせねばなりません」


 アオイの言葉に不快感を示したのは話をしていた侍女だけではなかった。一番、心外そうな表情を見せているのはヌーヨンだった。それは当然のことだ。この王太后の世話をしている責任者はヌーヨンだ。それを疑っていると言わんばかりの発言は、自分らへの疑念、不信であるからだ。


「王妃殿下、お引き取りください。ここをお通しするわけには行きません。私たちを信用なさらないのであれば尚更です」


 ヌーヨンの厳しい口調に、アオイは性急過ぎたことを反省する。このような場合のことを考慮し、手は打っていたにもかかわらず、強引に話を進めようとしてしまった。急ぎのときほど、丁寧な説明をするべきだったと考えながら、次の言葉を探す。


「貴方がたは、信用できるか人かできない人か、どのようにして見分けられますか?」


 アオイの唐突な質問に、ヌーヨンらの怒りの意志が削がれる。何を言っているのだ。と言わんばかりに眉間にしわを作りながら回答する。


「人の目を見ます。その人の考えは目に現れます」

「では、私の目は信用できない目ですか?」

「それは……」


 本当は信用できない。そう言いたいのであろう。だが、王妃に向かって、その目を信用できないなどとヌーヨンの立場で言えるはずもない。そんなことを言えば、皇帝を批判するに近しいことであるからだ。だから、彼女がモゴモゴと口を濁していると、先程の侍女が口を挟む。


「失礼ながら王妃殿下の瞳は信用いたしかねます」

「そうですか。それは残念です。ただ、人の目を見て信用する。ことがそもそも難しいことです。確かに、普通の人ならば、その心の動きが目に見えることも多いでしょう。ですが、そうでない人もいます。ですから、人を信用できるかを判断するには他の方法が必要になります」

「他の方法?」


 侍女が反射的に答えるのを見て、アオイは微笑む。


「信用をできる人かどうか、それを判断するのは、信用できる人であると知っていることです。過去の積み重ねで、信用できる行動をしてきたか。それが信用というものです」

「そうでしたら、私どもは王妃殿下のことをそれほど存じ上げておりません。ですから、王妃殿下のことを信用できないとしても、致し方がないことかとご理解ください」


 侍女の言葉に、ヌーヨンは目を細める。流石にその言いようはあまりに無礼であり失礼すぎる。そう感じたのであろうが、言葉を飲み込んだのだ。アオイはヌーヨンのその感情の動きを目から察していた。


「そう。私のことを知らないから、信用できない。そう理解すればよろしいかしら」

「大変申し訳ございません。王妃殿下。ここをお通しするわけにはいかないのです」


 ヌーヨンは話題を逸らす。話が初めに戻ったように感じられたアリサがアオイに視線を向けてくる。混乱して主人に助けを求める犬のような視線をアオイは涼しげに受け流す。


「どうしても、貴方がたが私達のことを信用していただけないというのでしたら……」


 アオイがそう言いかけた途中で、背後からバタバタと足音がした。そして、音が止まると、「お待たせしました」と、若い女性の声がした。

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