第2話 王妃の権威

 アオイの鋭い視線に動揺したオキは、意見を求めるが如くキョロキョロと周囲を見回すが、辺りは静まりかえっている。列に連なる重臣たちは武官ですら瞬時にその言葉の意味を理解したのだ。誰しもが話を振られたくないと言わんばかりにオキからの視線を逸らすか顔を背ける。


 朝議の間の空気が一変したのを察知したオキは誰も助けに入ろうとしないのを見て反論を行う。


「王妃殿下も書状を読まれるではあろう。何か問題でもあると言われるか」

「ありえませぬ。卿が言われているのは地方からの税や政情に関する報告のことでしょうか。それであれば陛下から事前に閲覧の許可を頂いております。そもそも、それらは、陛下へ奏上されしものではなく、単なる政治を行うための報告に使われるもの。それ以外のましてや陛下宛に奏上された書状をこの身が許可なく開くなど恐れ多いこと」


 アオイに一蹴されたオキは顔色を変える。何が起こっているのかは理解できていない。だが、状況がかんばしくないことをようやく理解したのだ。


「構わぬではないか。陛下はしばらく後宮から出てこられておらぬ。日々の朝議を行っておるのも我ら。陛下が休まれている間も政治を遅滞させることは許されることではない。ましてや、戦においては如何や。現況を把握し戦争を戦い抜くには書状を読み裁定を朝議にて決めざるを得ないはずでは。どうか、王妃殿下、我らで政治を行うことを理解していただくよう」


 突如、跪いて言葉を述べるオキをアオイは睥睨する。まさに、道端に落ちている馬の糞でも見るかのような冷たい視線に臣下らは息を呑む。雷雲が地上を覆い尽くし、嵐が吹き荒れる直前の静けさがある。


「下の者が、礼節を失い高慢になることを増長と呼び、法に従わずに好き勝手に振る舞うことを専横せんおうと言う。また、君主でないものが、その権力を奪い取ることを簒奪さんだつと言う。卿は、増長し専横するだけでは飽き足らず、私に、陛下から権力を簒奪しろと申されるのか!」


 謁見の間に雷鳴が轟くと一迅のヒンヤリとした風が流れた。列を成す重臣らは、棒にでも串刺しされたかのように直立不動の姿勢を取る。誰しもがアオイの威光に打ちのめされている。呼吸をすることすら躊躇ためらわざるをえない圧力を感じる。しかし、そんな中で一人、跪いていたオキだけは、威光に抵抗する。怒りを顕にするかのように体を震わせる。


「半魔半人の小国出身の分際で、ただ単に異界で得た知識を有するだけでその場所に立っているだけの小娘がッ! 正当なる王の血を引く高貴なる我にさかしい態度を取るとは身の程を知らぬわ」


 オキは書状を投げ捨てて立ち上がると、懐から短剣を取り出した。


 まるで追い詰められたネズミだ。どうしようも無くなって虚勢を張って威嚇をするだけ。その行為が、自分の立場をどれほど悪化させているか理解できていない。近くにいる文官の臣下らはオキを宥めるような声をかけるが聞く耳を持たない。こうなれば抑えが効かない。当然のことだが、力づくでオキを止めようとはする者は誰もいない。


 このままの勢いでオキに壇上まで駆け上られ力を行使されれば、華奢なアオイでは抵抗できそうもない。まさに、オキに命を握られている状態でもあるはずなのに、アオイは平然としている。


「やれやれ、佩剣はいけんの許しも得ていないのに、朝議の間に剣を持ち込むなど、自ら死罪を望むようなものではありませんか」


 嘆息しながら発せられたアオイの言葉と同時に、跪いていた侍女のアリサが立ち上がった。棍棒をクルクルと回転させてから先端を一段下にいる大将に向ける。


「小賢しい半人の分際で抵抗する気か、小生意気な。衛兵共! 入って来いッ!!」


 大将の大声に、武装した衛兵が十名ほど朝議の間に入ってくる。列をなしていた臣下らが慌てて壁際へと退くと、衛兵らは硬質な煉瓦れんがでできた金磚きんせんの床を小走りで玉座に向かって駆けよってくる。


「半人を捕らえよ」

「そこの武器を持った男を捕縛せよ」


 アオイとオキが同時に命令した。声の大きさではオキに分がある。しかし、重要なのは声の大きさではない。衛兵らは迷いもせずにオキを取り囲む。


「き、貴様ら、血迷ったか?」

「卿は自らの部下の顔も覚えておられぬのか?」

「まさか!」


 オキは叫ぶと同時に、キョロキョロと衛兵の顔を見回して青ざめる。



「は、は、図ったな半人がッ。我の部下の衛兵を入れ替えやがったな卑怯者め! 誰か、我に味方をするものはおらぬか」


 オキは壁際に立つ武官らに声をかけるが、視線を背けるものばかり。衛兵は武装をしている。武術に心得があるものだとしても、反逆罪で言い訳すらできずに斬られかねない。ここでオキに恩を売りたいとは考えても、命の危険を犯してまで名乗りを上げる人はいない。


「貴様ら、この屈辱は忘れぬぞ」


 抵抗をし続けるオキは衛兵に押さえつけられる。体格が悪くないオキではあるが、複数の衛兵に力で勝てるはずもない。そのまま無惨に捕縛されてしまうが、オキの口は止まらない。


「おい、お前ら、魔人としての誇りはどうした。こんな半人の小娘に良いように使われて構わないのか。我の味方をして、この半人らを討ち取れば、望みのままの栄達を与えようぞ」

「閣下、拷問官と鋏を所望されますか?」


 衛兵らをそそのかしているオキに向かってアリサが耳打ちをした。暗に黙らぬと舌を抜くぞと仄めかされ、さしものオキもこの状況を打破することは難しいと察し観念して口を閉じる。もう喚いたりはしない。恨みのある視線でアオイを一瞥いちべつしただけで朝儀の間から衛兵に連れて行かれる。


「王妃殿下、大将の処遇は如何なされますか? このまま、処刑を命じられるのであれば、急ぎ用意させますが」


 壁際に逃げていた文官の序列から一歩前に出た宰相は、困惑した表情を見せる。だが、内心はわからない。アオイは彼に表情から心情を読まれないようにゆっくりと言葉を紡ぐ。


「宰相殿ともあろうお方が、曲がりなりにも陛下が叙任された大将を私が裁いても良いと申されるのか?」

「まさか、そんなことはあろうとは思いませぬ。ですが、大将ほどの方を拘束なされるならば、人も金もかかります故、どのようなことになりましょうとも迅速な御裁決を願います」


 宰相の言葉に、アオイは返答をしない。オキを軟禁させ続けるわけにはいかない。早急に結論を出す必要がある。そんなことは十分に理解している。


 アオイは冷静さを保ちつつ他に重要議題がないか確認する。当然のように、誰からも返事は無い。誰しもがこのような緊急事態にどう対処するのか考えなければならない。

 アオイに味方をするのか、オキに味方をするのか。兵力を集める必要があるのか、傍観するのか、選択肢を間違えれば命にかかわる事態だ。

 臣下たちの表情を観察していたアオイは、散開を告げるのと同時に足早に朝儀の間から姿を消した。

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