19勝手目 伊東秀喜はストレスが溜まっている(2)

 いよいよどうでも良くなってくると、会話を引き裂くように猛スピードで軽トラックが横切って行く。


 当然会話も止まる。誰か来るとは聞いていない。この付近に用事のある地元民なんていうのもいないだろうと思ったが、運転の荒々しさを見るにこの土地を知る人間だろう。


 そして急ブレーキをかけ、鏡まであと3メートルというところで停車。草は無残に潰され、ブレーキ痕が濃く残る。


「祈?」


 運転席から出て来たのは、この山には不釣り合いな服装の女性。ミニスカートに厚底って……スーツを着ている手前あまり人の事は言えないか。

 土方守は顔見知りのようで、女性も直ぐにこちらへ駆け寄って来た。

 焦燥感に満ちており、運転席の扉を閉める力も荒々しい。


「間に合った! まだ帰って来てないのね!」


 祈と呼ばれる女性は腰をさすりながら問いかける。表情は柔らかくなり、やっと服装に似合う顔になった。


「あ、あぁ……でも何で祈が来るんだ? 神霊庁辞めたんじゃなかったのか」

「辞めたわよ! 辞めたけど……何よ! 辞めたら会いに来ちゃいけないっての!?」

「情緒」


 ヒステリックに怒る女性だ。こういう人苦手なんだよなぁと、内心一線どころか、何線も引きながら自己紹介をする。

 呼び方は祈で良いわと言われると、土方守も名前で呼んでくれて構わないと言うのでそうすることにした。


 洋斗やネリー以外を名前で呼ぶ事は殆どない。名前で呼べば変に距離が縮まる。オレ自身は伊東という苗字が嫌いなので名前で呼んでほしいが、他人は呼びたくないなんておかしな話。

 少し抵抗はあるが、致し方ない。


 祈は挨拶程度の会話も早々に、ブルーシートを何枚か敷き始めた。その上に軽トラックの荷台から大量の荷物を下ろし、ブールーシートの上に乗せていく。

 メイク道具や毛布、木の棒など、キャンプをするのとは違うらしい。


「何をしているんですか?」

「洋が帰って来た時に傷の手当てをする準備よ。程度がわからないけど、私に出来る事はすぐに取り掛かれるようにしてるの」

「メイク道具も?」

「ちょっとの傷ならメイクを駆使すれば隠せるの。洋だって女の子よ? 怪我をしてても可愛いままでいたいでしょ?」


 病院に連れていけばいいのにと思うと、心を読んだかのようにその選択をしない理由を守から聞かされる。

 死なないとは聞いていた。だけど傷は残るのかと呪いの仕組みを不思議に思った。

 祈が準備している道具を見る限り、過去に戻っても大した怪我はしないのだ。


 なんだ、と内心がっかりする。どれだけ深い傷をおって帰ってくるのかと期待していたのに。

 あぁ、またこんな事を考えて……と反省もする。普通になりたいのに、隙があれば頭は非道いことを考える。そんな自分が悲しくもあり、それが心の安泰でもあるから複雑だ。


 今日の目的である、洋斗と洋の血縁関係を調べるためのDNA鑑定に必要な髪の毛は入手した。

 経費のことも兼ねて深入りする前に東京へ戻るべきだと判断し、椅子を折り畳む。


 呪いなんてあるはずがない。やはり神霊庁は大袈裟だ。

 洋斗が洋(あの人)と関係があるなんて有り得ない。呪いが過酷なものであれば、あんなに軽々しく猟銃を寄越せと言って、笑っていられるはずがない。呪いは災いだ。不幸が振りかかって笑顔でなんかいられない。


 そう考えるとオレの方がよっぽど呪われていると思う。


 とんだ無駄足。金の無駄。

 今回に限っては、信頼出来る友人の潔白を証明する為に秋田まで来たと思えばいい。

 

 そしてまた強い風が吹いた。暑いというのに、寒気を催すような冷たい風だ。


「帰って来たわね」


 祈はいつの間にか、長い髪の毛を一本に縛りニトリル手袋を嵌めている。

 祈と守が見つめる鏡から、近藤晴太を先頭に2人が出て来た。


「ただいま……」


 ボロボロになったジャージ。洋に限っては髪を下ろし、パーカーのフードまで被っている。行きの表情とは違い、絶望に満ちた暗い顔が興味を湧かせる。

 引き裂かれたパーカー、ワイシャツに赤黒く滲んだ血痕、深い爪痕が残る太もも。

 

 画面越しに見ていた痛み達が目の前にある。思わず生唾を飲んでしまう。

 その傷に触れたらどうなるのか。悲鳴をあげて泣き叫ぶだろうか。彼女から目が離せなくなる。


「沖田……お前……」

「……守、洋はね……その……」


 守が洋のフードに手をかけて、ゆっくり剥がす。頭には特に外傷がない。

 下ろした髪の毛を捲る――すると。


「土方、耳、取れちゃった……」


 あるはずの耳が洋の手の中にある。守は取れてしまった耳と顔を何度も見ては、みるみる表情が曇っていく。


「だから行かせたくなかったんだ!」


 沖田、沖田と言いながら彼女にしがみつくように抱きしめる守のおかげでますます帰りたくなくなった。

 このどうにもならないと絶望に満ちた空気。世の中には金ではどうしようもならないことがある。

 

 自分が頼りにされないこの瞬間が好きだ。体の中から熱い何が溢れ出しそうだ。笑ってはいけないのに、ニヤけてしまいそう。

 口では大丈夫ですか、なんて声を掛ける。本音を言えば映画のようにもっともっと泣き叫んでほしい。


「縫合するわ」

「縫うってこと!? 出来るのかい……?」

「やったことないわよ! でも病院に連れて行って何て説明するの!? 熊が出たなんて言ったら県内中大騒ぎになる! 禁忌で起きた事は、犯した私達で責任を取るしかないんでしょ!」


 祈が覚悟を決めたように言う。麻酔なし、経験なし、看護資格持ちとは言うが職務経験は非常に浅い。


 あぁ、あぁ……帰らなくてよかった。こんなに興奮したのはいつぶりだろう。

 耳の縫合を素人が行うなんて作られたものでしか見る事が出来ない。


 寝かせられた洋は縫合のために耳のあった場所をあわらにする。ぐじゅぐじゅと傷んだ傷口。

 周りには乾いた血。あまりの痛々しさに近藤は顔を逸らしてしまっている。


「ごめんね、洋。痛くしちゃうね」

「……なんで祈がいるの?」

「――ママのために秋田に来てくれたんでしょ。いいから、今は話さないの!」


 洋の口元にバスタオルを当てがい、痛かったら叫びなさいと遇らう。


「見ていて大丈夫なの?」

「え、えぇ」


 近くで見過ぎた。興味があると不味いか。いろいろ考えたが、好奇心は全てに勝る。

 裁縫セットの針に糸が通され、祈は震えた手で耳を持った。


 

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