8勝手目 禁忌は救うために冒すもの(4)
気を取り直して、2人に鏡を購入した理由を説明しながら鏡を開けた。幸い空地のような場所が近くにあり、人通りも少ないから試しやすい。
どんな反応をするのかはわからないが、今のモットーは縋れるものには縋る、だ。
「まず、鏡と鏡を北と南で向かい合わせにする」
携帯にある方位磁石のアプリを用いながら、晴太と一枚鏡を持ち、合わせ鏡にした。
続けてアロマキャンドルを南側の鏡の前に置き、火をつける。炎がロウを溶かし始めると、ローズの香りが辺りを覆う。
ここで樹齢数百年の葉が欲しいところだが、そんな物はあるはずもない。
「晴太、その弓は何年物だ?」
「わからないけど、近藤家に伝わってるって聞いたから結構古いんじゃないかな。別にこれで戦うわけじゃないし、手入れはしてるから綺麗だよ」
「貸してくれ」
沖田から弓を受け取り、鏡と鏡を繋ぐ橋のようにして横たわらせた。ひとつ違うだけで効果は薄れるかもしれないが、ある物で代用も可能だと信じたい。
それから持っていた紙で右手人差し指の指先を切り、その血で「4月2日」と地震のあった日の1ヶ月前の日付を書いて沖田に渡した。
「沖田、これを過去に戻りたいと願いながら蝋燭で燃やすんだ」
「はあ? なんでアタシが!」
「お前がやらなきゃ呪いの一つも解けないだろ!」
沖田はハッとした顔で俺を見た。次に血で書かれた紙を見つめて、言いたい事を無理矢理飲み込むような思い詰めた顔をしていた。
「……これでまた呪いが増えたらどうすんの……」
沖田は俯き、両手で紙をくしゃりと握った。
これ以上呪いを増やしたくないのは解っている。沖田が辛いことも、それを口に出来ない苦しさも。
頭に、本に記載された一文が思い出された。
【これは禁忌です。悪用は禁止、身の保障も致しません】
今までの俺なら脅し文句だと思っていた。でも晴太が沖田のために真面目に能力を使う事、沖田が呪いで苦しむ事を考えれば、俺が出来ることはこういう事しかない。
沖田の手から紙を取り、右手奪うように強く握った。沖田の左手を晴太が握ったのを目視で確認すると、蝋燭へ紙を落とし、白い紙を黒く焦がしていく。
過去に戻って沖田が呪われない日々に戻るのがいい。1ヶ月前なら何とかなるはずだ。
沖田に本を読むなと叫んだっていい。
晴太と再会したところまで戻って、3人で神から逃げたっていい。
とにかく沖田が呪いから解放されるなら、なんだっていい。
過去に戻りたい想いが強まり、握る手の力が強くなる。
「この禁忌を冒すのは――俺だ」
紙が煤となって朽ち果てた。ボウッと、炎が風に煽られる音がするとすぐ、梓弓がカタカタと音を立て、北側の鏡から突風が吹いた。
沖田が感情をむき出しにした様子もなく、突風が収まると、鏡は水面のような波紋を写して立っていた。
沖田がそれに気付き、ゆっくり、ゆっくりと少し躊躇いながら、波紋へ右手を伸ばした。
沖田の右手は水の中へ入るようにして、鏡の中へ入っていく。
「入れる……」
沖田はたまらず手を引っ込めようとしたが、鏡はその手を噛みついたように離さず、声を出す間もなく彼女の体は水に捕食されるように飲み込まれてしまった。
「沖田!」
焦って鏡の中へ入ろうとするが、俺がどれだけ鏡を叩こうが、殴ろうが侵入を許してくれない。
禁忌は禁忌なのか? どうしたらいい。夢なら覚めてくれ。沖田を救いたかっただけなのに、鏡の中へ入れない。
沖田は出て来れないのか? 沖田はどうなる?
自分が犯した禁忌と沖田を失ったかもしれない恐怖に、呼吸は肩でするほど浅くなり、心臓の鼓動はひどく大きくなる。
全てを失い、自分の価値すらなくなったような絶望感が身を引き裂こうとする。
呪うなら俺を呪ってくれよ。なんで沖田だけなんだ。ああ、もう会えないんだ。変に状況を変えようとせず、今より悪化しないように過ごしていればよかったんだ。
悔やんでも、どうにもならない。骨が無くなったように、体は地面にへたり込んだ。
「守、待ってて! 僕が連れ戻して来る!」
晴太の声はいつも通りで、全く絶望していない。どうせもう無理なんだと思いながら、顔を上げると、晴太も鏡の中へ入っていく。
「お前まで行くな!」
「大丈夫! イタコだから!」
晴太の手も掴んだ。けれど、それも晴太の意思でこの手から消えた。
イタコはそんなに万能じゃないだろう。魔法使いじゃないんだぞ。
そりゃそうか。晴太からしてみれば、鏡の中だとしても沖田といれた方がいいんだ。
沖田を追いかけて、そばにいたいに決まってる。
「お前らが居なくなったら、誰と一緒に居たらいいんだ……」
俺は縋れるものには縋ったが、その代償に大事な物を手放してしまった。
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