第5話

「あぁー! うー!」


 飾り気のない見慣れた部屋。そこのベッドに顔を埋めて悶絶する。こんな変な声を渚に聞かせるわけにはいかないが、生憎ここには京子しかいない。


 今日は色々と起こりすぎた。致死量の渚成分の摂取により、今の奇行に至るわけだが、一目惚れした初日でこれほどとは先が思いやられる。


「渚ちゃん……」


 この場にいない想い人に好意を寄せて、縋るように呟いた。向かう視線は窓の外。数十メートル先のマンションだ。


 その理由は明白で、思い返すのは夕方の帰宅路。流れで共に帰った京子らはほとんど同じ道を辿っていた。楽しい友人との話に花を咲かせていたら、いつの間にか自宅のマンションに到着。別れを惜しむように「またね」と彼女に言ったのだが、ふと渚は驚いた様子でこう言ったのだ。


『私の家ととても近いですね』


 指差した先には今京子が見つめている日照権ガン無視マンションがある。短略的な思考回路で、尚早に運命だと思った。


「あれ、ちょっとまって」


 映る視界には窓から漏れた明かりがはっきりと見える。それが意味するのは、例えば彼女の部屋を突き止めたなら、いつでも渚の生活を覗き見ることができる。


 夜間机で勉強する姿や、本を読んでいるかもしれない。いや、朝なら制服に着替えてるかも……。


「いやいやいや! 変態じゃん! てか犯罪っ」


 下心を抑えて窓の外から即座に視線を外す。こんな行為、ストーカーに違いなくもし渚に知られでもしたら絶対嫌われる。


 起こってもいないことに妄想を膨らませて鬱になってきた。


 はぁ、と暗いため息が漏れ出る。もしね、もしもの話、彼女の生活を覗いていた時に、知りたくない事実を知ってしまったらどうなるだろう。彼氏を連れ込み、二人がベッドで──。


「ああーやめてぇ! 渚はあたしのなのにぃ!」


 全部想像のはずなのに心がこんなにも締め付けられ、悶絶する。すると勝手に京子の瞳は渚を捉えようと探し回っていた。やめようと思っていたはずなのに、バレたら嫌われるとわかっているのに、それでも本能が彼女を求めてしまう。


 これも違う、あれも違うとしらみ潰しに切望する姿を探す。だがやはり、そう簡単には見つからない。当然だ。上の階に住んでいるなら位置的に見えない可能性もあるし、そもそも今彼女が窓の前にいるとも限らない。


 やめよう、こんな最低なこと。決心がついて目線を外そうとした時だ。


「あ」


 見てしまった。ようやく諦めようと思ったのに、幸運と呼んでよいのか悪いのか、窓のそばで座りながら頬杖ついてスマホを触っている求めた像を。


 釘付けになる両目。意味なんてないのに息を殺して、卑しくも見つめていることを悟られないように潜む。


 唖然として固まるも、その視線は逃すことなく一点に注がれ続ける。


 物憂げで、しかしなんとも儚さを両立した美を強調するその横顔は、京子に瞬きすら許さずに目をはりつけにさせる。


 下腹部を抑え、両腿をギュッと締め付けた。


 実際に会ってる時はこんなこと発生しなかったのに、なんで今になって……。


 震える手を抑えながら空いている左手がスマホに伸びる。ゆっくりと確実にアプリを開き、レンズをモデルに向けた。シャッターを切る音が何度も部屋に響く。


 欲情と喜悦が呼吸を乱し、鼓動が体外に漏れ出そうなほどに大きく脈打つ。


 渚を欲する思いが募り、もはや抵抗できない衝動に駆られ、腿に挟まれた細い指が劣情のままに欲望を掻き乱していく。


「な、渚のっ……せいだからぁ……! 渚があたしを……っおかしくしたんだ……。なぎさっなぎさ……なぎさあっ」


 目の焦点が合わない。ぼやけた世界の中でただひたすらに渚の想像が埋め尽くし、幸福感に包まれる。それが現実ならば、どんなに嬉しいことか。


 脱力した身体が水のようにベッドに横たわる。これ以上考えられない。強烈な眠気が京子を襲い、ブラックアウトする視界。


 気持ちよさそうにすやすやと眠りに落ちた彼女を、粘りついた甘く重い眼差しが、取り憑くように離れることはなかった。

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