第一章3 社会人生活初日

 そんなこんなで初日の研修らしきものを終わらせた俺は、始めに天守さんに迎えられた部屋に戻ってきた。入り口に面した事務室のような部屋だ。俺は自分の席だと言われた場所にやや気後れをしながらも着座する。


 隣席にはやはり天守さんが座る。その天守さんの所作にあわせて柔らかな香りが広がったが、香水のような強い香りではないので香でも焚き染めているのかもしれない。


 まあ普通に考えれば日本人はあまりそんなことをしないので、単純に天守さんからいい匂いがしているか、凄い柔軟剤を使っているということなのだろう。


「焚き染めているよ?」


 焚き染めているそうです。意味不明気味ではないかと思うのは俺の人生経験が二十二年しかないからでしょうか。そりゃ服を焚き染めている人も世の中に入るでしょうけども……


 そんな香りの話や飲み物の話などの社交辞令的な話をこなしたところで、


「二見クン。研修の感想はどうかな?」


 感想ですか。


 感想と言われても正直もう少し材料が欲しいところだ。仮に先ほど話した明槻さんのような方を毎日相手にするのだとすると、少々俺の人生経験の不足感が否めないかもしれない。

 主に女性関係と言う点において。


「パワフルで素敵な女性でした」


「おや。二見クンは明槻さんのような人がタイプなのかな?」


 明槻さんがどんな女性だったかはよくわかりませんでしたが、タイプじゃないです。


「あまり話していないので、よくわかりません」


 偏見かもしれないが彼氏が何人もいる人はちょっと……


「明槻さんは、確かに性に奔放だが――その心の在り方には見るべきものがあるとワタシは考えている」


 ふむ。


「心の在り方ですか」


 天守さんはいつの間にか卓上に用意したティーカップを手に取りながら俺に流し目を送ってきた。


「彼女はね、人を愛しているんだ」


「はあ」


 天守さんは明槻さんのことをなぜそんなに知っているのだろう。日々訪れる客人の内の一人ではないのか。


「ああ、趣味でね。どうにも気になったことは明らかにしなければ気がすまない性質なんだよ」


 そんな俺の心うちが表情に出ていたのか、天守さんはやや言い訳がましくそう付け加えた。


「この場合の気になったこととは“明槻 彩芽”という人間はなぜああも好色な顔を全面に押し出してコミュニケーションをとろうとするのか、という疑問だ」


 確かに。訝しいと言えば訝しい。普通に考えれば「自分は男好きです」等、本当のことであったとしても自ら進んで口にするよう内容ではないだろう。誰しも嫌悪や反感を受けるかもしれないカミングアウトには抵抗があるはず。


 では明槻さんは何を考えて自分の男好きを吹聴しているのか。単純に考えれば男好きと周りに伝えるべきだという論理が明槻さんの頭の中にあったということだろう。


 まあ今となってはいなくなってしまった人のことだ。俺の頭の中で考えたところで、結局のところ推測の域は出ない。


 しかしそう。そんな明槻さんのことが気になっていた口にした天守さんであれば、その一見不可解な男好きアピールの真相を知っていてもおかしくはない。


 そんな考えを社会人的に修飾しつつ天守さんに聞いてみたところ、こう言われた。


「……真実は明らかにしたいものだ。人間はわからないものに恐怖し、しかしそれを明らかにせんと臨み、最終的にはその未知を既知にすることよって繁栄してきた生き物だからね」


 天守さんは俺の目を見ながら、そっとその唇に人差し指をあてた。


「だけどね、真実を軽々と理解しようとしてはいけない。それは人生における面白みを欠く行為だ」


 つまり、人に軽々しく聞いて答えを求めてはいけないということだろうか。


「ああ、勘違いしないでおくれ。別に仕事やり方とか、趣味みたいなどうでも良いことは当然聞いてくれても構わない」


 天守さんの整った口角が少しだけ歪んで見えた。


「だが、他人が公にしていない秘密や自分の人生にとって大切になるかもしれないことを簡単に教えてもらおうと思ってはいけない。人間は価値を求める生き物だが、価値は考えることでしか見出すことはできないからね。わからないことは探求する。それが人として生きる悦びだ」


 天守さんは、その後に冗談めかしてこう付け加えた。


「秘密が人を人たらしめる……なんてね。まあ、ワタシがそう思い込んでいるというだけの話さ。話半分にでも聞いておくれよ」



***



 それからいくつかの業務を教えてもらっていると、あっという間に時間は過ぎていった。


 ふと外を見るとビルの隙間から夕焼けの空が覗いている。


「二見クン。今日はもう定時を過ぎた。初日で疲れただろうし、帰ってくれて構わないよ」


 帰って良いとのことだ。

 ありがたい話だがここで喜んで帰るのはなんとなく失礼な気もするので、何となく申し訳なさそうにしながら帰り支度をする。


 あれから書界管理課司書室と呼ばれているこの場所に入ってくる者はなかった。

 事前の説明では俺を含めて四人体制とのことだったので、後二人在籍しているはずなのだが今日は全く見なかった。外勤か何かなのだろうか。


 荷物をまとめて自分の席を立とうとしたところ天守さんから声がかかった。


「二見クン。明日の業務なんだけど、別な先輩について転生者の対応をしてもらう予定だ」


 天守さんとは別な先輩ということか。


「人によって転生する魂との向き合い方は全く違うからね。彼女のやり方もいい勉強になるだろう。まあ、普段は違う業務をしているから少々手間取るかもしれないけど、そこはご愛嬌ということで」


 なんとその先輩は普段していない仕事を、素人の俺のためにわざわざ体を張って教えてくれるわけか。ありがたい話というほかないだろう。


「わかりました。これからよろしくお願いします」


 そう言って俺は初日の業務を終わらせて、サラリーマンひしめく東京の

帰路についたのであった。



***



 高層ビルを出てすぐ近くの地下道入り口から、地下鉄の駅へ入る。

 どこか疲れたような顔をしているサラリーマンの流れに身を任せるまま、やってきた電車へと乗り込んだ。


 慣れない仕事で疲れた体を癒すべく空席を探すも、当然退勤ラッシュの車内に空席があるはずもなく、それどころか自分が立つ場所を確保することで精いっぱいという状況。

 何度か混雑している電車に乗っているが、始発ではない電車で席を確保するには、座っている人の前に立って目の前の人が降車することを祈るしかない。


 ここで重要になるのは誰が早く降りそうかを予測することなので観察と推理によって椅子に座れる可能性をあげることが出来るように思うが、俺の熟練度が足りないせいかほとんどの場合で予測は外れる。

 ちなみに始発の場合は乗車した瞬間から始まる椅子取りゲームに勝つ必要がある。小学生の時にやった椅子取りゲームは将来満員電車で席を確保するために必要な技能を訓練するために行っていたのか。なるほどなあ。




 景色が変わらない地下鉄の窓を眺めながら、今日あったことを振り返ってみる。

 

 入社初日。少しの説明と研修。

 天守さんは…………よくわからない人だったな。まあ初日なので当然なのかもしれないが。ただこれからあの人の下で学ぶことは多いのだろうと漠然と思った。


 それにしても探求云々の話をしていた天守さんは楽しそうだったな。今の俺にはどうにも実感に欠けるような話ではあったのだが、これから理解を深めていきたいことだと思えた。

まあなんと言うか、人が楽しんでいる姿を見ると自分もそれを試してみたいと思う、そんなところだ。


 明槻さんに関してはもう会うことはないのかもしれないが、かなり面白い人だったんじゃないかと思う。きっと彼女には何か彼女なり論理に従ってあのような言動を繰り返していたはずなのだから。

 その論理を知る機会がないことは残念だが。




 地下鉄はいくつもの駅に停車を繰り返したのちに、俺が帰るべき最寄り駅に到着する。

 最寄り駅でもやはり人ごみに流されながら、俺は明日からの業務について思いを馳せるのであった。

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