第一章2 書界管理課司書室へようこそ初研修と明槻彩芽
「じゃあ早速やってみよう」
少々性急ではないでしょうか。
いや、習うより慣れろということだろうか。いや、やってみせ言って聞かせてさせてみて……
なんてやや現実逃避気味に益体もないことを考えていたら、あっさりと天守さんが何かを始めてしまった。
「次の方、どうぞ」
瞬間。広い部屋は光で満たされた。この広い部屋の中央にある魔方陣……のようなものが光を放ち、そのあまりの眩さに俺は思わず目を背けてしまった。
少しして光がおさまり、俺はおそるおそる光が発せられた場所に視線をもどした。
「――ご機嫌麗しゅう」
そこにいたのは穏やかそうな印象を受ける若い女性だった。ややたれ気味だがぱっちりとした瞳と整った鼻筋、肩甲骨のあたりまで伸ばしている艶めいた黒髪が少しばかり俺の心臓を跳ねさせた。
心ぴょんぴょん。
「というわけで彼女はつい最近現実世界で死んでしまったのだが、まだこの世界に留まっている迷える魂サンだ」
そう言って天守さんは突然現れた女性を手で指し示した。
「ああなんということでしょう。私は死んでしまいました」
わかりやすいな。
「二見クンには、今から彼女の執着を開放してもらう」
執着を開放とは何となく怖い響きだ。
「……ああ、安心してくれたまえ。そんなに難しいことではないからね。条件さえ満たせば、あとは勝手にこの部屋が書界へと送り出してくれる」
では、その条件を満たすことが俺の業務と捉えて良いのだろうか。
「条件ですか」
相槌を打って天守さんの説明を待つ。
「そう、その条件とは――」
天守さんはそう言って少しばかりもったいぶると、右手の人差し指だけをぴんと立てて薄く笑った。
「――ここに迷いこんだ魂を“安らかな状態”にすることだ。雑念があると転生中に思わぬ不具合が出ることがあってね。ずいぶん前からシステムに安全装置がついたんだ。魂が安らかな状態にさえなればシステムは望まれたとおりに動いてくれるよ」
安らかな状態と言われてもいまいち想像がつかないな。こめかみに銃口でも突き付けて楽にしてやればいいのか?
「具体的には……」
あまり教えて君になるのもよくないだろうかと思いつつ聞く。所詮は一時の恥と言われているし……
「対象の魂とゆっくり話しでもして、気持ちよくさせてあげてよ」
夜のお店かな? 漢フタミ、夜の蝶として羽ばたく時がついに来るか。
「そういうわけです。迷える魂である私とお話しして、うまいこと気持ちよくしてください」
語弊を招きそうな言い方だ。果たして俺にどうしろというのだろうか。ヨイショして木の上にでも登らせればよいのだろうか。
「それでは。後は、若い人たちでごゆっくり」
天守さんはお見合いに付き添っている母親のような台詞を残して黙り込んだ。え……既に勝負は始まっているということでしょうか?
「えっと……その、ご趣味……とか」
「男遊びですね」
お見合いだとしたらここで終わりですかね。
いや、早とちりはよくないだろうか。古来より、人を見た目や第一印象で判断してはいけないという類いの話は例をあげれば枚挙に暇がない。ここはまだ見に徹するべきだろう。
「それは、その、男性の方とスポーツをして楽しむとか……何人かでごはん食べたり、海とか山に遊びに行ったりするとかそう言う……?」
だとしてもパリピが過ぎるぞ。弁えろよ。
「いえ、夜のスポーツを少々。男性と二人きりで、超! エキサイティン!」
「かえれ!」
土に。
「おやおや……駄目じゃないか二見クン。これはお仕事だよ? 社会人とはどんな客人ともうまく付き合って行かなければならないものさ。ほらほら、話を続けて」
天守さんはさすがに不味いと思ったのか、口を挟んできた。
確かに早計な発言だった。これは研修なのだ。模範的新入社員を演じるつもりがあるのであれば今は耐え忍ばなければならない。初日から先輩社員に逆らっているようでは順風満帆な社会人生活など送れるはずもないのだから。
「二見さん。迷える魂である私とお話しして、うまいこと気持ちよくしてください」
botかな?
「ええ……そうですね……。ああ、そういえば自己紹介をしていませんでいた。俺は二見 理と言います。貴女のお名前を伺ってもよろしいですか?」
趣味より先に名前を聞くべきだった。不躾に趣味を聞かれて彼女もいい気分ではなかったに違いない。だから返答も適当にごまかされてしまったのではないか。
「明槻 彩芽(あかつき あやめ)と言います。趣味は男遊びです。超!エキサイティンティ――」
「バトルドォォォム!」
世の中変わらないものもあります。
「男性が私のゴールにシュゥゥゥゥゥってことでしょうか」
「かえれ!!」
海に。
「二見クン……」
はっ。天守さんが呆れを多分に含んだ目で俺を見ている気がする。
がんばれ、二見理。今日は社会人デビュー初日だぞ!! 一年の計は元旦にありということは、社会人生活の計もまた初日にあるに違いないぞ。諦めるな、模範的新入社員となることを!
「すみません。取り乱しました。ええと、明槻さん……」
「彩芽でいいですよ?」
「明槻さんは、その……どうして此処に来たんですか?」
天守さんの話を聞く限り、ここに来るのは書界とやらからこの現実世界に来るまでに何かしらの理由で浄化されなかった魂と、この世界で死んだ後システムに従わずこの世界にとどまり続けている魂とのことだったはずだ。
どちらにせよ、目の前にいる明槻と名乗った男遊びが趣味の女性はすでに彼女の人生を終えているはずだ。
「それは私に”なぜ死んだのか”と聞いているのでしょうか」
先程までとはうってかわって冷ややかな言葉だった。少し考えればわかりそうなことではあったのだが、ほとんどの人にとって自分の死因を語るということは快いことではない。嫌な記憶を掘り起こす作業というのは多かれ少なかれ苦痛を伴う作業であろう。俺自身としても中学生の頃好きだった女子に毎年違う彼氏ができていたことなど思い出したくもない。まあ、今思い出したんですけど…。
いや、そもそも規模が違うので例えとしては不適切かもしれない。
「申し訳ありません。配慮が足りませんでした」
悪いことをしたら謝るべきだと思う。迅速に、誠実に見えるよう謝ることでむしろ評価が上がることもあるような気がする。人間の心理とは不思議なもので、相手が隠そうとしていることは暴きたくなるが、相手が申告してきたことに対してはそこまで興味をもたないものだ。絶対逆にしたほうが皆幸せになると思うのだが、そこのところ神様はどう考えているのだろうか。
ええ、俺の内なる神に聞いてみたところ「相手が隠していることの方が自分にとって不利益や危険を運んでくる場合が多いのでそういう設定にした」と言っていました。
なるほどなあ。
「聞きたいですか。仕方ありませんね、教えてあげましょう」
やけに言いたそうに見えるのは俺だけ?
「私はこの東京で幸せに暮らしていました。私はただのシティガール。笛を吹き、男と遊んで暮らしてきた。しかし、けれども、だからこそ。恋と愛と性には、人一倍に敏感であった。敏感であった……」
「敏感を強調するな」
あと、笛を吹くってなに。吹奏楽部?
「きょう未明私は愛しあった男性の家を出発し、野を越え山を越え、十里離れた別の男性の家に向かいました」
大体四十キロね。
「しかし、前の家にいた男性がこっそりと私のあとをつけてきていたのです」
女が一人に男が二人、なにも起きないはずもなく……
「家の前で出会ってしまった二人の男性。怪訝な表情、高まる緊張、こぼれた私の半笑い」
なにわろてんねん。
何となく読めてきたぞ。二股をかけていたこの明槻という女性は、その報いを受けたということだろうか。
「しかしそこは私が愛と幸せについての思いを語ることで男性二人の心をうち、三人でねんごろの仲になることを約束」
巧だ。人間関係を修復する巧。もはやその腕は魔術の域と言って差し支えないだろう。
「早速三人で愛を紡ぎ会おうとしたところ、後ろから突っ込んできたトラックに跳ねられて……気がつけばここにいました」
なんということでしょう。
「それは、なんと言うか……なんということというか」
頑張って探してみたけれど適切な言葉は浮かんでくれなかった。こんな時どんな顔をしたらいいのだろうか。
トラックで死ぬなんて転生担当からしたら様式美を感じますよ、とか言えばよいのだろうか。それはさすがに配慮にかけるような気もする。
「トラックで死ぬなんて様式美を感じますね」
出ちゃったよ。言葉に困りすぎて相槌みたいな感じで出ちゃった。
俺の台詞にさすがの明槻さんも頬を膨らませて
「二見君。あなた、転生担当向いてない……」
不味い。初仕事でその評価は!
「心残りを聞かせてください!」
明槻さんがここに来た理由を聞いて解決するんだ! それで挽回する!
「え、心残りですか……。そうですね。やっぱり、やれると思ったのにやれなかったことですかね」
最低だ!
「わかりました! 相手を用意しましょう!」
色恋にはあまり明るくないのだが、マッチングアプリでなんとかなるかな?
作戦を考えながらさりげなく明槻さんの様子を伺ってみると、眉を下げたアンニュイな印象を受ける表情でそっと口を開いた。
「今がいいです」
「え?」
「今がいいです」
仕事のために何を捨てられるのか、それが問われているのか。
思わず天守さんに視線で助けを求めるが、天守さんは始めから一切体制をかえていない。壁に寄りかかりながら腕を組み、目を瞑っていた。いやよく見ると薄く笑っているような気がする。
やめたいな、この仕事。
「わかりました! やりましょう」
業務初日だから天守さんに一生懸命頑張る奴だと思われたいという下心と、明槻さんはその……性に奔放な方かもしれないけど美人だったので、少しいい思いが出きるかもという下心が、俺の口を動かしていた。
あれ? 下心しかないのではないか。上の心はどこへいったのでしょうか。
「やったー」
俺の言葉を聞いた明槻さんがそう嬉しそうに口にした瞬間、唐突に全身が光に包まれた。明槻さんが現れたときにも魔方陣のようなものが光を放っていたが、光源はその時と同じく魔方陣(仮)のようだ。
前回よりも目が慣れたからか明槻さんが現れたときに比べ、何となく柔らかい印象を受ける輝きだった。
そしてその光がおさまると部屋の中に明槻さんの姿はなく、先ほどまで明槻さんが座っていた瀟洒な椅子だけが先ほどまでのやり取りが夢ではなかったのだと担保してくれているような気がした。
「二見クン。キミの初仕事はひとまずこれでおしまいだ。本当はこの後彼女をどこに転生させるかという処理があるのだけど、今回は研修だからね。ここまでで充分だろう」
後の処理は誰か別の人がやってくれるということだろうか。だとしたら美味しい部分だけをつまみ食いしたようでなんとなく気が引ける。
「それにしても安心したよ。二見クンはここで働くための素質を備えているようだ」
今の一連の流れのどこに安心できる要素があったと言うのだろうか。終始相手に主導権を握られた挙げ句、破れかぶれになってコトに及ぼうとしたら終わりました。
「素質ですか」
自分ではとても素質があったとは思えない。
「そうとも」
天守さんはそう言って怪しく微笑んだ。
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