俺は幸せになりたい。だから人々を転生させる仕事に就いた

第一章1 書界管理課司書室へようこそ

 自分さえよければいい。そう思う。


 自分の知り合いでない人が遠くで悲惨な事故や事件に遭っていたとしても特に心を痛めることもないし、どこかで戦争が起き沢山の人が苦しんでいると聞いても自分の国や安全に影響がなければ、やはり何も感じない。


 市井の人々はそういった悲劇的な知らせを聞いて心を痛め、時には微力ながらに自分に何かできることはないかと行動に移すというのだから、どうも自分は薄情な性をしているのではないかと思わずにはいられない。


 誤解の無いように付け加えておくが、俺は決してそのような他人のために一生懸命になれる人を小馬鹿にしてこのようなことを思っているわけではない。本来好まれる人間とは他人のために心を痛めて何か行動に移すことができるような人だということは理解しているし、それは格好良い在り方だとも思う。時には俺自身、そのような人間を演じることさえあるだろう。


 ただ外面はいくら取り繕えたとしても、自分が誰かのために動くことに対する論理を心の底から拾い上げることができないのだ。


 多少は理解できることもある。他人を助ける自分が好きな人、自分に罰を与えたい人、そういった自分のために他人を助けるという論理であれば俺にも理解できる。



 しかしどうもそれが全てではないらしい。



 世の中には本物が存在している。偽善ではなく、本物の善意で動いている人間が。世の中を良くしよう、誰かの助けになりたいと心の底から願っていると思しき聖人のような奴輩が。


 まあ俺からすると聖人に見えるだけで、当人にとってみれば何か見えない論理が働いているのかもしれない。ただそれは俺には解らないことなので、やはり彼等聖人達を前にすると、自分に何か欠けているのでは、彼等に比べて人としての在り方が劣っている、自身には人として当然あるべきなにかが欠落しているのではないかという気がしてならない。


 俺は幸せになりたい。そのためには誰かを救うための善意の心という論理を見つける必要があるように思うのだ。


 だから期待している。この奇妙な組織に入ることでなにかが変わり、新たな論理を俺の内から見つけることはできないものか……と。



***



「ようこそ司書室へ。新入りクン」


 四月一日。小学校入学から十年以上、もはや永遠に続くかと思われた学生生活はついに終わりを迎えた。終わる終わると言われていた学生生活だったが、俺の現実逃避能力もなかなかのもので、大学の卒業式が終わってからやっと驚愕と共にその事実を直視することが出来た。


 人はいつか死ぬとわかっていても、どこかでその事実を直視せず、心のどこかで信じられないまま生きている。学生生活の終わりとは、それすなわち学生であった自らの終焉であり、つまるところ子供であった自己との死別である。当然人間は死を受け入れられるようにはできていないので、俺も学生時代の終わりを明け入れられるはずもなく。残りわずかな猶予期間にしがみつきつつ、のんべんだらりんと過ごしてきたというわけである。


 しかして本日は四月一日。時の歩みは惨いほどに正確であった。いかに俺個人としてはモラトリアムの継続を願い続けていたとしても、人間とはやはり社会的動物であるからして。周囲が就活だ卒論だと騒ぎ出せば、俺の体も本能にしたがって就活だ卒論だと勝手に踊り出すものである。


 そして、赤い靴よろしく躍り狂った果てにたどり着いた場所がここ、某組織に属する某会社の書界課司書室だ。


 付け加えると俺の就活はなぜか人並みにと言うわけには行かず、いくつかの特殊な事情が絡み合った果てに俺はこんな怪しい場所に就職とあいなった。やはり人生とはままならぬものである。


 嗚呼、あの素晴らしき学生生活をあと一年くらい……




 まあそういうわけで、記念すべき初出社となった本日。俺は現代社会に魂を売り渡す覚悟を決め、東京は新宿にある高層ビルの一室の戸を叩いたのであった。


 扉を開いておそるおそる中の様子を伺う。そのオフィスは高層ビルの外見からは想像できないほど温かみとモノに溢れた空間だった。品のよい深茶色の床には深緑の分厚い絨毯がしかれており、歩き心地がとても良い。壁際には背の高い本棚や何に使うのか良くわからないグッズなどがところ狭しと並んでいる。他には冷蔵庫やティーポットなども見受けられた。


「本日から司書室へ配属となりました二見(ふたみ) 理(おさむ)と言います。これからよろしくお願いします」


 俺は働きたくないと思っているが、最低限のマナーとしてそのことを態度にださないよう己を固く戒めてきたのである。当然、いじめられたら嫌だという理由で。


 入社前の説明によると、現在この司書室には三名が在籍している。俺が入って四名だ。しかし今のところこの十畳より少し広いくらいのオフィスには、俺のことを新入り君と呼んだ妙齢の女性しかいない。

 オフィスには奥へ続く扉が三つあるので、残りの人員はその奥にいるのだろうか。


「よろしくね、二見クン。室長から話は聞いているよ」


 改めて俺を歓迎してくれた妙齢の女性を見る。定時前ということもあってか彼女はゆったりとした椅子に腰掛けながら、そのしなやかな指先で本をめくっていた。


 美しい人だった。艶のあるやや緑がかった黒髪は珍しい髪色のように思えるが、不自然な感じはしない。何となく芝居がかった仕草や、浮世離れした言動のせいだろうか。整った顔立ちには違いないのだが、どこか作り物めいた印象を受ける。


 まあ作り物というのは人間がそうあれかしと望んで作られたものであるからして、基本的にはその人間の美意識に叶ったものが産み出される。なので作り物めいた美しさと言う風に俺が感じたと言うことは、彼女の外見が俺の美意識にクリティカルヒットしたということであり、美人な先輩がいてくれて嬉しいなと思ったと言うことである。やったー。


「ワタシの名前は天守(あまかみ) 一佳(ひとか)という。司書室の絆界路担当だ」


 ばんかいろ担当? さては、卍と書いて「ばん」だろうか。


「詳しい説明は追々ね。とりあえず荷物でも置きなよ。ああ、二見クンの席は此処。ワタシの隣だ」


 天守さんは右手に本を持ったまま左手で自分の隣の席を差す。どうやらそこが俺の席らしい。


 見たところ、この部屋に席と呼べる場所は五席ある。まずはオフィス真ん中に居座る大きな長机に四脚の椅子が設置されており、俺が座るよう指示されたのは入口から見て右側の下座にして天守さんの隣席。五席目はというと上座のお誕生日席にあたるところに豪奢な執務机と立派なチェアがある。きっとそこには偉い人が座るのだろう。

 

 天守さんによると他の二人の室員は現在外出中とのことだったので、事務室――最初に天守さんに迎えられたこの部屋――にて俺の業務についての説明を受けることとなった。


「早速だけど二見クン。キミが担当する仕事は“転生”だ」


 転生とはまた大きく出たな。いやまあ……ここに就職する際に起きた事件のことを思えば、そういう深淵を覗き込む系の仕事をすることになるのもむべなるかなといったところか。


 それにしても転生担当か。意味わからない仕事をすることに対する不安はもちろん大きい。もちろん大きいのだが、どこか高揚している自分がいることもまた否定できない。転生という言葉にはやはり心踊るものがある。魔法、不思議な力、祝福、トラック激突!


「ああ、そう気構えないでおくれ。転生担当といっても、基本的には異常がないか見ているだけだよ」


 天守さんは安心させるようにそう言って、ゆっくりとティーカップを傾けた。


「まあそうは言っても不安だろうからね、これから一緒に業務をやってみようか。初日にして業務体験会だ。よくよく張り切ってくれたまえ」


 それは誠にありがたい申し出だ。何せ一応給料をもらって業務を遂行する身である。出社初日とはいえ、自己紹介の後ずっと手持ち無沙汰なんてことになってしまったら、給料泥棒として居心地の悪さを感じざるを得ない。


 いや、初日だからそういうものだろうか。初日からバリバリ働こうなどとは少々社畜根性が過ぎるかもしれない。真面目なふりをしようとすると、そういう心構えから作ろうとしてしまうものであるからして、諸賢には致し方ないことであるとご理解いただきたいところである。




 はい、というわけで始業後。業務を教えてくれるという天守さんに連れられるままに、事務室から更に奥の方へと続く廊下を進み、威厳のある大きな扉の前へとやってきた。

 巨大で重厚感のある板チョコみたいな深茶色の扉を開くと、やけにアンティークな雰囲気を醸している広めの書斎のような部屋が目に飛び込んできた。


 壁際には高い天井に届くのではないかというほどの本棚がいくつも設置されている。中身を覗くと統一性のない雑多な本がつまっており、主の趣味は一見してわからなかった。中央には立派なソファと机、机の上には品の良いティーセットがささやかに添えられている


 応接室、だろうか。いや、よく見ると明確にそれとは違う特徴がある。例えば床を覆う大きな絨毯に刻まれている淡く発光するいくつかの図形が複雑に組み合わされた模様……これはファンタジーなどで見かける魔方陣と例えるのがしっくりくるだろうか。奥の方に見えるのは下へと続く螺旋階段のように見える。よく見ると応接室ではないことが明白ですねこれ。


「ここが二見クンの仕事部屋さ」


 天守さんは当然のように中央の立派なソファへと腰を下ろした。俺も座るようにと仕草で促されたので恐る恐る天守さんの隣に腰をおろした。座り心地は良かったが、居心地が悪かった。


「それでは早速説明しよう。前に説明したことのある内容もあるかもしれないけれど、本日は二見君の社会人生活初日だからね。改めてこの天守一佳から説明してしんぜようじゃないか」


 天守さんは指をピンと立てて饒舌に語り出した。


「ここは書界管理課司書室。現実世界と“書界”の二つの物語を繋ぐ部署だ」



***



「まずは書界について説明しよう。書界とはこの“現実世界”と“物語の世界”の間にある世界だ」


 はーい! そもそも物語の世界があるということさえ初耳でした!!


「物語とは世界だよ。誰かが産み出した物語は一つの世界としてこの世に誕生する。具体的にはこの現実世界から物語として知覚できる“下”の世界に」


 ふと、俺の好きな映画の原作者が言っていた言葉を思い出した。たしか……


「僕が一から物語を構築したわけじゃない。すでに世界は存在している。僕はそれを運良く教えてもらっただけだ。例えば……シャワー浴びているときとかにね」だったかな。

 そんな感じだったと思う。いや、耳掻きをしているときとか散歩しているときとかだったかもしれない。

 正直こいつは何を言ってんだと思っていたが、これは当たらずとも遠からずの発言だったということになるのか。


「それだけなら問題なかったんだけどね。ごく稀に物語の世界から現実世界に出てきてしまうやんちゃな奴らが現れたんだ。むかーしむかーしの話さ。今でも彼らの暴れっぷりは各地の神話や伝承として散見されるらしい」


 俺が二十二年間暮らしてきたこの現実世界は随分と良くできた世界だったと思う。物語のように都合よくはできていなかった。小学校からやっていた野球は上手くならなかったし、勉強はできなくもなかったが有名大学に行けるほどではなく、優しい(俺調べ)俺に彼女はいない。


 そんな現実世界に物語の住人とやらが現れたらそれはもう大変なことになっていただろう。この情報化社会でそんな話を聞かないということは、物語の住人はもう出てきていないだろう。


「だからね。どうやってかは知らないけれど、物語の住人が現実世界に漏れ出てこないように物語の世界と現実世界の間にもう“一つの世界”を創ったそうだ。それが書界。物語の住人が現実世界に出てこないようにするために存在する、あそびの世界さ」


 つまりこういうことか。一番下に物語の世界がある。その世界から何らかの理由で飛び出してきたやつが現実世界に来ないように、書界という世界が物語の世界の上、現実世界の下に存在していると。


「そしてここからが二見クンの仕事にかかわってくる話になる。書界には物語の世界の住人とその子孫が暮らしているのだが、彼らが死ぬとその魂はいくつもの永い旅の中で洗練・浄化された後、現実世界で新たな命として誕生する。彼らからすればここが天国ってわけだね」


 書界で死んだ魂はこの世界で新たな命として誕生する。つまり俺の魂も、もともとは書界出身の可能性があるということか! ロマンがあるな。


「付け加えると、この現実世界で肉体的活動が停止。魂と肉体を繋ぐ脳が停止した場合、魂は肉体から解放され更に上の世界へ旅立つと考えられている。まあこの世界でいう天国という概念がそれに近いのかな」


 そして魂は上の世界、上の世界へと昇っていく。きっと最果ての世界まで。一体最後はどこまで往くのだろうか。


「もちろん自分より上の世界のことをワタシ達は認識できないのでね。あくまで推測だよ」


 物語の世界から書界へ、書界から現実世界へ、そして現実世界からまたどこかへ。長い永い旅だこと。


「基本的に世界はそういう仕組みで動いているのだけれど、中にはなぜかシステムの流れに乗れなかったこの現実世界の魂や、書界で死した後浄化されずに現実世界にはみ出してきてしまう魂が在る。そんな彼らが現実世界に影響を及ぼさないよう管理して、最終的に転生させてあげるのが“転生担当”。キミの役目さ」


 ここまで聞いて思ったことは“社会人一年目が携わる業務としては少々責任が重いのではないか”という現実逃避気味な感想だった。


 俺はこれからうまくやっていけるのか。

 いや二見 理。お前はうまくやっていくしかないのだ。

 

 めざせ! 一人前の労働者……


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