こうして読んでいると、やはり語彙力と言うものは大事でござんすねぇ。話し手ももちろん解っていなくちゃいけねぇが、聴き手が知らねぇんじゃ、伝わるものも伝わりゃしねぇってもんだい。しかし竈に替わる現代のモノなんざねえって話で、結局は古典が埋もれて行く事に繋がるですかねぇ。世知辛えこったいはったい粉(๑´ڡ`๑)最近の子ははったい粉っつってもわかんねぇっつんだからねぇ。
作者からの返信
今また寄席が流行って、噺家さんも人気になって、チケットの入手も大変ということを聞いて、本当に嬉しく思っています。
でも今の時代、テレビも見ない人も多く、ましてや時代劇などはあまり人気が無くて、江戸時代の様子が分からない若者が(中年令層でも)沢山います。
ですから古典落語をやる時も、まくらやなんかでさり気なく、話に出て来る物や風習やらを説明したりしなければなりません。
ごくごく当たり前な、例えば「ちょいと湯へ行って」なんぞと言っても、家にお風呂がありシャワーだけで済ます若者には、賑わってるお湯屋の想像は難しいでしょう。
そこは時代劇とか、せめて昭和の初め頃の映像で知っていれば、噺も楽しめやすいでしょう。
喝丼師匠の言われるはったい粉もしかり、です。
世知辛えこったいはったい粉、この洒落も分っかんねぇだろなぁ(このフレーズお分かり?)と思います。
色んなことを知った上で落語を聞くと面白いのは、落語が言葉の遊び心に溢れていて、雑学の宝庫だからということだと、私は思うのです、が・・ねっ。
素人の余り面白くない噺を、そんなに長い時間聞くのはとても苦痛・・分かります!
作者からの返信
素人の余り面白くない噺を聞くのはとても苦痛。
分かっていますが・・
それと同じように、母親の大したことのない作品を読むのは苦痛・・とでも思ってるのか、子供達は誰一人読んではくれません。
えへへ。分かりますよぉ。😅