初めてのお客 2

 そして次の練習日には皆が揃って浴衣を持って来たのは良かったけれど、季節はとうに夏を過ぎておりました。勿論ストーブを炊くにはまだまだ早く、猛暑だ残暑だと文句を言っていた頃が懐かしい、うすら寒い日でありました。皆の姿を見て


「何だか季節はずれの幽霊みたいだなぁ」

 

 と師匠が言うと、鍋さんが細い身体に浴衣をハラハラさせながら、「ウラメシイ~」とふざけて見せました。身体をくねらせると余りにもリアルでゾクッとする程でしたが、ふっくらした大埜さんがやると全く幽霊には程遠いものでありました。



「さ、ひとつ『へっつい幽霊』でもやってみるか」

 と師匠が言って高座に上がりかかると


「へっついって何ですか。どんなお化けですか」

 と弦巻さんが興味深そうに聞いたので、鬼頭さんが苦い顔をして答えました。


「お化けじゃぁないよ、へっついの幽霊だよ」


「お化けじゃなく幽霊ですか。お化けと幽霊って違うんですか」


「そりゃぁ違うよ。皿屋敷でうらめしぃ~って出て来るお菊さんが、一本足のから傘お化けだったら興ざめだよ」


「ところでへっついって何ですか」


 鬼頭さんがもっと苦い顔をしたので、今度は師匠に向かって真剣に尋ねました。


「へっついって言っても分からないかも知れないな、若いからねぇ。」


「竈の事だよ。なに、かまども知らない?」


「昔、ほら、鍋とか釜とかのっけて飯炊いたりしてたでしょ。時代劇とかで見たことない?」


「はぁ、そうなんスか」


「竈って言葉、知っててもいいと思うよ。かまどが賑わうなんてぇと暮らし向きが豊かだってことだし、反対にかまどを破るってぇと、破産するとか身代が潰れるとか言うことだし」


 

「しんだいって何ですか、寝台車みたいですね」


「身代ってかい? 身代を築くとか身代を潰すとか言うでしょ、聞いたことないかい。財産のことだよ。弦巻さんとこはお父さんが今の身代築き上げたんでしょ。鬼頭さんのとこは」

 

 と言いかけると、鬼頭さんは嬉しそうに自慢げな顔をして、先祖の代からの歴史までさかのぼって説明が始まりました。はいはいそうですか、と皆は弦巻さんを鬼頭さんに向けておいて、さっさと自分達は着物の練習に戻りました。



 鍋さんがどうしても上手く帯が結べません。よぉく見ると帯が極端に短いのでありますが、そういえばいつかの練習日に、着物を着る練習の前に帯の結び方を練習したことがありました。その時に鍋さんのウエストが細すぎて、グルグル巻いても余ってしまうので、詰めて調節して来るようにと言われていたのです。が、どうやら切る箇所を間違えて短くなり過ぎたらしいのです。


 武田さんは相変わらずかわいらしくって、オバハンオバハンと榎木さんにからかわれています。皆が四苦八苦している中を評論家もどきの私はいつもの通り、皆のすることに口を挟んで歩き回っておりました。



 せっかく着物を着たのだからと、そのまま高座に上がって喋ってみることになりました。大埜さんは「ねずみ」を、と請われましたが「中身が完全ではありませんから」と遠慮をすると、あとのねずみ達も続こうとはしませんで、今日は七匹のねずみの出演はありませんでした。


「それでは、え~私めが新しく考えて来ました噺をひとつ」


 と、最近では創作に一層力を入れてきている鬼頭さんが高座に上がると同時に、三人のお客が入って来ました。広原さんのお店のお客で釣りの帰りだそうでして、皆にとっては初めての観客でありましたから大歓迎で、ビールをどうぞ、おつまみをどうぞとサービス満点で迎えました。



 鬼頭さんの噺もちょうど釣りの話で観客にはぴったりでして、興味深く聞いてくれていましたが、やれ竿がどうの餌がどうのとやたら能書きが多くて、「まくら」が随分と長すぎてなかなか本題に入りません。われ等には毎度のことですが、このお客には少々じれったく感じられるらしく、暫くするとやんやのヤジで賑やかです。


「どうしたぁ、釣れないのかぁ。アハハ、餌が悪いんじゃぁないのか」


「私は釣り、全く分かりませんので潮干狩りに変更しました。何が採れたかってぇとアサリがあっさり採れましてぇ」


「釣りに行ってぜんぜん釣れなかったので、帰りに魚を買いました。お金を払ってつりはいらねぇ」


 全く鬼頭さんを無視して三人でふざけて大喜びしております。ここへ来る前にもだいぶ飲んでいたらしく、口調もちょっとおかしくなっています。それでも鬼頭さんは悠然として両手を膝につっぱるように置き、首を少し傾け気味にやや斜め右前方を眺めながら話しております。


 私は一番前の席で暫く話を聞いていましたが、本当に退屈でたまりません。それでひょいと後ろを見てみると、最後部にいる筈の三人のお客がたった一人だけになっているではありませんか。見えなくなった二人は、と探すとテーブルの下に潜りこんですっかり眠っておりました。


 しかし、つきあいの良い辛抱強いこの一人は、もう陥落寸前でありまして、彼の眠くてクランクランと揺れる頭に、先ほどの鍋さんの、幽霊のようなフワフワとした動きが重なって、私は思い出し笑いを堪えるのに必死でありました。



 高座の鬼頭さんに背を向けたまま私がクックッと笑いをこらえていると、その私の懸命さからお客の様子に皆も気づいて、全員が一斉に笑い出しました。すると鬼頭さんは自分の噺に皆が笑ってくれたものだと勘違いして、より肩に力が入り十分で終わるつもりでいた噺を、三十分近くもやってしまいました。


 素人の余り面白くない噺を、そんなに長い時間聞くのはとても苦痛でありますが、今日はそうならなくて済んだ、ありがいお客でありました。


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