第19話 飛び入り 1
久しぶりに佐川さんが出席した日のことでありました。皆も殆ど集まっていましたから、今日はみっちり練習をしようと師匠は張り切ってみましたが、皆の反応はいつもの如くそれほどのものではありません。新しく噺を覚えようとしたもののなかなかうまくはいかず、皆は相変わらず小噺をやっていてもう飽きてきたのか、話す方も聞く方も余り熱心ではありません。
師匠は噺が上達する為にはまず嫌気がさすほど話し、高座には慣れきるほど上がってみることが肝心だ、と何度も言うのだけれども、お互いに譲り合ってばかりいて、誰も高座に上がろうとは致しません。初めの頃は恥ずかしさもあったことでしょうが、この頃ではどうやらそればかりでもなさそうでありました。
師匠が落研時代の仲間達はどうだったかといえば、みんな高座に上がりたがったものでありました。高座といってもそれは、教室の机を並べただけのものでしたが、そこに向かい合って座りお互いの噺を聞いたり聞かせたり致します。でも馬さんは学生の頃からずっと、本当は人の噺を聞くのはそれほど好きではありません。実際のところ本職の噺だってそうなのですから、今のこの研究会の仲間達のはなお更のこと。と、思いきや、そこがそうでもなさそうなのですがどうしたのでしょう。
馬さんには師匠師匠と煽てられる心地良さと、演技指導が出来るという優越感がありますからねぇ。ましてや自分よりも上手くなって破門者が出ることなど、全くないだろうという満足感が、馬さんを聞き上手にさせているようでありました。
誰一人として真剣に稽古をするでもなく、いつもの生ぬるい空気の流れている部屋に、トントンと階段を上がって来る足音が聞こえ、見慣れない顔が入って来ました。弦巻さんが笑って合図をすると、その青年は軽く頭を下げて彼の横に座りました。
「この前、師匠にお願いしておいた奴なんですけど」
「ああ。そうそう。ねぇちょっと皆。彼の仕事仲間の、えーっと名前なんて言ったっけ」
師匠が尋ねると、弦巻さんが
「ジミー、いや佐々岡って言います」
と早口で答えました。
「彼ねぇ落語をやりたいって言うんで・・皆よろしく頼みますよ」
師匠の言葉に皆は各々に挨拶を返しました。
その後すぐ佐川さんが嬉しそうに彼のもとに行って、年払いの会費を月割計算して請求すると、「ま、それは後でいいよ」と言う師匠の言葉のすぐそばから、その青年は
「今日、持ちあわせないっスから」
と平然と言いました。「じゃぁ今度ね」と佐川さんはちょっとがっかりして自分の席に戻り、残念そうに暫くジーッと彼を見つめておりました。
「噺、少しやれるっていうじゃない」
と師匠が言うと
「はぁ、やれますよ」
と、彼ははっきりした口調で答えました。
師匠に軽い気持ちで勧められると、譲り合いで空いていた高座に青年はサッと駆け上がり、私が出囃子で送り出してやる隙もない速さで、座布団に座ったのでありました。皆のあれよあれよというような、呆気に取られた顔を前に噺が始まりました。
金色に染められた彼の髪は肩まで伸びて、後ろで一本にまとめられておりまして、全く今様の若者の姿でありました。主に五十から六十代の集まりの中で、弦巻さんがまだ四十前で若いと思っていたのに、その彼のずっと後輩だといいます。そんな年齢といい格好といい、全くこの場に似つかわしくない青年が
「ところで植木屋さん、あなたササ(お酒のことデス)はおあがりんなりますかな」
「えーえー、そりゃぁもうアッシは大好きでして・・」
彼は上手に扇子を銚子に見立ててお酒を注ぐ真似をし、随分と年寄りじみたことを喋っているのであります。
彼の髪について似つかわしくないと言えば、こちらの仲間だってそれは相当なものでして、パンチ頭が幾つも揃っております。中で一人二人ならばそうは思わないけれども、こうもズラッと並んでいては、どうも落語の仲間とも思いにくい有り様です。
そうそう、一人だけは私の思い違いで、鬼頭さんはパンチ頭ではなく、もともと天然パーマでクリクリ巻いていてそう見えただけのことでしたが。
この若者は初見えにも関わらず、十分以上も喋り通しました。途中、多少のつかえはあったものの無難に話し終えました。噺の中ではお酒を勧める所や扇子を箸にしたてて肴をつまむ所等々に、所作もすっかりそれらしく入れておりましたので、皆はただ気の抜けた声で「上手だね」、と言うだけでありました。ただでさえ譲り合って空いていた高座には、その後は誰も上がる人はいませんでした。
「どこで習ったの」と師匠に聞かれると彼は素っ気なく「自分で。本で」と一言答えたきりで、後は会話が続きませんでした。いつもの榎木さんの駄洒落にさえ元気がなく、他の人はなお更のこと静かでありました。終わりの時間までまだ間があったのに何故か「行く所が・・」「お店に出ないと・・」とか言う声がし出して早めの解散となりました。弦巻さんは彼も一緒に皆で飲むだろうと思っていたのが予定が外れてしまい、二人で何処かへ消えて行きました。
その2に続く
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