第12話 意固地な爺さんと与太さん
落語研究会を作ったぞ、さあ練習だ、と勇んで集まったはいいけれど、最初は皆それほど落語に詳しい訳ではありませんでした。馬さんが得意気にちょいと何か話すと皆はそれだけでもう、いやぁなかなかよく知ってるんだねぇ、となるし、私までもがしゃしゃり出て僅かばかりの知識を披露すれば、奥さんの方が師匠よりもっと詳しいんじゃないの、と褒めちぎってくれるんです。
馬さんも馬さんだけれどこの私も、ほぼ同じ位に単純で見栄っ張りときてますから、褒められれば褒められるほど、学生時代の経験などをひけらかしてみせたりも致しました。全く似たもの夫婦でどうしようもありませんねえ、お恥ずかしい。
さて、記念すべき第一回目の集まりの日には、皆それぞれに職業に因んだ芸名をつけて来ましたが、なかなか良い名前だと思いましたねぇ、感心致しました。本当にいっぱしの芸人さんのようではありませんか。「写真家げん蔵」さんとは何て素晴らしい! 職業にぴったりですからねぇ。「浮世亭髪の助」さんは落語の「浮世床」から来たなとすぐ分かりますし、OA機器を売ってる浦辺さんなんか「売り亭王栄」なんて聞いただけでつい笑ってしまう、本当に楽しい名前ではありませんか。
そんな中で大先輩である鬼頭さんはどうか、というと職業とは全く関わりなく、かといって意固地なお爺さんらしくもなく、大いに自信を持って付けたのが「江戸家犬丸」なのでありました。
「えぇ、僕は色々と考えて来ましたよぉ。三遊亭円高、桂小柱、古今亭貧雀、これ、じゃくは雀という字ね、それから林家木材、鈴々舎駄風・・」
本人曰く、沢山考えてきた数々の優れた名前の中から厳選したのだそうで、相当なる愛犬家の自分にぴったりの名前だと大威張りでありました。そしてそのついでに始まったのがこのありがたくもない演説なんですわ。
「落語を研究するって聞いて僕も賛成したんだが、なんだねぇ、落語と言うものは下らないものだと世間では思われているようだが、先ほどの君達の会話を聞いていると、大した洒落は出て来ないじゃありませんか。その程度の洒落だけで済むものだったらば、落語なんて全く下らないもんですよ。そうでしょう」
「だがねぇ我々はもう少しレベルアップして、高度な洒落がすんなり出て来るような、知的センスを身に付けてだな、あぁ落語と言うのはやはり日本古来の素晴らしい言葉の芸術だなぁ、世界に誇れる文化なんだなぁ、と人々に言わせるようでなくてはいけないよ。でもって・・・・」
さあこれが始まるってぇと長いこと長いこと。皆はシ~ンとしてしまいます。何も考えない連中の集まりのようでも、この鬼頭さんは東谷の町の有力者ですし、年齢も皆よりずっと上でしたから、一応おとなしく嵐が過ぎ去るのを待つ如く、辛抱するしかありません。
「ところで君は考えて来たのかね。少しは気の利いた名前、浮かんだのかい」
と、鬼頭さんはさんざん演説をぶった後に、弦巻さんに向かって言いました。
「僕は師匠の酒之家を貰って、あとは皆にいいのを考えて貰いたいなぁって思って来たんですけど、ダメっすかねぇ」
「君の名ねぇ、自分で考えられないようじゃぁ何でもいいんじゃないの・・とも言えないし・・」
鬼頭さんはとても迷惑そうな顔をして言いました。
「お前んとこ塗装屋だろう、そうさな、塗料家七色なんてどうだ」
「塗っ亭しま王、ペンキ家ぬる蔵ってのもいいんじゃないかな」
と言う誰かの声を遮るように、また鬼頭さんが言いました。
「弦巻君、きみ、いっそ与太郎って付けたらどう。でくの坊とか東変僕とか・・ああそうそう、須賀ぽん太なんてのも君にはぴったりだと思うけど・・」
「ありがとうございます。でも僕、与太郎は嫌ですよ、まぬけな感じがしますから」
「だからいいんじゃないのかね。君には・・」
どうも鬼頭さんは弦巻さんがお気に召さないようでして、しつこく変な名前を羅列するのでありました。
それで結局は私の出番と相成ります。
「与太郎はないわよねぇ。そうねぇ酒之家に繋げるなら、ようた、でどうかしら。お酒を飲むと酔うでしょ、だから酔う太」
「酔太郎の方が似合ってる・・」
どこまでもこだわる鬼頭さんでありましたが、ふと何か思いついたように馬さんの方に顔を向けると
「そうだ僕ねぇ貴方に一度聞いてみたいと思っていたんですよ。貴方の芸名、ほら酒之家のことですよ。これはお酒好きで付けたんですかな」
「ああ、そのことですか。いえね、わたし、学生ん時にね、ちょいとイキがって宵町亭演遊って付けたんですけどね、本職さんに円遊師匠がいましたからこりゃいけないって思いまして」
「で、落語には廓がよく出て来ますでしょう、そんでもって屋号は廓家にしようって思ったんですよ。ところが、お恥ずかしい、廓ってぇ字がすぐに出て来なかった。で、即座に書けねぇようじゃぁ、こりゃぁいけません」
そこまで言うと、鬼頭さんは手元のノートの端っこに、漢字でさっと廓という字を書いて見せました。でもよぉく見ると廓の字が病だれになっておりまして、近くにいた私の目にははっきりと見えましたが、誰も気づいていないようでありました。煙ったい鬼頭さんでありましたから、誤字を指摘したい衝動にかられましたが、グッと抑えつつ私は言いました。
「あのような場所は病のお土産を貰って帰る人もいて、ほんと楽しくもあり大変な所でもあったんですねぇ。因みに私は千鳥足からちどりと・・」
でも鬼頭さんからは何の相槌もありません。皆もそれが何のことを意味して言っているのかは分からなかったようでして。馬さんにいたっては私がまた下らないことで口を挟んだと言いたげでありました。
「それで尊敬する我が志ん朝師匠の噺の『つき馬』から貰ってつけ馬ってね。飲んだ翌朝、勘定が払えねえ客に馬が付いて行く・・」
そこまで聞くとなるほどぉ、と妙に納得した鬼頭さんでありました。
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