第10話 発会式でもう噺家?
たまたま運良くちょこっとテレビや新聞に取り上げられただけのことなのに、すっかりその気になってしまっている、我が東谷落語研究会の仲間達でありますが、彼らがこの会が出来たばかりの頃はどんなだったかと申しますと・・
とにかく格好つけの好きな連中ばかりでありまして、先ずは発会式をしようじゃないかと張り切りました。当日、皆は朝早くから全く落ち着きません。どれだけそわそわしてその時間の来るのを待ったことでしょう。佐川さんなどは早々と馬さんの所へやって来て、宜しくお願いしますと何度言ったことか。馬さんも夕方近くになると入念に身支度をしてから、鏡に向かって大きな声で得意な噺をちょいとひとくさり。
「え~、縁は異なもの味なもの袖振り合うも多生の縁、なんてぇことを申しまして・・」
などと言っていると、友人の中川さん一家がやって来て、賑やかな声が玄関に溢れました。
「よぉ、芸人!」
「おじちゃま、本日はおめでとうございますぅ」
そう言って娘さんが大きな花束を差し出すと、馬さんは満面の笑みで受け取り
「いやぁこれはこれは嬉しいなぁ。美しいお花のようなアァタからのこのお花は、後ほど会場にて頂くことにしましょうか」
などとすっかり浮かれてしまいました。
会場は豊楽さんのお店で、馬さんと私が着いた時には、もう既に人が沢山集まっておりました。テーブルには料理が並んでいて、待ちかねた何人かがすでに一杯やってる様子でありました。売れない芸人のような馬さんの着物姿を見ると一斉に拍手が沸き上がり、その音量はまるで大スター並みでありました。
馬さんはその拍手がなり止まないうちに皆の前に立ち、深くお辞儀をすると
「え~本日はわが東谷落語研究会の発会式に、このように多数お集まり下さいまして、誠に有難うございます。ひょんなことから落語をやろうじゃぁないかってんで、ほんの洒落のつもりが、本日このように沢山の方にご参加頂きまして、賑々しく発会式を開くことが出来ました。心より御礼申し上げます。」
「この先どんな風になっていくのか分かりませんが、町内の皆さんとの親睦の会ということでやって行きたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。」
「なお本日は落語をやる人以外でこの会を応援して下さる、賛助会員の皆様にもお越し頂いております。」
「厚く御礼申し上げまして、私のほんのお礼の気持ちなのですが・・」
「ええ~ぇとこれこれ、・・これだ、この扇子を一本ずつ差し上げたいと思いますので・・」
と言って手提げ袋の中から、浅草で買って来た高座扇子をお客に配りました。
今日の日の為にと応援に来てくれた人や賛助会員の人達に、初めての集会の時と同じように、自分の芸名を面白おかしく紹介すると、皆は大変に喜んでくれました。やはり全く芸がない連中でありますから、芸名が面白いというのはとても大切なことだと心底から思いました。
賑やかな会場のほぼ真ん中あたりに静かに、どことなく品のいい年配の女性が座っておりますが、鬼頭さんの奥様だそうでして。 意固地なじじぃ、いえちょっと気難しくて皆の苦手な鬼頭さんには勿体無い、と心から思える程の素敵な人でありました。
前回の集まりで欠席していた人もここで自己紹介を致します。
「私はこの地域の皆様方には日頃お世話になっております、○○信用金庫の大林でございます。職業に因んで芸名をと言われましたので、私は『金融亭遊紫』とつけました。宜しくお願いします」
彼の紹介が終わるやいなや、
「おっ、『遊紫』なんざぁ、いいねぇ。早速ご融資を願いたいもんで」
と馬さんが言うと、嫌ですねぇ、俺にも俺にもと洒落抜きの真剣な顔で訴えます。まるで合唱団の歌声のようで、大林さんは半ばあきれて苦笑いです。
「え~、東谷郵便局です。本日はどうもおめでとうございます。私は『ポスト家丁の治』とつけましたが、皆さん、間違っても「丁」と「の」の字は伸ばして発音しないでお願いします、『てーのーじ』となってしまいますから」
穏やかにニコニコ笑って局長さんがそう言うと、あの『あほうでん』と同じだと言って皆は大喜びであります。
会員以外の人も次々に立って、自己紹介やら祝辞やらが終わった頃です。皆様からのご祝儀のお礼にと、馬さんがここで落語を一席披露しようと言いますと、「丁重にお断り致しま~す」の声が掛かりました。皆が一斉に大きな声で笑いましたが、鬼頭夫妻だけが不思議そうな顔をしております。
鬼頭夫人が先ほど馬さんから貰った扇子を上品に差し上げて
「私、折角ですもの師匠のお話、ぜひ伺ってみたいと思いますわぁ」
と言うと更に皆は大笑い致します。ますます夫人は訳が分からないと言う顔をして、私の方へ扇子の先を向けました。細い親指と人指し指とで扇の要を軽く摘んで、小指をピンと立てています。何とも美しい姿であります。
私がその指先をうっとりと眺めていると、他から又声が掛かりました。
「そりゃぁ、どうせ噺ったって又いつものやつだろう」
「ちょこっとだけ話してさ、お後は又の機会に・・とか、本日のところはこれまでに・・とかな」
「そうだよ、俺たち一度だってまともに師匠の話聞いたことないぜぇ」
「誰か二三分以上聞いた奴いるかぁ」
「なぁオチまで聞いたことのある奴いるかよぉ」
山の事故です、遭難です(このフレーズは小朝師匠の受け売りです)そうなんですよ、全く、その通りなんです。この件につきましては私が一番よく分かっておりまして。馬さんは大そうなうぬぼれ屋さんでありますから、人様の前に出るとすぐ「落語を一席」などと言って得意になるのであります。
そんな台詞を聞いた方にしてみれば、ほほぅ素人さんがどんな風にやるのだろうと、いちおう期待して聞く態勢を整えますでしょ。すると馬さんは注意力をすっかり自分に集中させておいて、それからおもむろに喋り始めるのです。
慣れた口調で順調に話し出して『まくら』(本題に入る前の部分)を過ぎて、さぁここからだぞというところで「お後は次回の○○の席で」となるのです。親戚の結婚式の時もそうで、何か一つと頼まれたりする時だっていつもそう。「お後はお子様の誕生の時に・・」とか言ってごまかしてしまうのですから。
その上にね、悪いことに
「私、昔小唄も習ってたんですよ。♪『のびあがりぃぃ』・・」
「私、講談も出来るんですよ実は。『時は元禄十五年十二月十四日・・パンスパパン』・・」
などと膝を扇子で叩いて、調子に乗ってやるのですからほんと、そうなんです、山の事故は遭難です、そして災難、ですよね。
あまりにも皆さんがやいのやいのと言いますから、馬さんはやっと言いました。
「それでは、私の素晴らしい落語をそんなにご遠慮頂くようでしたら宜しい、趣向を変えましょうか」
するとすぐに誰かの大喜利をやろうという声が聞こえ、それにつられて
「それでは大喜利を。と、と・・っと言っても、えええ、出来んのみんな。本当にぃ?」
と馬さんはちょっと、いえ大分不安そうに、でも笑いながら言いました。
「出来るよ、当然。だって俺達今日から噺家なんだよ」
「当ったり前だぁべらぼうめってんだ、題は何がいいだろう」
「今日のこの発会式ってのは、どうだい」
と、てんでに勝手なことを言っております。訓練を積んでいる訳でもなくいきなり扇子を貰ったからといって、すぐ出来るような簡単なものではないのに、みんな結構真面目に考え出しました。なかなか良い考えが浮かばず、うつむき加減の皆を見て先ず馬さんが
「発会式とかけて、つる子さんちの蕎麦ととく」
と言うと、
「あら、うちのお蕎麦を?それはどうもご贔屓にありがとうございます」
と武田さんが嬉しそうにお礼を言いました。
「おいおい、かけ問答なんだよ、礼はいいんだよ礼は」
「あら嫌だ、私ったらあがっちゃって」
と言うと榎木さんが嬉しそうに茶化しました。
「あがったのはとっくの昔だろうが」
武田さんはそれには知らんぷりを装って、真剣に良い答えをと考えています。
「発会式とかけて、つる子さんちの蕎麦ととく。そのこころは」
と浦辺さんが続けてくれたので
「そのこころは、細く長く続くことでしょう。と、まぁ、ありきたりの所でもって、時間を稼がせてやってんだよぉ・・」
と、馬さんがド素人にありがちな、ごく平凡な見本を示しました。すると、すぐ榎木さんが
「玉屋のまずいスパゲッティーととく。そのこころは、まずくても細く長く続くことでしょう」
と続けますと
「じゃぁ俺も。木村屋の弁当のマカロニととく。こころは、先行き、見通しが良いでしょう」
と負けずに広原さんも言いまして。
そこまではポンポンと進みましたが後はラーメンだうどんだと、ただただ長いものを選び、レンコンやらストローやら五円玉等の、穴の開いたものばかりを選んで、オチはみんな一緒でありました。全くどうしようもないほど下手でしたが、これが最初だご愛嬌だと皆は勝手に言いました。それが会場中の人達に大いにうけまして、ワァワァキャァキャァと賑やかで楽しいお酒となったのでございます。
こうして賑やかなその晩から、東谷の町内には何人もの「噺家さんもどき」が誕生したのでありました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます